
半年以上かけて読んでいた『古今和歌集』をようやく読了。あまりに時間がかかり過ぎて前半の歌など、もはや全く憶えちゃいませんがね。
『万葉集』以来ようやく編まれた和歌(やまとうた)の歌集で率直かつ純朴な表現の『万葉集』に比べ技巧的かつ理知的なのが特徴だそうですがアタシは『万葉集』そ読んでませんので解説の受け売りです。読み終わってから高校で使っていた国語要覧を見ると『古今和歌集』は八大集の一つとなっています。すなわち古今、後撰、拾遺、後拾遺、金葉、詞花、千載、新古今の八つの勅撰和歌集を指すのだそうです。この八大集、受験の時はスラスラと言えましたっけ。受験当時はどれ一つ読んでませんでした。歌集だけでなく近代文学もしかりで正宗白鳥、岩野泡鳴、田山家袋といった作家も名前を覚えるだけ。読書好きとしては最高に苦痛な作業でした。もっともこの辺の作家を読まずに埴谷雄高や夢野久作、コリン・ウィルソン、H・P・ラヴクラフトなんぞを読んでいた自分にも責任があるんですけれども。
話を戻しまして…。
「古今」は「万葉」に比べ技巧的と紹介されています。事実、掛詞は頻出しますので知識の無い現代人には注釈が付かないと何の事やら皆目解らん歌が大半を占めます。千年以上前の言葉は、もはや外国語なので当然なのですが、歌われている内容はどうかというと非常にシンプルなのが多いことに気が付きます。
恋って苦しいものだナァ
ああ、花が奇麗だ
仲のいい友達と別れるのはさみしいヨォ
ってなモンです。むしろ現代人の作る俳句の方がよっぽど複雑なテーマを抱えています。お茶のペットボトルにくっついている俳句なんて、どうしちゃったの?と聞きたくなるほど人生語っちゃてます。いかに現代人が強い刺激の中で暮らしているかが良く解ります。
その反動でしょうか、都会を中心にシンプルな物・事への回帰願望が強くなっているようで、その種のビジネスも目立ちます。考えてみりゃ癒しブームは先駆だったのでしょう。ここであえて申し上げますと癒しブームから広がっているシンプル志向が私は嫌いです。大っ嫌いです。無農薬野菜の食事を出す店をネットで予約して、携帯で友達と待ち合わせして、車で移動して、土にも触らずオーガニックがうんちゃらと言ってる連中がイヤなのです。そりゃあ癒しを求める気持ちが分らなくはないが、にしても金で解決しすぎるよね。田舎に住んでごらんよ。一週間、携帯を離してごらんよ。
個人的な意見です。なので簡単にひるがえします。例えば、アロマの香りと活動写真という企画があったとして、そこで活弁やってくれと言われたら、その時は喜んで演ります。演りますとも。そして言うでしょう「皆さん、癒されて下さいね」