
玉川美穂子改メ玉川奈々福さんの名披露目興行にお邪魔して参りました。公演のリスト制作みたいなのは好きではないのですが、一応書いておきますと…
柳家小権太 のめる
国本武春 紺屋高尾
玉川奈々福 小田原の猫餅
でした。
奈々福さんとアタイは実は長く細いお付き合いでして、初めてお会いしたのは、左様さあれは何年前のことぢゃったか。正確には言えません、言えませんというか正確に思い出せないだけですが、ともかく大分前、場所は阿佐ヶ谷で御座んしたっけ。あの時ご一緒した方々も色々ですわね、懐かしい。
活動写真弁士は芸人であり、映画人であり、状況によってはタレント、声優、ナレーター、司会等々、何にでも化けます。何でもやれる代わりに何でも無い。これがある種の悩みであります。そんな事で悩んでるのは俺だけかも知れんけど。でも比較的ツテが出来れば何処でも活動が出来るので人脈も意外に広がります。それ故に、どんな方向に人脈が広がるかは、ひとえに本人の活動次第となる訳です。演芸ファンのアタシは広がる人脈が落語・講談・浪曲、そんなんばっかです。同じ弁士でも坂本氏なぞはもう少しお笑い寄りの人脈が強いでしょうし、バニラなぞは当然声優方面が強いんではないのかしら。よく解りませんが。
つまり人脈なんてのは誰と出会えるかではなくて、誰と会いたいかで決まってくるモンなんでしょうね。アタシは会いたい人と会えてます。高校生の頃から見たら夢のようです。有難や、有難や。
今、奈々福さんの事を調べると漏れなく付いてくる話題があります。芸人として感じる部分もあるのでアタシも触れます。
それは奈々福さんのお師匠様、浪界の第一人者玉川福太郎師匠が先頃お亡くなりになられた件です。こうした事の後の仕事というのは観客はどうしても色んな事を考えてしまいます。当然、演者本人だって考えてしまいます。でもやっぱり一回の高座、一回の舞台はやっぱり一回なのですね。だから気丈とかそういう表現は使いたくないな、と思っちまう訳ですよ。これも自分と相手の距離感によって、いかようにでも変わる感覚ですけれど。
小田原の猫餅楽しく拝聴しました。そんだけでいいかなと思います。今は、今はね。
アタシは澤登翠の弟子ですが、多分アタシよりは先に師匠が亡くなります。その時は弁士界はどうなるんでしょうか。思うところは多々あります。もっとも師匠の方がアタシより長く生きる可能性も捨てきれないところがありまして、それもまた楽しいのですが。
この日は打ち上げにまでズウズウしく参加させて頂きました。小権太さんも日芸だそうです。武春師匠のお隣に座らせて頂きました。人の縁の面白さですね。