公演内容はこんな感じ。
●【レクチャー 講師=澤登翠】活弁映画史講座 三限目
●『世界の心』
1918年アメリカ作品
監督/D・W・グリフィス
主演/リリアン・ギッシュ、ロバート・ハーロン
説明/片岡一郎、斉藤裕子、桜井麻美、澤登翠(リレー・口演順)
活弁映画史講座は凄いの一言でありました。内容がではなくて師匠の悪乗りっぷりがね。師匠も今年は芸暦35年、どう考えたっていい年齢なのですよ。その位の年齢の女性があそこまで異次元トークをかませてしまう現実は我々弟子をのけ反らせるのです。出来ませんぜ、あれは。出来ない事なので上手く書けません。この日実際に見た人だけが喜ぶなりガッカリするなりすればいいのでせう。でも、でもです。キチンとした澤登翠しか観た事のない人は一度観る価値がありますよ。
そして映画は『世界の心』でありました。
一門によるリレー活弁は三回目ですが、今年のは演者としては楽しい演目となりました。というのも過去二回は一本の作品をソツなく、アラもなく纏めた感じですが、今回は各個人の解釈(作品であり人物であり)が見事にバラけて一本の映画を分担して語っているにも関わらず、一種オムニバス映画の様な雰囲気が出たのでした。
演者が変われば作品が変わる。
この単純な命題はそれ故に映画至上主義の方にとって弁士批判の大きな理由となります。しかし場が変わり時代が変ってもやっぱり映画は変わるんだから、まあ良いじゃないですかとアタシは思っちゃうのです。殊に作中字幕に対して師匠が度々「と、グリフィスは言っています」と断りを入れていたのは弁士の横暴ではなく、時代の変化を考えたときに必要な処置であろうと思うのですが、皆様はいかがお考えでしょうか?
ちなみに『世界の心』は大作です。大作ではありますが、当時の批評での評価は芳しくありません。要因は色々あるのですが重要な要素としてグリフィスが時代遅れになってきたという点が上げられます。彼は作中で平和の重要性を語っていますが、肝心の平和というものに対する認識が世界標準からすると旧弊なものであるのです。
グリフィスは映画の父と呼ばれます。様々な技法を映画表現の中に定着させた彼の功績は今日なお色あせるものではありません。しかし、そのグリフィスが時代遅れと評されるという事は、映画がこの時期、いかに急速に進歩していたかを物語る事実ではなかろうかと思います。それに比すと現在は時代遅れな物や人が無い社会のような気が致します。あらゆる現象の変化のスピードが速すぎて時代に遅れたと周囲が認識する前に、誰も顧みない存在になってしまう。「あんな事、まだやってるの」って人が居ないのは不気味といえば不気味です。だって居ないのではないのです。居るのにそんな人どこにも居ないかの如く世の中が動いているのです。
活弁はちょっと前まで「懐かしの」が売り文句でした。最近は「かえって新しい」が売り文句です。でも、もしかすると時代遅れな現象って大事かも知れない。上手く言えないけれど。
あの人には連絡しなきゃ、とか、あの人はまぁいいだろ、とか。自分中でのお世話になっているランキングが仄見えて面白い毎日であります。
これを期に久しぶりの連絡という人もいましたし、逆に仲のいい友人に連絡しそびれていた事が発覚したり。こういうとき日頃の行いが出ますね。帰国報告メールの返信は大抵「今度お土産話聞かせてね」みたいな内容なのですが、今度っていつだ?ってな人もいる訳です。あんたとは年に一度も会わん、というような。
全部真面目に受け止める必要もないのでしょうが、どうも「今度飲みに行こう」式の社交辞令が苦手なのです。先方は二度と来ない今度を想定していても、コチラは近日中の今度を想定してしまうのです。
さてさて、あんまりクロアチアクロアチアしてても仕方がないので今後の告知なぞ…
25日のアクセスがいっぱいですが現地報告でもあると思った方がいらしたのでしょうか。
しませんともさ。
こっちゃ会話の95%まで英語で四苦八苦でしたよ。野外公演なのに当日は雨が降ったり風が吹いたりであわや延期の可能性もありましたですよ。4日間の滞在中半分はグルーバーに引っ張りまわされて遊んでました。実働時間約3時間ナリ。
以上で報告終わり。
お酒が飲みたい。
振り返ってみると実働時間1時間であとは遊び呆けてました。何をしに行ったんだかねぇ。
空港まで送って貰うために朝9時に待ち合わせです。今日も無事に起きる事が出来ました。この数日間、とうとう目覚まし無しでやり遂げました。やっぱり片岡君はやれば出来る子だったのです。寝坊しそうになったのは出発の日だけでした。いや~あれは焦ったけれども。



最後の朝なのでチト感傷的になって写真を撮った記憶があります。

これは数日間お世話になったレストランです。ウェイトレスのお姉ちゃんは食券を千切るとあとは放ったらかしという素敵なレストランです。
チェックアウトの際には数日間英語で生活していた自信が漲っていました。語学力に自信がないと中々自分から会話をしようとは思わないものですが、この日の私はもう立派なグローバルスタンダードな人間でしたので言ってやりましたよ、こっちからね。
「Good Hotel!」
すると向こうも
「Thank You」
もう英語は怖くありませんワタシ。
ドライバーを待っている間に、今回大いにお世話になったターニャとのお喋りです。もちろん英語よ。ターニャの話している事が殆ど解ります。自分でも不思議なくらいの上達です。ターニャが努めて簡単な言葉を選んで話しかけてくれているような気さえします。
しかし好事魔多しというのはあるものです。楽しくイングリッシュトークを繰り広げながら、フト石壁に手を伸ばすと突然手のひらに痛みが走りました。なにやら虫に刺されたようです。これが結構痛い。ターニャが心配してくれますが日本男児たるもの虫刺され程度で慌てていると思われては業腹ですので「大丈夫だ」と繰り返します。しかし異国の虫刺されは不安になりますね。もし飛行機の中で泡吹いて倒れたらどうしよう、とか思いましたよ、実際のトコ。
結局は大した事は無かったのですが、それでも24時間は痛みが残りましたので免疫の無い虫に刺されたのは事実でしょう。気をつけたいものですが、気をつけようも無いのよね。
そうこうしている内にドライバーの到着です。誰かと思えば来る時にも迎えに来てもらった、道を間違えた彼です。ターニャと別れを惜しみ、いざ車へ乗り込み出発。こういう時、日本人なら車が見えなくなるまで、その場で手を振ったりなんかして見送りますね。でもターニャは車が発進した瞬間にとっとと帰りました。お国柄ってヤツですな。
車はワタシを乗せて走ります。一路、トリエステ空港へと。
途中Y字路がありまして右にいくとTRIESTE、左に行くとなんちゃらと書いてありました。ドライバーの兄ちゃんはここで迷わず左へ行きます。ん、左?ボクが行くのはトリエステ空港なのです。なぜに左?疑問は沼地の気泡の様に湧いてきますが、向こうは現地人、こっちは文字も怪しい外国人です。まあ大丈夫だろうと思っていますと、兄ちゃんが車を止めて考え込んでいます。挙句に「道を間違えたから戻る。心配しなくていい。No Problemだ」ってんです。でもね、彼の顔は結構Problemな顔でした。まあ、無事に帰ってこられたんだから良いんですけど。
空港に辿り着いたのは出発の1時間程前でしょうか。成田では2時間前について丁度位でしたがトリエステでは1時間でも持て余しました。銃と麻薬さえ持ってなければ良いや、みたいな感じね。
それからまた10数時間のフライトを経て私は日本へと帰ってきたのであります。
ちなみに家族に告げていた帰国日は25日でした。実は時差を計算し間違えておりまして、実際に帰ったのは一日遅れでした。家族は心配していたそうです。そりゃ、そうだ。
無事にモトヴン映画祭での公演を終えた美形アイドル活弁士の片岡一郎は勝利の美酒に酔っていた。町を包み込む映画祭の喧騒すら自らを讃えるファンファーレのように聴こえていたのである。そんな彼の前に現れたのはオォストリアのピアニスト(彼は今回一郎と共演した)ゲルハルト・グルゥバァであった。
「ヘイ!Ichiro!明日もノンストップだぜ!」
2人は明日の再会を約して固い握手をした。その時、謎の黒覆面の一団が彼らを取り囲んだ。
「フフフ、2人とも大人しくしていれば手荒な真似はしない」
「さあ、こっちへ来るんだ」
「不満そうだな、だがこっちも慈善事業じゃないんでね」
黒覆面たちは口々に2人を追い詰めてゆく。
果たして超美形カリスマ活弁士片岡一郎の運命は?
んまぁ、あれですよ。外国だから何が起きるか解んないぢゃん?って事です。
昨日の公演を済まして、今日は完全にフリーの日でした。こうなっちまえば映画が駄目子ちゃんな事も、実は文無しな事もどうにかなるさと諦められるのです。午前中にした事は映画を観る事でした。映画祭に来ておいて全く観ないのもイカンだろうと思ってはいたのですが、なにしろターニャの担当がホラー映画だから敬遠していたのです。そんな訳で観たのが『The Cats Of Mirikitani』という作品でした。ジャパニーズ‐アメリカンの老人のドキュメンタリーでこれは面白かった。9月8日から日本でも『ミリキタニの猫』というタイトルで公開されます。時間のある方は是非。
午後は昨日に引き続きグルーバー達とクロアチア観光でした。今日は行く場所を聞いてますよ。ロビンという港町です。この町もやっぱり古い石造りがそのままに残っていて結構な場所でした。それでは写真コーナーでゴワス。







勿論食事も一緒でした。出てきたピザのデケぇのなんの。写真はビールで上機嫌のグルーバーです。この旅で撮った写真ではこれがベストだと思っています。

澤登一門として猫ウォッチも忘れてはいけません。

そんなこんなで、この日は楽しく過ごしましたとさ。
とか言って、力強く目覚める筈もなく、ゆったりとお目々を覚ました僕なのでした。
のたのたとテレビを点けると面白い番組がやってました。

洋画なんですがね。映画の原音はそのまま生かしてあって、その上に吹き替えが吹き込まれているんです。解り難いかな?簡単に言えばテレビから2つの音声が同時に流れてくるんです。しかも後付けの音声は全ての役を一人で演ってるのです。なんだ、クロアチアにも活弁あるんじゃん、と思いましたね、アタシャ。ただし全て棒読みですが。
さてさて、お金が全く無いボクチンは基本的におとなしく町をブラブラしていようと決めていたのですが、昨日グルーバーに「遊びに行こう」と言われて遊びに行く事になってしまったのでした。しかも本番当日に。
聞いたら無声映画伴奏の仕事はギャラが安いんだそうです。なので「だったら観光するよ」と。その辺は見事に割り切っているのが日本人と違う所であります。
待ち合わせまで時間があるのでブラブラすべく外にでます。
空を見る。
雲ってゐる。
『狂った一頁』の上映は野外だ。
忘れてました、アタシは雨男だったのです。



下二枚が上映会場です。見事に雲っています。
あ、書き忘れてましたがモトヴン映画祭は昨日が初日でした。私の泊まったホテルは町で唯一のホテルなのですが、そのまん前が広場になっておりまして、映画祭に集まった人々が夜通し乱痴気騒ぎを繰り広げるという素敵な立地なのでした。何処でも寝られるオイラの様な人間は気にしませんが、グルーバーは「騒がしいのが嫌だ」と言って違う町に宿をとったのでした。
待ち合わせの時間です。グルーバーと奥さんと息子さんが来ます。それからグルーバーの友達一家も来ました。ボクも入れて総勢7人で出かけます。
もしもし?グルーバーさん。観光がメインですね、さては。
グルーバーの車に乗る事一時間、見知らぬ町に来ました。未だに何という町に観光に行ったかは知りません。でも写真は撮ったのよ。何じゃそりゃ。



この町には猫が一杯いました。その猫を見る度にグルーバー婦人が立ち止まって写真を撮るのです。ウチの師匠と行動パターンが同じです。アタシは世界中何処に行ってもそういう方と一緒に行動する事になっている様です。
それから見知らぬ海辺にも行きましたよ。

写真を御覧頂ければ解るのですが、晴れています。
しかしどうやらグルーバーは公演を明日にしたいらしいのです。だから雨の方が良いらしくて、アタシが「晴れてきたね」といっても「でもモトヴンは曇ってる」とか言いやんの。何でもね昨日は4時間しか眠れなかったんですって。だから疲れてるから公演は明日にしたいのだそうです。でも観光はする、と。
もしもし?グルーバーさん。観光がメインですね、さては。
楽しく観光をしておりますと時刻は16時半です。本番は21時15分からです。モトヴンでターニャと待ち合わせは18時です。グルーバー、平気な顔してます。17時、ようやくモトヴンへと車を走らせます。どうやら道に迷ったみたいです。グルーバーが真剣な顔になってきました。地元の人に道を聞いたりしてます。常識的に考えて100%遅刻です。グルーバーはターニャの携帯の番号を知ってますが、電話しません。18時をまわりました。解る道まで来たものの遅刻です。でも、ターニャからも電話はありません。18時20分頃モトヴンに着きました。皆、平気な顔をしています。
嗚呼、日本人て時間に正確なんだなァ。
ほんとに時差は感じませんでした。逆に言えば日常生活の中ですら7時間の時差を感じながら生きているっちゅう事です、僕は。
何にしても清々しい朝であります。


ホテルの部屋から外を撮ってみました。
打ち合わせまでは時間があるので町中を散策することにします。ちなみにこの段階でご飯をどうしたらいいのか解りませんでした。いやはや。

これがモトブン映画祭メインスクリーンですな。周りの建物との対比で何となく大きさが解るかしらん?

町中にはプログラムも随所に張り出されております。見てみるとちゃんと『狂った一頁』も入ってます。あったりまえですが。説明をクドクドするのも面倒なので何点か写真をど~ぞ。





つくづく古い町並みなのです。何もかもが石造りで重厚、路地裏なぞは若干沖縄に近いかもしれません。町は狭いです。のんびり歩いて30分もあれば見て廻れる程度の広さであります。
そんなこんなで11時、打ち合わせ時間です。ターニャが着ましたよ、マルコも来ました。そして映画祭のプレスの方も来ました。取材だそうです。
取材はいいんですが皆日本語が解りません。会話が上手い事いきません。困りましたね、ありゃ。そしたらね、ターニャが凄い方法を考えました。クロアチア日本大使館に連絡してインタビューを通訳させるという画期的な方法です。まず質問をターニャが携帯で大使館の方に話します。そしてその携帯を私が受け取り答える。もう一度携帯をターニャに渡して、最後にターニャがプレスのアンちゃんに伝えるという…。ああ、俺は海外に来たんだな、と思いましたね。ありがとう日本大使館。
そんなこんなでクロアチアの皆さんに私の言語不自由を露呈していると、今回のピアニスト、先日日本で共演させて頂き、今回の映画祭にも「弁士を呼ぼう」と働きかけてくれたゲルハルト・グルーバーの到着と相成ったのであります。

グルーバーです。身体もデカけりゃ懐もデカい素敵な方です。
グルーバー、ターニャ、オイラの三人で『狂った一頁』の情報交換となったのですが、これが楽しい時間でありましたね。グルーバーはドイツ語で書かれた分厚い『狂った一頁』に関する本を持ってきていました。この本が読めるのはグルーバーだけです。アタシは衣笠監督の自伝を持っていきました。日本語です、読めるのはアタシだけです。三人の会話は英語オンリーです。そのもどかしさときたら、ね、解りますかしら。アタシがたどたどしい英語で『狂った一頁』について話すとグルーバーが自分の本をひっくり返して「ホラ、ここに書いてある」と見せてくれます。しかし、書いてある内容は私もターニャも読めんのです。コミュニケーションが上手く取れない方が親密になる好例でありました。
ここで又しても私はトラブルに見舞われました、というか気付きました。
お金が無い。
盗まれたのではゴザイマセン。モトヴンは観光地の癖に現地通貨しか使えない店が多いのです。カードも駄目なのです。事前に見たガイドブックでは日本円の両替もクロアチアはOKだと書いてあったのですが、それは首都ザグレブの話なんですね。田舎町のモトヴンはそんなメンド臭い事はしないの。お金は現地通貨クーナだけ。そこいくと日本は凄いです。凄い田舎のお土産屋でもカードが何種類も使えたりしますから。しかし無いものは無いのです。折角の海外、これからの数日、文無しで生きてみようと思ったのでした、僕は。
顔合わせも完了し、明日は本番です。ホテルの食事券も貰いました。これで本番を迎えるのみかと思いきや、グルーバーが言うのです「明日の昼間は遊びに行こう」ってね。
だから金が…。
続く。
ともあれポツポツと思い出しながら旅日記を書いてみようと思います。ちなみに書いてるのは8月15日です。遅えなぁ。
アタシが行ったのは映画祭の名前からも判るとおりモトブンという町です。日本からは成田→ミラノ→トリエステが空路。成田・ミラノ間が約11時間、ミラノ・トリエステ間が約1時間でトランジットで3時間でしたから飛行機関連で15時間掛かりました。
15時間掛かりました、と簡単に書いてますが、実はこの旅は一人旅なのです。皆に驚かれました。マツダ映画社の人は一緒じゃないの?ってね。一緒じゃないんです。一人なんです。不安が全く無いかといえば嘘でしたが、海外に行くなんざぁ今や誰でもやってる事だから俺様に出来ない訳がないってんで、コレといった準備もせずに着替えとお土産とパスポートを持っての出発でした。結果何とかなったから今現在こんな文章を書いてるのですが、もう少し下調べをしようね、僕。
んで、トリエステに着いたのですが、ここはまだイタリアです。この後は車で国境を越えてクロアチアに入るのです。車中の人となること2時間、モトブンに到着です。
ここでも到着、なぞと簡単に書いてますがドライバーのあんちゃんが道を間違えて引き返したりとトラブルはあったのでした。未知の国でそういった事をするのは止めて頂きたい。あんちゃんは「景色をみせようと思ったんだ」とか何とか言ってましたが、これにとっさにジョークが返せない。嗚呼、言葉の壁は厚い。いや、英語なんスけどね…。
しかし出国やら入国やらで面倒臭かったのは結局日本です。トリエステなんてねパスポートの表紙見せたら「勝手に行け」ってなモンですよ。それに引き換え成田はベルトが金属探知機に反応しただけで全身をチェックされる始末です。日本から札付きを出しちゃならねえ、とばかりに調べられるのです。国際便は出発の2時間前には空港に着いている様にするのが日本の基本的なルールの様ですが、これだけチェックが厳重で空港が広ければ当然かもしれません。先に話ちまいますが、帰路ではトリエステに1時間前に到着、それでも30分以上持て余しました。
それはさておき、クロアチアはモトヴンに到着したのが深夜1時頃でした。町は前夜祭で大盛り上がり、というか大騒ぎ。ここで今回アタシを呼んでくれたターニャとご挨拶をしたのでした。

写真は帰りの日に撮った物です。ターニャの後ろにあるのがモトヴン映画祭専用車ですね。
え~、明日出発ですよ、クロアチア。まだ荷造りしてません。ええ。
この一週間はいろんな方に「気をつけてね」「頑張ってね」と言っていただいております。有難い、有難いのだが、何を気をつければいいのか分らん。頑張るちゅうてもいつもだって頑張ってるし、やっぱり分らん。分らんからヘラヘラした顔で「ハ~イ」なんて返事しか出来ずにいる私なのです。
あんまし気負ってないのよ、実は。都内で演るのも、埼玉で演るのも、クロアチアで演るのも同じなのです。しかもピアノのグルーバーからは「作品について勉強はしたけど、もうどんどん忘れている。なぜなら僕らは学者ではなくパフォーマーなんだから」というような、いかにもアチラの方らしい内容のメールをくれたりと、今回の『狂った一頁』上映コンビは海を越えてユルいのです。みんな、ごめんな。
そんな状態なので、元気にはっきり「行ってきます!」とか言えないのです。大体出発報告をこんな場所でするのも気恥ずかしいし、そもそも柄ぢゃない。
ここで殊勝な言葉でも言えれば良いんだろうケドね。
仕方がないので片岡版『狂った一頁』の説明台本を全文掲載します。自分用の文章なので全く意味不明ですが一つのモニュメントとして。この台本はシナリオをベースに書いた片岡一郎のオリジナル説明台本です。人物の会話等、要所々々でシナリオの言葉を使っていますが9割以上は私の言葉です。念のため。『狂った一頁』に関して書かれた文章に「過去の弁士はこの作品をどのように語ったのだろうか」風の内容をたまに見ます。文章のエッセンスとして書いてるんだろうが、少しは頭使えよ、と言ってやりたくなります。こんなにもインスピレーションを刺激する作品を観て言葉が出てこなけりゃ精神の不感症なんだ。少なくとも書く作業をしている者なら「書いてみたい、語ってみたい」という気持ちが先に出るはずで「どう語ったのだろう」とは書く段階で出てくる疑問のハズなんである。
でもホントに色々な心遣いありがとう御座います。
ではいってきま
これはね、不便ですよ。不便ならなんで自転車買わないのかと言えば、気分の問題だったり、お金の問題だったり、タイミングの問題だったりで、まぁ色々してるウチに2ヶ月。
個人的な状況を申しますと、私の自宅からは2つの駅が同程度の距離にあるのです。なので出かける時には都合のいい方の駅を利用します。この「出かける時」というのがミソで、自転車に乗ってると帰りの駅は自然に決まってしまうのですね、当然ながら。これは不自由な事です。
つまり私は不便になって便利な時の不自由さを認識したのです。
モノを得るときには対価を払わねばなりません。便利を獲得する為には我々は多くの自由を支払っているのでしょう。携帯電話というベラボウに便利な道具を獲得する為にどれだけの不自由さを甘受せねばならないか。
感覚がマヒしているだけで、こうした現象は至る所で起きているのでしょう。コンビニ始め様々なお店でヤタラに勧めてくる便利でお得なメンバーズカードは他店との選択の自由を奪う為の物でありましょう。
便利になれば不自由になる。自由にすれば不自由になる。言葉にしてみれば単純で納得出来る事ではありますまいか。
という日々の雑感。

無声映画鑑賞会や活動倶楽部のご常連、日頃から大変お世話になっている藤岡成一さんは年に1回『NEW 映画と私』という映画エッセイ集を発行されています。私もここ数年原稿を書かせていただいているのですが、今年発行号は第10号、つまり10周年の記念号なのです。そのためにエッセイテーマは「ベストワンの映画」でした。
怠惰な私は早めに原稿を上げるつもりが例によって締め切り直前のテイタラク。情けない限りです。にしてもベストワンとは悩みます。根っからの映画ファンの方は、どれにしようかと悩むのでしょうが、私は人様に言えるほど映画を観ていません。つまり私のベストワンなどに意味があるとは到底思えないという悩みです。
ともあれ悩んだ末に、というほど悩みはしなかったのですが、一応選んだ映画が『エル・スール』(1983年・スペイン 監督/ビクトル・エリセ)でした。この映画との出合いは、私が最も好きな漫画家の須藤真澄先生がイチオシの映画ということで観たのですが、何と奇麗で静かな映画であるか、当時(高校生だったかな?)に驚いた記憶があります。そのまま素敵な映画として私の心に沈殿していたのですが、今回駄文を書くに当たり、改めてキッチリ観て改めて驚愕したのでした。美しいなんてもんじゃない。本当に息を飲むような光の表現に打ちのめされたのでした。
ビクトル・エリセ監督は10年に1度しか作品を発表しない寡作の監督として(それは監督の希望ではないらしいですが)知られています。監督作はオムニバスで『対決』『10ミニッツ・オールダー』、単独監督作品は『ミツバチのささやき』『エル・スール』『マルメロの陽光』ととにかく少ないのですが、どれもこれも素晴らしい作品なのであります。もっとも『対決』は未見ですが。世界的に見ても、残念ながら映画大国とは言えないスペインですが、その中にあって貴重な存在であるのは誰もが認める所でありましょう。
『エル・スール』について書こうと心に決めたものの、寡作の監督の寡黙な作品に対してどんな言葉を連ねたらいいのか見当がつかずに往生しました。ですからこの文章は書き上げた喜びをそのままに書いているのです。
サイレント映画の表現技法は『サンライズ』(ムルナウ)や『裁かるゝジャンヌ』(ドライヤー)である極点に到達したと言われています。しかし『エル・スール』における「静」のシークエンスは純然たるサイレントではないにしろ先行する無声映画期の完成とは異なった映像の語り口を提示しています。それはつまりサイレント期においては音の無い映像から、どうやって何かを感じさせるか、音を映像によって表現するかが大きな命題であったのに対し、現代の映画で「無音」やそれに類する表現を使う場合、意図するのは聞こえない音を表現する事ではなく、この世の何処にも無い音を表現する為になっているのではないかと思われるのです。となれば映画が音を獲得して無声映画はようやく次のステップに進めたと判断出来るのではないか。
そんな事を思いもしましたが『NEW 映画と私』には微塵もそうした内容は書いていないのです。自分の中では対になるように別のアプローチをしてみました。発行は10月頃です。是非お求めを。
渡航直前で各種取材から、このブログを覗いてくれる人も多かろうと判断する中、このテの場所に行った事を書くのは、ひょっとしたら…と思わなくもないのですが、別に恥じているわけでなし、いいやってんで書く事にしたのでした。
新宿ニューアートは知っている人は名前を聞いただけで全てが解って、知らない人は何にも解らない空間です。ん~つまりストリップね。
何にしても今月5本目の舞台鑑賞。
ご出演は以下の方々。
1 奥菜 つばさ
2 酒井 愛里
3 長谷川 凛
4 若林 美保
5 林 泉水
6 小澤 マリア
小澤マリアさんという人は大変に売れている方で、小澤さん目当てのお客さんも多数であったとかなかったとか。今週がデビューだそうですが舞台度胸があるのかしら、堂々としたものでした。他の方々もそれぞれに個性があってよろしき顔ぶれでした。個人的な好みで言えば、凄い下手な人も一人は欲しいのですが我儘でしょう、それは。
さて、若林美保姐さんであります。この方は良いです。
どんなジャンルであれ、舞台に立つ、あるいは表現する事をしている人は何らかの目的があります。一つは「上手くなりたい」という欲求ですね。私はこの欲求が比較的強いのです。もう一つは「売れたい」とい欲求でして、こちらが強い方は星の数ほど居ます。悪い事ではありません。当然の事で、良い事です。ところがですな、こうした欲求は前提として誰にもあるものとして、それ以外に「何かを表現せずにはいられない」という人が居ます。内面から湧き出てくる表現欲求を解放するかの様な舞台のスタイルというか、表現が難しいのですが、業の深いスタイルなのは間違いありません。
若林美保さんはどうもそういうタイプに見えるのです。次から次へと演目を作って舞台にかけます。10日間興行の間、演目は一つだって誰も文句は言わないのに3つも4つも演目を出します。生き急いでいるのか、貧乏性なのかと疑わんばかりの態度で舞台に臨みます。御本人のブログを拝見しますと、あっちが痛いの、こっちの具合が悪いの、二日酔いだのとしょっちゅう書いている癖に休みを取りません。仕事が、ストリップが好きなのだそうです。アタシのようなモチベーションの低い芸人は得るところ大の方なのです。
いささか贔屓が過ぎる文章かもしれませんが、男性諸君は観に行ってみると良いかと思います。女性は、えぇ、その、難しいかも知れません。どうして女性じゃないと生き辛いショーって無いんでしょ。宝塚は男性でも行けるし、ホストクラブはショーじゃないしね。『フルモンティ』の如き、明るく楽しい男性ストリップが定着すると良いなと思うのですが、日本女性の気質には合わないのかも知れません。残念というべきでありましょう。
ちなみに若林女史、東北大だそうです。アタシの身近にもう一人東北大出身が居ます。アタシの出た日芸も同期から活動写真弁士・片岡一郎、講釈師・一龍斎貞橘、落語家・春風亭一之輔を排出ぢゃなくて輩出している名門ですが、東北大も中々の名門であるようです。
キャバクラいかがですか?
おっちょこちょい
ドジ
どれもこれも好きな言葉です。意味ではなくて響きが。

「有名塾」二度目の旗揚げ公演という位置づけの公演でした。今月4本目の舞台です。観劇は感激と同じ音なのは勿論偶然なのでしょうが、でもドラマティックという言葉には感激と観劇が内在している様な気がします。言語学的な細かい考察はヌキにして、です。演ずるものを見聞きする行為が連綿と続いているのは感激したいと多くの人が思っているからなのでしょうかね。
●『レッツ・ツイスト・アゲイン』
作・演出/原武昭彦
会場/アートスペース・プロット
下町ダニーローズで、というか最近はもっぱら句会でお付き合いさせて頂いている原武昭彦さん、入月謙一さんが出演しておりました。二度目の旗揚げというのは、かつて有名塾として旗揚げしたものの、その後色々あって…。ということらしいのです。なので今回、新たなメンバーでの二度目の旗揚げだったそうですが、中々今回もご苦労があった模様。原武さんはお笑いライブの世話役をやったりと若手育成にとても力を入れていて、毎回その辺にも感動してしまうのです。
物語は極めて分り易いもので、ショーパブのバックステージ物といった趣の作品。ショーパブなので随所にダンスやコントが入る仕掛け。それから営業時間外なのに歌が入ったりと盛り沢山なのであります。
原武さんは正に知る人ぞ知る、なごみ系怪優でありまして無闇矢鱈に面白い芝居をされる方なのです。あの空気はとてもじゃないが真似出来ない。ということは原武さんが作・演出のこの舞台に出演するのは小規模な公演ながら実は妙にハードルの高い公演に出演するという事になるのです。原武さんが用意したものをこなすべく若手の俳優さん達が七転八倒している様は舞台とは違ったドキュメントを感じさせるものでした。
特に笑いというのは反応がダイレクトに判るものです。逆に言えば笑わなかった時もまたダイレクトに判ってしまう。なので何とか笑いは取りたいが、原武さんの笑いはそう易々とトレースできる物ではない。でも笑いは取りたい。しかし原武さんの笑いは真似出来ない…。というスパイラルが生じる訳です。
となれば、この連鎖から抜ける為には原武さんの演出に応えつつも個性を打ち出してゆかねばならない。これがハードルが高いと言った理由ですね。
でもまぁ、考えてみれば笑いだけではなくて演技も他の表現も皆、極めてパーソナルな物なんだという事を改めて認識した公演でありました。
飛行機に乗り遅れる夢で御座んした。
アタクシの出発は22日の13時です。ところが目が覚めたら22日の22時だったのですよ。大抵の場合「寝過ごしたかも」と思うときはとっさに時計を見て「ああ良かった」ってな風に落ち着くのですが、その夢では21日の夜に目覚めた積もりでいて、時計を見たら22日22時だったというマコトに良く出来た夢で御座いました。仕方がないのでとっさに衣装をかき集めて台本を引っ張り出して出発の準備をする緊迫感なぞは皆さんに見せてあげたかったくらいです。
ここまでは見事にリアルな夢で自分で疑う余地もないのですが、どっちみちズボラな人間の見る夢だけに徐々に綻びが出てきます。遅刻をした以上、先方に言い訳をしなければなりません。夢の中のアタクシは必死に考えました。んで、出てきた言い訳が…
山火事で飛行機が飛ばなかった。
でした。もうしこしマシな理由は思いつかなかったのか?オレ。
少しだけ真面目に書きました。誤字や何かあるかもしれないけど…。
これ言葉遊びです。読者数が違うんだからこうした理屈は成り立ちませんよ、現実的には。解ってます、解ってますともさ。
銀幕閑話:MSN毎日インタラクティブ http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/ginmaku/
それから以前にも紹介しましたフリーペーパー『共存』のWeb版にも、その2を掲載して頂きました。
共存Webhttp://kyoson.blog91.fc2.com/
取材、お仕事随時受付中で御座います。

今月は舞台が大忙しだぁ。ってな訳で行ってきましたのが『サロン』でゴザイマス。
劇団フライングステージ第31回公演
「サロン」~彼女の生き方、ゲイの生き方~
原作 桜沢エリカ
脚本/演出 関根信一
本作にはアタクシの友人、野口聖員さんが出演しております。以前、あるぽらんのチャレンジ弁士にも出てもらいました。
このフライングステージは14年間、「ゲイである事」をテーマに芝居を作り続けてきた劇団で、ゲイの人達による劇団なのです。でも芝居は色物ではなくちゃんとしてるのがとても良いのです。昔、やっぱりゲイの人がやってる芝居を観に行ったらとんだ茶番でエライ目に遭ったことがありましたっけね。ここの芝居は面白いです。はい。
アタシも成人男性ですから、これまでの人生の中でそちらの方に触られた事も、真後ろに立たれた事もそりゃあ有りますが、仲の良いゲイの方というのがあんまりおりません。ちなみに野口さんは劇団唯一のノンケ役者として素晴らしいポジションを獲得しているのです。斯く言う私も女所帯の澤登一門で唯一の男ですから
『サロン』の作中やアフタートーク(トークゲストは原作の桜沢エリカさんでした。面白い方でした)でも語られていましたが、近年はゲイを取り巻く環境が変化しているようです。同性愛の方の結婚式が開かれたりなど、昔では無かった事が行われるようになった。大変に結構な事だと思います。御宗旨の関係で同性愛を認められないのであれば、それは致し方ないのですが、どうせ無神論国の日本なのだから同性愛だって普通に接すればいいのです。と、あんまり軽く言っちゃあいけませんかね。でもさ、誰でもあるでしょ?「自分は同性愛かもしれない」と思う瞬間。アタシは中学生頃に一瞬ありました、そおいう時期が。結果としては異性愛者だったのですがね。
そもそも日本の権力者、芸能者と衆道は不可分の間柄なのに、いつの間に男色はこんなにも隔離され異端視されるようになってしまったのか。この辺は調べれば色々研究はされていることでしょう。
現代では性同一性障害は障害ですから病気やなんかに入る訳です。しかし考えてみりゃ「異性を愛せ」とプログラミングされている事の方が不思議だったりします。自分と異なったものを求める事が自然だと言うなら、牛でも犬でも松の木でも自分と違うのだから愛せばいいのに多くの人はそれをしません。同じ種族はキチンと見分けて、なおかつ違う性が対象になる愛のプログラムこそ不思議なものであると感じたりもします。
さっきも書きましたがアタシは異性愛ですので同性愛を実感はできないのですが、ロジックだけで考えると、異性愛は解らん事だらけなんですね。同性愛だってもっと突き詰めて考えれば解らん事だらけなんでしょうが。
そういや、以前野口夫妻とこの劇団の方とで飲んだとき『メゾン・ド・ヒミコ』は解ってないって仰ってました。違う立ち位置の人間がたとえばゲイであり、たとえば役者を描くとき誤解と誇張がある程度伴ってしまうのは止むを得ぬ事でしょう。だからこそ描くという事は神経を使わねばならぬのかも知れません。おそらくゲイの人達にしてみれば『メゾン・ド・ヒミコ』がああいった作品であった事よりも、あの映画を観た人がゲイを作中で描かれている様な人間として捉えられる、つまり自分がそういう人間だと思われる事の方が不快でしょうから。
にしても昔の首相は気持ち悪かったと思います。腹の中で何を考えてるのか解らない人ばかりだったでしょ。そういう人も必要かなぁとは常々思ってるのですが如何?選挙演説でもクリーン政治ばっかり訴えるんではなくて「ダークな部分の処理はお任せ下さい!」とかね。
え~さて、最近部屋の掃除をしています。アタシの部屋はとても汚い、というか物が多すぎて常に氾濫している状態なので掃除や整理は焼け石に水だったりしますが、でもそれでも少しはってんでやってます。色々出てきますよぉ。昔の公演チラシや資料がワンサと。
こんなのとか

もうね、ごく少数の関係者にしか解らん物です。この場所のチケットの半券も出てきました。気分悪いです。つくづくトラウマです、この場所は。片付けしてたら異常に肩凝るのよね。色々ありましたよ。いまだに尾を引いてるもんなぁ。ま、こんな紙切れですが50年もすれば貴重な芸能史の資料ではありますので一応取っとこうかな、と思ってます。はい。
田中麗奈の事を二日続けて書いたらトラックバックがバッコンバッコンきます。有名人でスゲェなあ。でも個人的には上田布袋軒に反応して頂きたいのです。

ついに観ました!あの『デビルマン』を!ずっと観たかったのです。小さな南の島だったら街ひとつ運営できてまだお釣りが来るという莫大な予算を注ぎ込んで制作して、それでいい評判を全く聞かないという大変にソソる映画なので御座いますよ。それをようやく観ました。いやもぉ、素敵なの素敵じゃないのって、もぉ。片想いが叶った様な充実感でした。
パーヘクトな演技。
エックセレントな脚本。
ゴォヂャスなCG。
ナイス!なカメラワーク。
グンバツな監督。
そしてそして1本しか観てないのに3本は観たような
嗚呼、私は何度テレビの前で身悶えした事でしょう。『デビルマン』素敵過ぎました。クロアチアに行く前に『デビルマン』並ぶ傑作と評価の高い『鉄人28号』と『最終兵器彼女』も観ておきたいと思っています。
この作品の監督はモーニング娘。の『ピンチランナー』も監督しているのだそうです。『ピンチランナー』に『デビルマン』何という華々しいキャリアでしょう。是非とも氏には日本のエド・ウッドとなるべく今後も活躍していただきたいと切に願う次第であります。ついでに言うと『デビルマン』の脚本は監督のカミサンだそうです。うわー。
意味が解んねぇ。
演目はといいますと…
『のらくろ二等兵』
『太郎さんの汽車』
『一寸法師 ちび助物語』
『のらくろ伍長』
でありました。そしてこの日は日本アニメクラシックコレクションの即売会も兼ねておりましたのでその中から
『黒ニャゴ』
『かうもり』
『大当たり空の円タク』
『熊に喰われぬ男』
『動物村の大騒動』
『冒険ダン吉』
『のらくろ少尉 日曜日の怪事件』
『紙芝居黄金バット』
を上映したのでした。
アニメや短編喜劇というのはあんまりガッチリ稽古すると本番で自分が退屈するので、稽古では口慣らし程度が普通です。それは決して怠けているんではなくて、本番の緊張感の中でセミアドリブで演るのが楽しいからなんです。怠けているのではないのです、決して。『太郎さんの汽車』なぞは何度演ったか解らない位ですので全く台本を見ずに演ります。これが楽しい。大抵の作品は間違えると「失敗した」と思うのですが『太郎さんの汽車』は完全に頭に入っているので、逆に間違えると「どうやってフォローするか」とその場で考えるのです。それがたまらなくスリリングなのです。アタシは自分が上手いとはあんまり思ってませんが、こと『太郎さんの汽車』は上手いですよ。これは何処で演ってもウケますです。フィルム入手に苦労した甲斐があったというものです。
現代のアニメは子供の為の物なのか、大人の為の物なのか、大人になれない子供じみた大人の為の物なのか、子供で居られない大人びて疲れた子供の為の物なのか分らなくなっている感がありますが、そこんトコいくと昔のアニメははっきり子供の為の物で、だからこそ逆に大人も楽しめるような気がします。
複雑なアニメも女の子が一杯出てくるアニメもいいけれど、もっと単純なアニメもあってもいいやね。アタクシの一番好きなアニメは「魔神英雄伝ワタル」シリーズです。
う~ん単純。
立川流は談志師匠の基準が昇進の条件で、他の団体に比べると前座期間の長い方が多いのが一つの特徴に思えます。外部の勝手な目線ではありますけれど。対して弁士の業界には階級制度がありません。どんな空っ下手でも態度さえでかけりゃ一人前の扱いが受けられます。なので昇進にくろうされている方々を見ると「大変だなあ」と思うのですが、昇進が決まったのを見ると「羨ましいなあ」と思うのです。何とも身勝手な感覚ですね。
どちらがいいかは一概に言えないのですが、ともあれ弁士も業界ルールが必要な段階に差し掛かってきている気がします。今後、職業弁士がどの程度増えるかは解りませんが、弁士を演りたい人は増えていくでしょう。役者、芸人、声優、アマチュア等々ね。プロってなんだという事を明確にしておかないとイカン気がしているのです。自分の腕に自信がない訳ではないですが、必要のない揉め事でイライラするのはもう嫌なのです。
ああ、二ツ目昇進お祝いメッセージをさらっと書くつもりが、またイタン事書いてしまった。ホントは羽賀研二の事とか一寸書いて本題に入るつもりでしたのに。いえね、彼が好きとか嫌いとか良いとか悪いとかは関係なくて、昔出した写真集のペアヌードって言葉は秀逸だと思ってたのです。見事に内容を表してますよ、これは。ヘアヌードよりもよっぽど解り易い。他にやり手がいなかったから定着しませんでしたが、あと何組か出したら一般化したんではないかと思いますよ、ペアヌード。

田中麗奈が好きであります。折にふれ話しておりますが、好きなのです。例のげげげのきたろーを観に行ったのも田中麗奈が好と言うのが理由としてある位です。しかしながら彼女は作品にイマイチ恵まれていない感がありまして、私は心密かに日本のメグ・ライアンと呼んでいるのです。幾ら好きでもイマイチな作品にぶつかると気持ちが萎えるのでチョイと観ていなかったのですが、先日『暗いところで待ち合わせ』を観まして気持ちが復活したのです。復活したと思ったらげげげのきたろーは駄目な映画だったのでまた萎えかけたのですが、驚くべき精神力で持ち直し未見作品をDVDで観たのです。絶対に駄目だろうなと思っていた作品を。何を観たかというと『タイムトリッパー 幻遊伝』『NIN x NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE』の二本でした。
結果としては…どっちもやっぱり駄目でした。
「タイムトリッパー」はね、まあ中国だからいいか、と思えるのよ。物語が破綻していても、設定が噛合っていなくても。いいんですよ、アレで。大陸はでっかいなと思っときゃ。よく言えばインド映画みたいなご都合主義と言えなくもないしね。うん、いいんです。しかし無声映画の中国映画にはもっと緻密なお話があるのですがね。不思議なような、でも不思議でも何でもないような。まあB級映画としてお楽しみ下さいませ、です。
問題は『NIN x NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE』ですよ、ええ。感想はもう少し後で…。
ファンというのの正しいあり方について考える事があります。個人的にはファンなら好きな人が何をしようと支持をすべきだと思うのです。不倫だろうが、名誉毀損であろうが。少なくとも恋人発覚程度で引いてはいけないと思うのです。しかし、駄目なものは駄目と言える感性は誰しもが持っていたいと思うはずのものです。今回観たニ作品は改めてファンとは何かを考えました。
良い所を探して観るべきか?
駄目なものは駄目と断ずるべきか?
どちらでしょうか?考え出すと中々奥が深い問題です。ファンて何か、という事は。
御託はさておき田中麗奈主演作品では『はつ恋』が一番だと思います。『夕凪の街 桜の国』は期待しているのです。で、ですね『NIN x NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE』の感想ですが、悪く書きます。この映画が好きな方は見ないで下さい。
芸人は政治にクチを出すべきではありません。アタシは本当に思っております。
さて、本題。
アタクシの出身校は日本大学の芸術学部という4年間かけてまっとうな人間をヤクザ者にするというスンゴイ学校であったのですが、そんなヤクザさん達とアタイは現在も交流があるのです。それもその筈、自分もやっぱりヤクザなのです。今更言う事ではないかもしんないケド。
今月下旬にいよいよクロアチアに行ってくるのですが、ただ行って、喋って、帰ってきて、それでお終いでは何にもならんのです。この仕事を様々な方に知っていただいて次の仕事に繋げなければいかん、とまあ一応意気込んで学校の人脈を利用して『フリーペーパ共存』のブログhttp://kyoson.blog91.fc2.com/にて紹介して頂きました。というか紹介させたようなものです。記事を書いてくれたのは部活(サークルっちゅうんすか?)の同期だったY嬢であります。当時から私が仲良くしていたのはクセ者が多かったのですが、そのクセ者とも普通に接してくれた方であります。クセ者ばかりの中でやや普通の人だったのでかえってオカシな人に見えてしまうという愉快なポジションをモノにして、しかも酒の席での武勇伝は数知れずの、何だやっぱりクセ者ぢゃんな人がY嬢なのです。
この共存ブログのリンクから少し入ると彼女の書いた小説が読めたりなんかもします。知人の作品に触れるのは妙な気恥ずかしさがありますが、そうした文章を読めるのも時代なのです。Y嬢とも知遇を得て10年ですが小説に触れるのはこれが初で、彼女に限らず大学時代の知人達が、そもそも何をしたくてゲージュツ学部に居たのか、自分は何も知らないのだと気付いてしまう、そんな日なのでした。
にしても本当に言葉を発するのが容易な時代になりました。ほんの10年前までは大きく壁としてそびえていた、不特定多数の人に己の作品を問うというプロとアマの差があっさり取り払われてしまった格好です。でも、こうして10年もしてから知人の世界に触れられるのであれば、そして自分を紹介してもらえるのであれば、何も考えず時代の恩恵に与るのも決して悪い事ではないのでしょう。
なんだか上手くまとまったっぽいので、今日はここまで。
一本目は学生演劇、早い話が後輩の舞台。誰も知らんけど。

『永遠のさがしもの』
日本大学芸術学部文化部連盟ミュージカル研究会 2007年度6月公演
会場/アートボックスホール
演出/木村亜未佳
脚本/中原真理
学生の作るミュージカルなので完成度云々は言いますまい。皆で頑張っていたのでしょうから、それで良いのです。決して駄目だったと言っているのではないのです。ただ、自分もあんな事を演っていのだと思えば、それはとても懐かしく、柑橘系の香りすら漂ってきそうな照れが生まれるのです。そんなに一生懸命関わっていたりはしませんでしたから嘘ですが、でもやっぱり懐かしいのは事実。
公演時間は一時間とコンパクトで非常に良い判断だったと思うのです。一時間の舞台を観てもらうのに一体何時間を稽古に費やしたのか、それだけで偉いと言わねばなりません。と同時に思うのは自分も一時間以上の仕事はザラにありますが、はたしてこれは本当にもっているのかどうかという事です。考えてみれば他人の時間を一時間貰っているのだから役者や芸人の責任というものは大変なものがあります。たとえ万雷の拍手を頂いても、たった一人退屈していたらどうするのか?たとえスタンディングオベーションだったとしても、たった一人退屈していたらどうするのか?たとえ涙と笑いと感動が場内に渦を巻いていても、たった一人旗本退屈男だったらどうするのか?考えれば考えるほど不安は増大します。普段は考えないような事、考えないようにしている事が学生の舞台に触れるといきなり現出してくるのは不思議な感覚です。
とかクドクドしく考えていると、この日舞台に立った人、あるいはスタッフとして働いた人の中から誰かがプロとして現場に入る日がくるのかなぁと思うのです。そしてその時彼ら彼女らは後輩の舞台を観に来て何を思うのか。その辺に興味があるのです。