著作権は非常にデリケートな問題です。しかも我々弁士はパブリック・ドメインの制度なしでは営業になりませんので少なからず興味のある問題ではあります。
私がこの辺についてどう考えているかは後日改めて書くこともあると思いますので今日は事態の紹介だけに留めますが、著作権は何の為にあり、芸術作品を始めとするあらゆる著作物は何の為に生み出されるのかを考える必要はあるだろう、という事です。
ここ数年、日本人は政治に対する関心が高くなってきました。それがワイドショー的な関心であるにもせよ、意識が向いている事は大切な事と言えます。政治に対する長い無関心の時代に、偉い人達は政治を私物化するのに慣れてしまっていた事が、ようやく我々庶民も理解出来てきた訳です。
庶民が無関心でいると、偉い人達は信じられないようなルールをいつの間にか決めてしまう様です。そういう人を偉い人とは本来は呼んではいけないのですが、現実問題として、やっぱりそうなのです。
で、著作権の世界にもそれが言えます。あの鼠はどうしてあんなに守られているのか。
儲かるもので儲けたい気持ちは理解できます。とはいえ、我々のような一介のファンとしては、優れた芸術作品が銭儲けのシステムにがんじがらめにされているのを見ると切ない気持ちになるのです。そうでしょ?
なぜ、著作権の問題は直ぐに金の問題にすり替えられてしまうのか。そんなやり取りや理屈を見聞きすると我々は思ってしまうのです。偉い人達は結局芸術作品を金儲けの道具としか捉えていないのだな、と。
そんな態度こそが、本当は著作者の名誉を最も疵付ける行為になるのではないか?
感情的過ぎますな。感情と法律は分けるべきなのでしょう。でも…ね。
勿論、権利を主張する人々が皆銭ゲバだと言っているのではありません。無論です。
しかし著作権に関しても我々は政治と同じように関心を持ち、監視の姿勢を持つ必要はありそうです。でないと著作権が無限に伸びてしまいそうです。著作者が70歳で亡くなったのに著作権は著作者の死後100年とかいう法律だって、このままいけば出来かねないのですよ。著作者の人生よりも遥かに長い著作権。これって滑稽ですわね。
最後に著作権に関して考えるのに、とても参考になるブログをご紹介します。ときどき覗いては成程と感心しているのです、アタシ。
エンドユーザーの見た著作権http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/