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 澤登一門は一門の名の通り徒弟制をとっています(駄洒落みたいになっちまった。ま、いいや)。アタシはそこの一番弟子=総量弟子でして(また駄洒落…意図してないのに)、その立場に対しての相応の自負を持っているのであります。

 そんな感覚で過ごしているとね、どうも信じられない事が多いのよ。師弟関係を選んだ人間とは思えない行動をよく目にし、耳にするのです。思いつくままに挙げると、破門(クビ)になったのにそれを独立と称して続ける人。入門して初めて楽屋に入ったその日に突然消える人。トラブルがあった後からまともに師匠とも連絡をとらなくなり、師匠の会にも一切来なくなる人。「辞めます」のメールだけでどこかに行ってしまう人。HPまで作って師匠の悪口を言う人。

 これ全て実話ですぜ。しかも俺が弁士になってから起こった事ばかりなのです。活弁界だけではありませんよ、他の業界の話も含まれてます。こうした事が起こる背景には師弟関係の現代社会に於いての消滅があると思っています。師匠と弟子を先生と生徒の関係性で捉えるから上に挙げた様なトンチンカンな連中が出てくるんです、きっと。どっちかていうとね、師弟関係というのは親子に近いと思います。ましてや芸界は弟子が師匠にお願いをして入れてもらう訳ですから、弟子の勝手な意見で離れて行くなんざ身勝手もいいところなのです。

 別にビール瓶でぶっ叩かれたりして、それでもなお付いて行くべきだとは言いませんがね。でも黒い物でも師匠が白と言ったらその場では白なんだ、位の覚悟もないのに弟子になんなよ、と思うのです。

 談志師匠は小さん師匠に破門にされたといい続けているのです。放送局が気を使って「立川流を創設」とだけ言った時には「破門が抜けてるよ」と御自分で付け足されたのです。破門にしても、されても師弟なのです。そういうのに憧れを感じないかい?感じないのに誰かの弟子になるのかい?正直理解できません。
 
 きっと、アタシは昔の芸人に対しての憧れが強すぎるのでしょう。だから師匠に服従するスタイルが師弟の形だと信じてしまうのでしょう。時代が違うといったらそれまでです。自分の理想を同世代の芸人に求めても仕方ないのです(でも、仲良くしてる人たちは殆ど同じ了見のはずです)。

 少なくとも徒弟制をとるなら引き締めが必要な状況になってきている気がします。例えばね、師匠が弟子を破門にしたとしましょうか。その破門にされた弟子がキャリアは浅いけれどそこそこ売れていたとします。これまでの常識から言えば、売れていようが何だろうが真打になる前なら破門になった段階でプロではなくなるのですから、名前も取り上げられ、以後の決まっている仕事も全てキャンセルとなるのが当然です。でもね、最近の状況を見ていると、そんな時、破門になった弟子が損害賠償請求の訴訟を起こす可能性もあながち否定できないのです。「職業を取り上げる権利は師匠にはない。又、契約書も交わしていない」とか言って。
 
 きっと起きると思います。

 それで良いと思いますか?アタシャ思わない。

 ある方にも言われました。「いまどき弟子師匠だなんて古臭い」って。確かに古臭い制度かもしれません。でも、最近の社会でよく採用される実力主義、成果主義って人を育てる事を考えてない気がするのです。勝手に育った奴を使うっていうのは経営者・雇用人の手抜きではないのかしら。育てることの大事さってきっとあるのです。

 今の若手弁士って言われてる一群の中で、俺はスタートラインでは一番下手だったと思います。冷静になればそれくらいの判断は出来ますやね。でも今、俺が一番下手とは言わせない。横並びかもしれないけれど、だけど他の連中に劣っているとは断じて思わない。むしろマシな方だと自認してます。

 それはやっぱり育てて貰ったから言えるのです。

 弟子師匠の関係性は古いです。確かに。

 だけれど、古いって事はイコール悪いって事じゃないよね。
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|10/28| もやもやコメント(0)TB(0)
オーパーツ

 この一ヶ月は急がしかったのです。忙しかったおかげでそこそこ収入もありましたが、何にしてもバタバタでした。それも昨日の無声映画鑑賞会で一区切り付いたので、帰り道でささやかな無駄遣いをしましたよ。何となく欲しいと思っていた本を買ったのです。それがお写真の本です。

『【決定版】超古代オーパーツFILE』

 オーパーツって御存じ?正式にはOut of Place Artifacts(=場違いな加工品)と称される謎の物質群ですね。水晶ドクロとか、完全な球体の石とか航空力学に叶った飛行機の模型とかが世界各地にあって炭素検査をすると紀元前の生産物なわけよ。現代の技術でも同じ物を作ろうとすれば莫大な金額が掛かるような物が紀元前に造られていた。ワクワクするじゃありませんか。大好きなんすよ、オーパーツ。

 こういう話をするとね、女の子達はやれやれって顔をして「男の子ってホントそういうの好きよね~」って言うんです!良いぢゃねいか。好きなんだから。アタシは恐竜も好きです。オーパーツみたいに意味不明なものでなくとも古代文明も好きです。どれもこれも詳しくはありませんがね。あ、あとね遺伝子とか量子力学とかも勉強してみたいとは漠然と思います。

 宇宙ってね、膨張を続けてるんだぜ。でね、この宇宙の大部分を構成しているモノがあって、それは確実にあるんだけども機械で計測できないんです。それをダークマターと呼んでいるのね。このダークマターの正体が解ると宇宙の発生の仕組みがかなり解るんじゃないかと言われていたりいなかかったり。

 全ての知識はかじっただけで、しかもうろ覚えなのです。専門で研究されている方には腹立たしいくらいの無知であり誤解なのでしょう。でも勝手にロマンを感じるくらいは許しておくれよ。

 芸人としては明治生まれ、大正育ちに憧れます。活動写真華やかなりし頃、寄席に行けば名人上手が百花繚乱と咲き誇っているんです。憧れは尽きません。ですが、こと文明に関しては現代人で良かったとしみじみ思います。調べようと思えば一庶民がメソポタミア文明の事も、深海の事も、クローンの事もそれなりに知る事が出来るのです。明治時代には考えられなかった事です。未来にはもっと色んな謎が解明されて、だらに新しい謎が生まれるのでしょうか。それを思うと心躍るのです。

 オーパーツに思いを馳せてみなさいな。活動写真なぞ昨日の出来事ですよ。
|10/25| もやもやコメント(0)TB(0)
 無声映画鑑賞会の日でありました。演目は以下の通りナリ。

●『地雷火組』
  1927-8年作品
  原作/大佛次郎
  監督/池田富保
  主演/河部五郎、大河内傳次郎
●『鞍馬天狗 恐怖時代』(26分)
  1928年作品
  原作/大佛次郎
  監督/山口哲平
  主演/嵐寛寿郎、五味国枝
以上、説明/片岡一郎

●『砂絵呪縛 第一、二篇』
(90分)
  1927年マキノ作品
  原作/土師清二
  監督/金森萬象
  主演/月形龍之介、鈴木澄子
  説明/坂本頼光

 師匠の出演はありませんでしたが、どうやら形になる程度には集客もあり、ヨカッタヨカッタ。

 今回のテーマに関しては前説で話した事ですが、自分の考えとしては幾らか面白かったのでこちらにも書きます。

 今回は「大衆時代小説」がテーマでした。大衆という言葉が指すものは一体何か?多くの場合、大衆と冠される物は大量の消費を前提に供給されている物だと思います。大衆演劇には多くの場合、上演台本がありません。あるのは口立ての筋だけですね。大衆芸能、すなわち落語や講談、現在のお笑いは当然ながら完全な公演記録は存在しません。大衆食堂で細かなレシピはないでしょう。

 大衆というのは明確な主体がありませんから常に流動的な存在です。そのため保存という概念はありません。大衆文化が保存される時、それはその文化が大衆の手を離れた時だと判断して問題ないと思います。

 で、本日の上演となるのですが、言うまでも無く活動写真は大衆娯楽の花形でした。少なくとも現在の映画とは全く様相を異にする、生活に溶け込んだ文化現象であったのです。そして時代小説もまた現代とは全く意味合いが違います。今では小説そのものが全体的に地位を得てしまいましたが、このころの大衆小説というのは現在の漫画位の位置であったとみて差し支えないでしょう。漫画を悪く言っているのではありません。浸透度の話でアリンス。さらに申せば活弁なんというのは完全に大衆娯楽です。落語や講談といった先行芸能からの系脈に突如現れ、時代を象徴する如き人気を博し、トーキーの発明と共に一気に衰退した文化、これを大衆娯楽と言わずして何を大衆娯楽と言いましょうや。言い換えれば活弁の衰退はトーキーが発明されたからで無く、トーキーの発明によって大衆の関心が発声映画に移った為なのです。この違い解りますかな?

 てことはですね、大衆娯楽を保存して公開するというのは、実はそれだけで非常にパラドキシカルな空間になるのです。

 大衆の手からこぼれてしまった物をあくまで娯楽作品として見せるという空間、面白いと思いませんか?文化にはそういう楽しみ方もあるのです。今にも通じる、なんてな事ばっかり言っててもしょうがない気がするのです。演出次第で無声映画は全く違った顔を見せるはずなのです。

 なんてことを、フト思ったのでした。

 芸の内容については気が向いたら書くかもしんない。
|10/24| 活弁コメント(2)TB(0)
 東京国際映画祭の日(21日)の文章を加筆しました。どうぞよろしう。

 この二日ばかり、拙ブログにも『忠次旅日記』で検索されてくる方が何人かいらっしゃるようです。お悔やみ申し上げます。
|10/23| 活弁コメント(0)TB(0)
ニッポンシネマクラシック

 こんどあらためてちゃんと書きます。とりあえず『忠次旅日記』観てきました。井上先生は素晴らしかったです。何度でも言います。(アタシが)金払う価値を感じる弁士は師匠と井上先生だけです。現状ではね。
 
 それから先日、つい悪態をついてしまいましたが、嘉島典俊の弁士、結構でした。これまで聴いてきた弁士で無い方が弁士をするという企画の中では最高の出来だと申せましょう。

 ほんと今度詳しく書くから。



 てなわけで頑張って書くことにしやしょう。「続きを読む」かなんか書いてあるところを押してくださいませぇ。
|10/21| 活弁コメント(0)TB(0)
澤登翠35周年

 師匠の35周年記念公演が学士会館で行われた日でした。

 ところが、この日はなんと35周年も含め現場3っつ掛け持ちという超多忙デー。師匠のお祝いの会に同席できないのは弟子として忸怩たるものがあります。とても悔しいですし、クビにでもされたらエライ事なのですが、その辺は何とかなりました。が、やはり悔しい。悔しいので意地になって仕込みを頑張りました。トラブルも対処しました。忙しくて食事を取る暇もありませんでしたよ。でもこれ位はしないとアカンだろうと思いましてね。

 ご来場の皆様、ありがとう御座いました。ご挨拶できずに申し訳ありませんでした。

 この日のそれ以外の現場というと某高校の同窓会で喋って、坂本出演公演の音響でした。仕込んで、喋って、音出して、バラして、それから学士会館に戻って打ち上げに参加したのでした。

 終わりよければ、かな。
|10/20| 活弁コメント(0)TB(0)
 前回「拍手くれよ」みたいなこと書いたら四人もの方がしてくれました。ありがたう御座います。これからはその四人のために生きていきたいと思います。

 すんません、忙しいのよなんか…。活動倶楽部の事はちゃんとかくからさァ、今度ね。
|10/16| もやもやコメント(0)TB(0)
第113回 活動倶楽部

 10月は何だかんだで忙しいのです。芸術の秋ってことでしょうか。てことは、アタシは芸術家ですね。アーチストですね。むふふ。
 
 この日は活動倶楽部の日でした。でしたというか、今回は作品選定からパンフレットの原稿書きまでワタクシが中心になって進めさせて頂きました。もっともアレコレ言ってただけで活動倶楽部の皆さんが普段から作り上げてきた基本的なフォーマットあったればこそ、この日を迎えられたのです。ちょっと持ち上げすぎか?んなことぁないよね。

 上映作品は以下の通りでごぢゃります。

●『赤垣源蔵』(昭和4年 監督/池田富保 主演/河部五郎)
●『国定忠次』(大正14年 総監督/マキノ省三 主演/沢田正二郎)
●「玩具フィルム映像集」
●『鴛鴦旅日記』(昭和4年 監督/稲垣浩 主演/片岡千恵蔵)
        全て縮刷版・ビデオ上映
  説明/片岡一郎  ピアノ/柳下美恵

でした。

 珍しい作品揃いとあって場内立ち見の出る大盛況となりました。

 今回の作品のセールスポイントを整理します。

 先ずは『赤垣源蔵』ですが、舞台俳優から尾上松之助に見出されて映画界入り、ある時点においては最高のスターであった河部五郎の重厚な演技が見ものです。そして映画そのものとは関係ありませんが、本作の上映は田中映画社さんにアタシが頼んで特別にお許しを頂いたというのもミソなのです。どうでぇ、ちゃんと色んな人とお付き合いしてるんだ俺は。自慢だ。

 次に『国定忠次』ですが、こちらなはんと沢田正二郎本人の主演で「尼寺」と「御用」の場面が見られると言う物凄い映像なのです。アタシは初めてこのビデオを観たとき声を上げてしまいました。実はこれが一番珍しい。

 三つ目の「玩具フィルム映像集」はまとまった物ではありませんが、玩具フィルムでしか観られない部分が多数ありまして、マニアックなお客さんには大ウケでした。『平手造酒』が観られたただけで今日は価値があった、なんていう方もいました。『平手造酒』の映像って1分くらいしかないのよ。それが一番とは、チト複雑…。

 最後の『鴛鴦旅日記』は現存する千恵プロ作品の中ではもっとも上映機会のない作品でありまして、おそらくこれを目当てに来た方も多かったと思われます。全8巻の作品ですが現存部分は30分強、半分以上が失われています。しかしそれでも稲垣監督の才気溢れる監督振りは如実に伝わってくる佳品であります。

 何かね、最近いろんな方に「上手くなったね~」って声を掛けられるのよ。有難いですよ、それは。でも、近頃納得行かない出来が多くて、それが自分の中で引っかかってるのです。我ながら下手だなぁ、かなんか思ってるところに「上手くなったね~」なのです。イヤミでいってるので無い事は充分解りますし、嬉しくもあるのです。救われもするのです。けれども、うぅむ。

 てぇかあれか?以前の俺様はそんなに下手だったか?下手だったでしょうなぁ。現在までお付き合い頂いている皆様、ホントにありがとう御座います。これからもよろしくお願いします。来月は僕の誕生日です。ご祝儀お待ちしています。
|10/14| 活弁コメント(0)TB(0)
 ブログ拍手とか言うのがついてるでしょ?ここ。HPにはWEB拍手とかいうのもありますわな。これって何だか世間の人は知ってるものなんでしょうか?私は最近まで知らなんだ。

 要はあれですね、見た人が好意的な意思表示を手軽にする為のツールって事ですね。違いますか?そうだと思ってるのですが。

 で、このブログ拍手が気になるのです。トラックバックは何にも気にしてません。コメントもお好きにどうぞなのです。でもブログ拍手は欲しいのです。なぜか?きっと拍手という言葉故なのですね。私は拍手を気にする芸人です。喋り終わった後に拍手があると心底ホッとします。気が小さいのですね。だから知人の舞台や何かを観に行った時、いえ知人に限らず、拍手は一所懸命してしまいます。たとえその舞台が詰まらなくても。

 あ、あなたの舞台ではないですよ。

 明日は我が身ですからねぇ。拍手をしておけば自分にも拍手が来る様な気がして、ええ。

 ところでブログ拍手の反応を見てると突然昔の文章に拍手が来る事があります。きっと検索か何かで来た人なのでしょう。で、折角だから自分も過去の文章を読み返す事もあります。数ヶ月前の内容は最近よりもイガイガしてます。逆に言えば此の所のオイラは穏やかなのです。良くないっスね。アタシは愚痴を垂れてるくらいが丁度いい。

 拙ブログは愚痴ばかりと某氏に言われた事があります。それは見せるべきではないって事です。でもね、愚痴は大事なんですよ。誰でも心の中に不満や不安を抱えてるでしょ?それらの不満不安は多くの場合は不明確なものなのです。何だか知らないけれどイライラするとか、将来に対しての不安とかです。これらを愚痴にしてやる、つまり自分の力で言語化してやると不満不安が実体化してきます。得体の知れない不安の正体が掴めればシメたものです。あとは対策を考えていけば良い。

 一般に悪いイメージばかりがある愚痴ですが、人が生きる為に愚痴は忘却とならぶ極めて重要な機能なのです。

 ま、もっとも愚痴で終わっちゃいけませんし、ましてやそれを衆目に晒す意味などないのです。ではなぜ意味がないと知りつつやっているかといえば、たまに居るんです、愚痴の上手い人が、面白い人が。過去何人か見ていますが、彼らの愚痴は一種エンタテインメントと化しています。具体例がぱっと出る訳ではないのですが、貴重な能力と言えましょう。

 サウイウモノニワタシハナリタヒ
|10/13| もやもやコメント(0)TB(0)
NEW 映画と私 VOL.10

というシネマ・エッセー集が年に1回発行されています。そこに拙文を掲載していただきました。私は今回で三度めなのですが、レギュラー執筆人には師匠がいたり、柳下さんがいたり、梶田章先生がいたりと個人の方が発行しているエッセー誌としてはこだわりのある良い誌面です。今回はさらに佐藤忠男先生や、母校の先生で卒業後に大いにお世話になっている田島良一先生、それから以前ご一緒した歌手の佐藤みづほさん等々、多彩な顔ぶれであります。

 毎回発行人の藤岡さんからテーマが指定され、それに関して書くのですが、今回は10号記念ということで「わが歴代ベストワン」がテーマでした。選ばれた作品も『ロード・オブ・ザ・リング』から『吸血鬼ノスフェラトゥ』まで新旧が混ざり合い楽しい内容になっています。なっています、と言ったって全部読んだ訳ではありませんが、楽しい内容になっている事でしょう。さらに巻末には澤登翠特別インタビューが掲載されておりまして、こちらも良くまとまっておりました。

 ちなみに私のベストは『エル・スール』で御座います。

 「NEW 映画と私」にご興味の方はコメントとかメールとか電話とか直接とか、やり良い方法でお問合せ下さいませ。発行人の藤岡さんに取り次ぎますので。価格は900円也。
|10/11| 活動コメント(1)TB(0)
 仮に正しいことを言っていたとしても、普段の行いが悪かったり、そうでなくとも態度が今一歩な人が言えば、その正しさの内半分も認識して貰えないですね。
 
 仮に間違ったことを言っていたとしても、普段の行い良かったり、そうでなくても態度が良い人が言えば、その間違いは大きな問題にはならずに済みますね。

 日頃の行いが大事です。

 何とかしなければいけない事があるのです。

 誰でも「自分は正しい」とどっかで思ってるのです。アタシだって思ってますよ、そりゃあね。でも、そんな事ァないんですな。大抵の場合。

何を言っているのかオイラは。問題があるなら変えるべく動くしかないのにね。
|10/10| もやもやコメント(0)TB(0)
 アタシはじゃんけんが弱いのです。大抵負けます。じゃんけんで人生が左右された事はないので構わないっちゃ構わないのですが、それでも「じゃんけんは心理戦だ!」みたいな主張を目にし耳にすると、やっぱり一寸凹みます。

 そうか俺は人の気持ちを察する能力に欠けてるのか。

 そんな風に思うのですね。心当たりはありすぎる程にある。人の気持ちなんか解っかんねえよと言ってみるも世の中には確かに見抜く力を持ってる人がいます。

 つまり洞察力、集中力が高いのでしょう。

 羨ましい限りではありますが、洞察力は鍛えれば鍛えられるモノなのです。なので私の洞察力の低さは私の怠惰故なのです。ああ、何たる事。きっと私は『カイジ』みたいな世界では生き残る事が出来ないのです。というか、打ち上げの席などで自分の気の利かなさにガッカリしているのです。

 なのでじゃんけんに勝てないのは当然の帰結と言えます。みんなでやるじゃんけん、ありますね。勝った人だけ残って負けは降りていくやつ。あれも学生時代から考えても勝った記憶がありません。もしかしたら一ぺんくらいはあるかも知れませんが兎に角少ないです。

 そんな私がじゃんけんに勝ちました。みんなでやるやつに。みんなのじゃんけんに勝った、これは今年の10大ニュースに入る快挙と申しても良い。ついに私にも洞察力が芽生えたのです。これからの活躍はさぞかし素晴らしい事でしょう。めでたい限りです。

 写真はじゃんけんの戦利品です。スズキさんなら正体が解ると思います。てか、また行ったの?みたいな。
じゃんけんの戦利品

|10/10| もやもやコメント(0)TB(0)
安全安心かわら版 第四号

にて取り上げて頂きました。対談記事であります。対談のお相手は宝井琴柑さんです。彼女は楽屋のコロポックル…ぢゃねえや、キジムナー…でもねえや、そうだ楽屋の座敷童子と呼ばれているのだそうで、間近で見ると確かにそんな感じです。和服だともうそのテの妖怪です。褒めてるんです、アタシとしては。

 「安全安心かわら版」というのは防犯や災害対策を周知させる為に発行されているフリーペーパーでして配布拠点としては以下の様になっております。

■ 配布拠点(順次拡大中!!)
只今、地域限定配布中、配布部数に限りがありますので、お早めにどうぞ!

● 地下鉄の駅: 岩本町・馬喰横山・浜町・菊川・住吉・西大島・東大島・篠崎・両国・森下・月島・浅草橋・浅草・宝町・春日

● セキュリティショップ: 秋葉原ITセキュリティ・マックスガレージ東京店
マックスガレージ名古屋店・マックスガレージ福岡店 他

● その他:全国の鍵屋さん
● 閲覧: 全国の都道府県立図書館及び県庁所在地の中央図書館等の公立図書館



 今回の記事は凄いですよ、みんなで活弁についてくっちゃべった語り合った内容が見事に記事になっておりまして、なんと8Pにも及ぶロングインタビューです。何かね勘違いしてしまいそうです、ワタクシ。価値のある人間なんぢゃねえか、ってね。

 是非見てやって下さいまし。
|10/08| 活動コメント(0)TB(1)
 口演でしたよ。

 地味に展開しております中国無声映画も何と10回目だったそうなんですね。アタシャ気が付かなんだ。気負わずにやるのが良いんでしょう。ま、本番前は毎回気負ってますけんども。

●『国風』(1935年・中国 聯華影業公司)
 監督/羅明佑・朱石麟
 出演/阮玲玉・黎莉莉・林楚楚・鄭君里
 
 弁士/片岡一郎
 音楽/五十嵐正史&森田博(ソウルブラザーズ)

 本作は阮玲玉の遺作でありまして、何度か書いてるかも知れませんが阮玲玉は中国無声映画期を代表する女優なんであります。しかしながら本作公開直後に自殺でこの世を去ってしまいました。残された作品を観るだけでも素晴らしい女優さんでして、あまり観る機会が無い中国無声映画ですが、演技力は無声映画にあまた居る女優さんの中でも屈指の方だと思っています。無声映画ファンの方は洋画と日本映画ばかりではなく阮玲玉も観なきゃアカンと思います。実際のハナシ。

 それからこの『国風』は監督兼脚本の羅明佑が国民党と近距離にいたようで蒋介石が提唱した新生活運動のプロパガンダ映画なんですね。なのでやたらに字幕が説教臭い。説明台本を書いていて、どうしたもんかと思いましたが五十嵐さん森田さんお2人のギター演奏の力も借りて、どうやら青春映画らしくなりました。良かった良かった。もっとも皆に「片岡君の語りは説教臭くないからね」と言われましたが、それってあれかい?人様に何か意見をしてもオイラ無駄って事かいな。否定出来ないのだけれどもね。

 そんなこんなで最近遅ればせながら近代中国史の勉強をしています。いや、今までだって折に触れて本を読んだりしてきましたよ。しかしながら世の中には何と知らないことの多い事でしょう。普通に日本で暮らしていて中国の近現代史を把握している人はあんまり居ませんやね。それは教育の現場で中国(というかアジア)との関わりをきっちり教えないってことにも起因してるんですが、ともかく我々は中国について知らないんですね。日中関係がこじれているのが何故か?学校では教えてないんでしょうなぁ。教えたくても教えられないのかも知れません。教員の人達の有名な組合の関係性で。
 
 21世紀はアジアの世紀だ、と前世紀から言われておりますが来るんでしょうか。そのとき日本はアジアでしょうか、それともどっちかといえばアメリカでしょうか。

 話がカタくなりました。

 最近中国製品が問題になっちょりますね。鉛が入ってるとか何とか。アレ、良く判らないんですがどうして鉛が入るんでしょうかね。手抜きをしたから鉛が入るってもんでもないと思うのですが、さてさて。

 なんにしても中国製品は確かにいいかげんおおらかな物が多いようです。中国映画のDVDも英語字幕が出せるようになってますが、明らかに訳している人が分んなくなっちゃって無理矢理漢字を直訳している英文によくぶつかります。いっそ中国語字幕のままの方が判り易いという、何の為の英語字幕だか、てな事があります。特にことわざ・慣用句では対応する英語が思いつかなかったんでしょう。完全に意味不明の文章になってます。愉快ですよ。リージョンコードも1のはずが日本のプレイヤーでも問題なく再生できるし、PALって書いてあるのに日本のプレイヤーでも問題なく再生できるし、不思議の国であります。ハイ。

 著作権もまだまだ無法地帯と聞きますが、はてさて。
|10/07| 活弁コメント(0)TB(0)
 エリカ様がテレビで泣いたそうで。

 女優の涙は世界で最も信用ならん物です。もし本当に泣いたんだとしたら、怒ったり泣いたりがメチャクチャなんですから情緒不安定というのですソイツは。ソイツなんて言っちゃいけません。楽しませて頂いております。がむばって頂きたいものです。

 新・文芸座でエイゼンシュテイン特集でした。
魅惑のシネマ・クラシックスVol.8

 何か未見の無声映画を観る度に我が身の不勉強さを恥じる日々でありますが、今回もやっぱりそうでした。『戦艦ポチョムキン』はこれで3回目ですが『十月』は初めて観たのです。ビデオは持ってます。でも観てませんでした。無声映画はビデオで観るには不向きなのです。ほら、モノクロ・サイレントでしょ。テレビ画面の中より外の方が刺激が強いのです。だから自然と集中力が削がれてしまい、エラい疲れるのですよ、テレビ画面で無声映画を観るのは。だから買うだけ買って観てない無声映画のDVDやらVHSやらが我が家には結構あります。ほら、相当の落語ファンでも落語の速記を読まないでしょ?持ってても。うん、そんな感じです。

 さて『十月』ですがいや、凄えのなんの。圧倒的な迫力でした。タイトルからも解るようにかの有名な十一月革命の映画です。かの有名なたってどんな革命だか私は説明できません。だからきっと私はこの作品を理解はしていないのでしょう。ついでにいえば『戦艦ポチョムキン』だって理解してやしないのです。それは私だけではなく、世界中の人においてもそうは変わらない気がするのです。歴史認識が甘くとも充分に鑑賞に堪えうる映画なのは間違いないのですが、歴史認識を持たずに観ることの意義はどこにあるのか、とも思います。それ位、この両作品は歴史を前提にして撮られた作品だからです。

 我々が通常映画と呼んでいる物はは劇映画のことです。しかし映画はそれ以外にも記録映画もあればドキュメンタリ-もあるのです。『戦艦ポチョムキン』も『十月』も劇映画ではありますが、今日的な視点からすれば圧倒的にプロパガンダの役割を担った作品と言えるでしょう。

 思うに、無声映画期の映画が現在の映画より(ある一面においては)豊かだったと思えるのは、こうした作品に巨額の予算が組まれて制作されていたからと言えなくもありません。映画の力が現代よりも遥かに強かったのでしょう。そうした背景を持って造られた映画はたとえモノクロ・サイレントでもやっぱり豊かであるのは事実なのです。

 そして思うのですが、この時代の作品は国ごとの作風がちゃんと違います。ロシア映画は独特の重厚さを持っています。中国映画は外国からの脅威を常に意識している為に独特のメッセージとそれを伝える為のリズムを持っています。アメリカ、イタリア、フランス、ドイツ、そして日本それぞれに特色があって、それらは映画技術としての優劣はあっても独立した表現としての優劣はないと言えるでしょう。

 ここ数年で急速にグローバル化が叫ばれています。世界が一つになるのは良い事なのでしょう。でも一つになることで、あらゆる物が均一化してしまうのは良い事なのでしょうかね。グローバルまで広げなくとも関東と関西の文化がテレビによって混ざってしまった事を憂いている人は多いのではないかと思います。あの中途半端な関西弁が横行している状況はどうにかならんのでしょうか。

 イリオモテ島やガラパゴス諸島の生態系を生んだのは隔絶なのです。違いは悪ではないのだから、やっぱり無理に世界中を繋ぐ事はないんではないかと、ふと思ったのでした。
 
 でも十一月革命を知ってから観るほうが良いんでしょう。弁士がいるとこういう作品こそ便利です。手前味噌ですが、歴史的背景を解説して貰う必要がある作品には弁士だとか、それに類する人の介在があった方がいいように思います。きちんと勉強して台本を書く弁士という前提付ですが。
|10/05| 活動コメント(0)TB(0)
 沢尻エリカが大変な話題です。

 面白いものね。いや、実際あれは凄いですよ。テレビ見てても皆楽しそうにコメントしてるぢゃないですか。朝青龍のサッカー映像に匹敵する面白さです。「別に」は。

 別に目くじら立てる程の事もあンめぇと思いますやね。

 沢尻会ってのもあるんでしょ?エリカ様って呼ばれてるんでしょ?

 舞台挨拶では行定監督も楽しそうでした(苦笑かもしんない)。行定監督には『春の雪』の時にとても良くして頂きましたっけ。監督お元気かしらん。あぁ、知らん方に今更宣伝。アタシ『春の雪』(2005年 監督/行定勲)に弁士として出てるんです。顔は写ってませんが、喋りはばっちりデス。何となく書いてしまいましたが、ホント今更で恥ずかしいっスね。ま、いいか。

 さてそんな僕ですが、先日、穂高健一さんという小説家・ジャーナリストの方に取材をして頂きましたので、そちらをご紹介します。穂高さんは日本PENクラブの広報委員も担当されている方であります。そちらも是非御覧頂きたい訳です。

 
 【よこ顔】無声映画は静かなブーム。新進気鋭の活動写真弁士=片岡一郎さん
(上)http://news.livedoor.com/article/detail/3321717/ 
(中)http://news.livedoor.com/article/detail/3323669/ 
(下)http://news.livedoor.com/article/detail/3325445/

 記者さんのHPから御覧頂く方法もあります。
 穂高健一ワールドhttp://www.hodaka-kenich.com/


 沢尻エリカの話題は客寄せってヤツですよ。効果あんのか知らんけど。
|10/03| 活動コメント(0)TB(0)
 知人の野口聖員さんが出演の舞台でした。
「嘲笑のオペラ ~近松門左衛門作品より/冥土の飛脚・女殺油地獄など~」

 歌舞伎、いやさ近松作品を原典にした舞台でありました。

 歌舞伎は不思議な芸能です。長きに渡りある種の格を保持し続けていて、古い物だとそれだけで馬鹿にするような人にもそれなりの権威を持って迎えられるのは歌舞伎の他にそうはないのではないかと思います。
 
 活動写真の地位の低さったらないのよ。余談ですが。

 そんな歌舞伎ですから多くの作家や舞台人によって、勿論歌舞伎の中からも繰り返し作り直されています。本作もそうした連綿と続く歌舞伎プロジェクトの一環なのかも知れません。

 この公演での演出は役者に演じさせないように演出したとか。演技において「演じることなかれ」という原理は比較的よく用いられます。役者に演じることを禁じる二律背反は確かに立派な演出ですが、その逆説的な発想は素人の心も捉えるものでして、下手な役者や馬鹿な演出家も得意顔でで同様の事を言っているのに遭遇する事があります。それほどまでに演じないという事は難しいのです。我々は誰しもが日常的になにかを演じております。その演技を捨てる事は並大抵の苦労ではないのですね。

 そんな訳ですから、この公演で役者さん達が演技を捨てられたのかどうか、それは簡単に判断してはいけない事なのでしょう。あえて言えば捨てられた瞬間もあれば捨てられなかった瞬間もあるってトコでしょうか。しかし、そうした不完全さ故にこの公演は極めてナマものでありました。完成品でない舞台でした。楽しい舞台でありました。

 大体、芸ってのは基本的に未完成品ですよね。あ、でも神事芸能だとどうなのかしら。もっとさかのぼってシャーマニズムや降霊まで含めると完成品である事が重要になってくるのか…。

 命題を否定して終わる文章ってのも、これまたつまり未完成でありますよ。
|10/03| 舞台コメント(0)TB(0)
 ブログを更新できないときは、

 とても充実しているか、

 ひどく不機嫌かどちらかなのです。

 でも今はどっちもでもアリで、

 そんな精神状態が珍しい気がしたので書いてます。

 今、

 この瞬間は、

 どっちかってえと不機嫌だけれども。
 
 理由はハッキリしすぎていて、

 分解していくと、

 人間なんて単純だ、

 そう思うのです。

 感情の振り幅だって、

 実はそんなに広い訳ぢゃあないのでしょう。
|10/02| もやもやコメント(0)TB(0)
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