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 ネットやら何やらで活弁の事を調べる事は日常的にやってます。

 で、気になる事が一つ。

 色んな人が活弁について語っている。これは素晴らしい。心から思います。ただ、そういう人達が「これってどうなんだろう?」と活弁について思って、その人なりの推論をしたり、あるいは疑問のまま投げ出したりしていおる状況に相当数ぶつかるのです。これはどういうことかといえば、疑問の持ち主のほとんどが答えに辿り着けないでいるという事です。

 例えば誰かが無声映画に対して疑問を持っていたとしましょう。これに対しては文献も相当数あります。ネットでも正確性には若干不安のある記述も多いながらかなりの情報が手に入る。では、活弁についてはどうかというと、そうした情報が極めて少ない。いつだったか書きましたがウィキペディアの徳川夢声先生の項目なぞ嘘八百もいいところで、むしろその情報のソースを知りたいと思ったほどです。夢声先生にしてからがそのザマですから、それ以外に関しては壊滅状態です。

 結局ね、弁士も含めた関係者が知らなすぎる。だからちょっとした疑問にも答えられない。無残もいいところなんである。で、平気な顔してケツカル。

 こう書くと俺がきちんと勉強してるみたいですが、決してそうじゃないの。俺はプレイヤーだから過去の芸をそのまま再現することを目的としてないし、出来ないし。ここで書いてもしょうがないけれど、でも意外と見てそうな気もするんで同業者に言っとくと「歴史とか伝統を俺に託すな。迷惑だ」

 なんでありますよ。

 レコード集めるのも資料を漁ってるのも本音を言えば収集癖があるからやってるン。好きでやってるン。だから飽きたら止めるのよ。それを歴史は片岡の領分みたいに勝手に規定して不勉強の言い訳しなさんな。

 どうっすか?たまたまこれを読んでる弁士じゃないあなた。どこの世界にもいえる事でしょ?こんな事さ。結局どこの世界でも問題は大して変わりゃしないのよ。大体ここで書いてる事はその程度なのね。でも俺は弁士だから悔しいけれど弁士ちうフィルターを通すのが一番楽で、でもそのフィルターを通すと一般の人には急に分かり辛くなるの。なんで急に分かり辛くなるかというと、一般の人に弁士が馴染みがないからで、なんで馴染みがないかというと関係者がちゃんと弁士の事、活弁の事を説明出来ない、その程度の知識もないからなの。

 そういうスパイラルに取り込まれてるんです、ウチの業界は。で、これも多分どこの業界でもある事だと思うのですが、いかが?

 仕方ないっちゃ仕方ない。

 でも

 問題はある。
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|11/26| もやもやコメント(0)TB(0)
 クリスマスが近づいてきましたね。皆さんはクリスマスどうやって過ごしますか?
 
 みたいに、テレビのナレーション風に始まった今日の閑話休題(それはさておき)ですがね、何となく書き始めたはいいものの、こうした話題は自分の手に余る事にあっという間に気付いたのですよ。やっぱ辞めるか?みたいなトコロで右往左往しております。
 
 クリスマスといえば素敵な人と過ごす聖夜ですよね!
 
 ははあ。そうですか、実を言うとね、気にした事がないの。うん。いや、気にした事がないというのはウソね。混むなぁ、とか寒ぃなぁとかそんな風には思ってました。特に学生でなくなってからはイベント日に何かをする気が完全に失せてしまいました。でも楽よ、これ。

 あ、でも、もう街は奇麗なイルミネーションが輝いてますよね、あれってロマンチックだと思いません?

 イルミネーションは割りと好きね。

 ほら、やっぱりあるじゃないですか。世間との接点が!

 ん~でも、あの青いヤツは寒いから好きじゃない。暖色がいい。

 ことごとく抵抗するんですね。嫌な思い出でもあったんですか?

 ない。

 も少し広げてください。芸人なんだから。

 はじめなきゃ良かったとおもってるのに広げろったってねえ…。あ!あのね、なんでクリスマスに夢を見なくなったかっていうとね。

 広げ方が逆です!もういいです、それでどうなりました。

 弟がいるのよ八つ下の。で、弟が小さい時にサンタさんの役をやった事があるの。ホラ、枕元にプレゼント置くってやつ。自分でプレゼントも選んだんだぜ。

 思いのほか良い方向ですよ、それで?

 そしたらさ、弟に見つかっちゃたんだな。それで夢を持ってもしょうがねぇなって…

 要はクリスマス嫌いなんですね?ひがんでますね?

 ううん。嫌いじゃないよ。クリスマスもバレンタインも。お菓子メーカーの陰謀だとか言うつもりもないしね。でもハロウィンは無理があるよね。あれはデ○ズニーの陰謀だと思う。

 いきなりドコに喧嘩売ってんですか!

 『ライオンキング』ってさぁ…ま、いいけど。でもちょっと良いなって思った女の子が「ディズニー大好き」ってキラキラしてると若干困るよね。あと、お土産にクッキー買ってきて「缶は返して」とかも。あ、嫌いじゃないのよディズ○ー。『美女と野獣』は好き。

 クリスマス、クリスマス

 そうそう、クリスマス。あのさ、サンタさんって子供の頃は誰にプレゼント貰ってたのかね。

 大きなサンタさんですよ。

 大きなサンタさんが小さい頃は?

 大きなサンタさんだから小さくないんです!

 赤い鼻のトナカイは遺伝情報のトラブルかなにかで?

 昨日の夜、焼酎を飲みすぎたんです

 サンタの服は何故赤いの?
 
 血まみれ

 元ネタ分りづらいね。それではDVDも焼き上がりましたので、そろそろこの辺にしときましょう。いいクリスマスを!

 何がしたかったんですか?これは。
|11/25| もやもやコメント(0)TB(0)
 久しぶりにブログのデザインをいじってみました。何処に行くのか、俺?

 本日はお知らせが御座います。
 
 いわずと知れた、でも知らない人は何も知らないというアノ劇団。立川志らく師匠が座長をされている下町ダニーローズのHPが出来てしまいました。

 芸人というのは新しい事を始めると最初の何回かは夢中になってだんだん飽きてくるパターンが多いのです。しかし、志らく師匠の芝居熱はどうした事でしょう、回を重ねるごとに高まっております。本当に恐れ入る次第であります。

 今回の公演日程は12月25日~31日というどうするつもり?アグレッシブな日程となっております。是非足を運んで頂ければ過去の出演者としては嬉しゅう御座います。稽古場ブログもありますしね、楽しめるHPになっておりますよ。

 たまに志らく師匠とお話をする機会があるのですが、芝居について語る志らく師匠は何だか演劇青年のようで、過去の演劇青年だった僕は大変失礼ながら胸の中に甘酸っぱい匂いがしてしまうのです。どんな事を志らく師匠が言ってるかは教えてあげない。いひひ。
|11/23| 活動コメント(0)TB(0)
が本日発売であります。
ぷりサガ

 わざわざ告知をするってぇことは、つまり出てるんですね、オイラ。いや、ギャグじゃないのよ。フントに出てるんでよ。驚きますね。
ぷりサガ グレン

 アタクシのブログなんぞをわざわざ読もうって方は頼んだってやらないでしょ?このテのゲーム。だからいいです。気にしなくても。

 そういえば更新がチト間が空きましたが、それは人様には言えない様な事を色々やっていた為であるので心配無用です。いつもの事です。

 あ、ぷりサガのホームページなぞを紹介しておきませう。

 んでね、ゲームの話なんですけれど、僕のテレビゲームの歴史はスーパーファミコンで終わっています。プレイステーションは買いませんでした、もとい買えませんでした。友達はみんな持ってましたけどね、でもあんまり羨ましくなかった事を憶えてます。替わりにテーブルトークRPGをやってました。D&Dとかソードワールドとかガープスとかクトゥルフの呼び声とかね。今でもソードワールドは展開されてるみたいですね。どなたか誘って下さる方がいらしたら参加したう気もします。弁士がGMやっちゃるって企画はどう?

 兎に角ね、アタイのゲームはスーパーファミコンな訳よ。今ではたいした機械じゃないかも知れませんが、出た当時は凄ぇマシンだったんだぜ。若え連中には実感湧かないだろうけど。なので最近のゲームは知りません。全くもって知りません。WiiとかX-boxとか言われても分りません。DSもPSPも強いゲームボーイとか小っさいPS位の認識です。でさあ、そのぷりサガはPS2用のゲームなんですよ。もう少し正確に話すと、元はPC用のゲームがコンシュマー用に移殖されたってヤツですね。合ってる?違ってる?そんなニュアンスで。

 つましPS2なんですよ、ぴーえすつー。スーパファミコン止まりのアタクシがプレイステーションツーですよ。縄文人に鉄砲ですよ、これは。猫に小判、北○鮮に核兵器…。いろんな解釈がありますが、つまり自分の中で持て余してます。片岡一郎とPS2は合わない!

 ん~何ていうかね、ここではPC用18禁ゲームに出ましたって事も書いてます。ストリップに行って来ましたって事も書いてます。俺は1920年代のポルノ無声映画のフィルムを持っていてそれの活弁を人前で演った事があるぞってのも書いた事はないですが、でも書けます。その他にも、良識ある世間の方から見れば、やや眉をひそめたくなるような事も実は平気で公表できる性格なのです。なぜかというと、それらにはそこはかとないマイノリティーの薫りがするからなんですね。マイナーは自分のテリトリーですから問題ないのよ。で・も・ね、PS2はイケマセン、駄目です、眩し過ぎます、マジョリティ臭がプンプンします。これは大変なテレを伴うのです。

 誤解しちゃ困ります。買うなってんぢゃないのよ、むしろ買ってくれと申し上げたい。

 しかしながらこそばゆいのですよ、ぷれすてつー。そういう話ね。うふふ。

 オイラの演ってる役はグレンというガッコの先生です。コイツはあんまり良い人じゃありません。んでもって小者です。なんだ自分にぴったりみたいなね、そんな役。PC版のサンプル画像をみたらヒロインの背後からモミモミ(何を?)している画像があったので、僕はまだそういうシーンを演った事が無く、とても楽しみにしていたら、そこはPS2だったというエピソードも御座います。やっぱ合わねえPS2!

 うそうそ。

 そういう事ですので皆様『ぷりサガ!~プリンセスをさがせ!~』をご贔屓に願います。

 それからねぷりサガで検索してきた諸兄に一言。アタクシは活動写真弁士であります。活弁士ぢゃありませんので、お間違いなきよう。
|11/22| 活動コメント(0)TB(0)
春の雪

 先日大学時代の仲間と食事としました。ひょんなことから。お互いの近況報告をしたり、仲間の娘(幼稚園生)のトイレの面倒をなぜか見るという犯罪スレスレの行為をしながら時間が過ぎたのでありますが、その中で『春の雪』についての話題が出ました。

 あぁ、ご存じない方の為に申し上げますと出てるんで御座いますよ、『春の雪』(2005年・東宝・監督/行定勲・主演/妻吹木聡、竹内裕子)に、弁士の役で。ホントよ。

 んでもってですな、その場には居なかったのですが、やhり同期が『春の雪』を見てくれてたらしいんです。そやつの感想はといえば「微妙だった」と。映画が良いとか悪いとかではないんですね。アタシが出てるって事が「微妙だ」と。

 『春の雪』、悪い映画ではありません。同じ時期に『ALWAYS 三丁目の夕日』がぶつかってしまった為にワリをくいましたが、でもそれは仕方ない。ともかく『春の雪』のアタクシが出ていて、しかも結構良い使い方をしてもらっているんです。ざっくり言えば悲恋物の作品の中で、これからいよいよ悲恋が始まる事を予感させるようなシーンが私の登場シーンです。つっても顔は写ってませんが、でも1分くらいは喋っています。このシーン、評判は良いんです。知人の評価も悪くない、ネットで見ても結構好評なのですが、学生時代の仲間に言わせると「微妙」なんです。

 なぜかといえば、それ以外のシーンは大正時代だし、きちんと映画なのに、そのシーンになるとイキナリ知人の声が聞こえてくる。しかも最近の知人と違い素人時分の知人であります。アタシが酒飲んで歌ってるところも、酒飲んでクダ巻いてるところも、酒飲んでひっくり返ってるところも、みんな知ってるんですな。とたんに現実になってしまうんだそうです。

 この話を聴いて思い出したのが「ヤクザは故郷にいられない」という話です。

 チンピラとか悪餓鬼はいつまでも地元にいたりしますが、ヤクザも偉い人になると故郷にはいられないんだそうです。いられないといっても地域住民がヤクザを追い出すんではないんです。ヤクザの方で居辛くなってしまうんだそうですね。そりゃそうでしょう、色んな努力をして危険な橋を渡って、ようやく兄ィとか親分と呼ばれるようになったのに、地元にはその親分が昔おねしょして泣きべそかいてた頃を知るジジババがウヨウヨしてるんです。

 これではとても睨みが利かない。

 それでヤクザは故郷にいられないんですね。もっともこの話は地域のコミュニティが十全に機能していた時期の話ですが。

 アタシはちっとも売れちゃあいませんが、それでも『春の雪』に出たりクロアチア行ったりしてます。ぼつぼつ素人騙すにゃそれなりのキャリアを積んできています。だからこそ、どんなに売れても変わらず付き合ってくれる友人というのは大切にしたいものですね。いい歳の取り方がそうした仲間がいれば出来ると思うのです。

 歳の取り方といえば、先日某氏がテレビにちょっと出ていたそうです。某氏ってのは某氏なのですが、この人随分老けたとその番組を見た人から報告を受けました。以前、新聞記事で見たときにも乾いた爬虫類みてえだなと思ったもんですが、きっと良くない歳の取り方をしているんでしょう。昔はちったあ美人で売ってたに。悪い事すると醜くなるよ、やっぱ。
|11/16| もやもやコメント(0)TB(0)
 左肩の公演情報を更新しました。お忙しい事とは思いますがお運び下さい。お忙しくない方もお運び下さい。のほほ。

 昨日のアクセスがなぜか3ケタでした。昨日までに公演情報を上げときゃ良かったね。

来年の仕事もボツボツとではありますが決まっているものが数件あります。ありがたい事です。だってそうでしょ。こんな根無し草のアタクシに来年の仕事を下さるという事は、片岡一郎が少なくとも来年までは弁士をしているだろうと思って下さる方が居るという事なのです。辞める気は無いとはいえ、時折不安にかられる私としては何よりの励みであります。本当にありがたい事です。
|11/14| 活動コメント(0)TB(0)
某所(非常に閉ざされた場所)で別のブログを書いてみたりしてます。そちらでは長文ではありません。なんせ携帯から書いたりする位だもの。

 何ゆえそんな事をしているかというとチョイ複雑なのでクドくは説明しませんが、一ついえるのはそちらでは活弁の「か」も出していないという事ね。

 今の自分は生活においても精神的な部分においても活弁が大きなウエイトを占めています。と思っています。

 でも本当にそうなのか。私と活弁は不可分のものなのか。単純にそう思いたいだけではないのか。またぞろ小理屈が始まったとお思いの方もいらっしゃるでしょうが、こちらはそういう場なのです。弁士としての自分をとりあえず言語化する場として設けているのです。このページのてっぺんにも「宣伝のつもりでした…」と良い訳がペタンしていあるでしょ?

 逆に言えば宣伝ではないのです。

 もう一つのブログは極めてフラットな内容です。てかそうなるように努めています。弁士と切り離した自分がどんな人間なのかを言語化しているのです。それはそれで楽しい試みです。

 完全に宣伝ではありません。

 「これが無くなったら自分が自分でいられない」と思っているものを意図的に遠ざけてみると気付かなかった自分が見えてくるかもしれないと期待しているのですが、さてどうなるか。

 あ、ミクシィぢゃありませぬ。
|11/12| もやもやコメント(0)TB(0)
安全安心かわら版 第伍号

 はい、どうも。こんばんは。

 嬉しい報告があります。誰にとって嬉しいかというと、自分にとって嬉しい報告です。皆さんに嬉しいかは分からない。

 何かというとね、この度連載を持たせて頂いたんですよ。以前取り上げて頂いたフリーペーパー『安全安心かわら版』さんに。ほぼ毎月発行で2Pです。これはね、嬉しいんですよ。何が嬉しいといって文章を書かせて頂く事ほど嬉しいことはない。そもそも文章が書きたい!という想いだけでこのブログだってやっているんです。ある方面はからは不満が吹き出ていたり、さもなければ「あのヤロウこんなこと書いてやがる」なぞと思われていながら書き続けているのも、やはり文章欲を満たすための行為なのですね。書きたい割には大したことのない文章ですが、まあそれはそれで。

 アタクシはね文章が映画より好きです。だから活弁も台本書くのが好きです。何度も言ってますが、弁士は自分で台本を書きます。基本的には。それでもって弁士は自分で喋りもします。台本と役者を兼ねてるという事ですが、人間には能力の限界というものが御座います。書くのも喋るのも両方名人という方はほとんど、めったに、まず居ない。不思議と両方駄目な奴はザラに居ますがね。で、両方得意でない普通人はどちらかに力を注ぐ、あるいはどちらかの方が明確に好きなんです。

 では書くのと喋るの、どっちが得意・好きな弁士が多いかというと、これはもうはっきり喋るほうです。「自分は両方ともイケル」と思ってる弁士もいるかもしれませんがンなこたぁない。9割以上の弁士(たって大した数じゃありませんが)はまず間違いなく喋るほうが好きです。現代の弁士に限定しなくても良いんです。往年の諸先輩方だってほとんど喋る方が好きだっと思います。断定はできませんが。

 ここまで書けば、大体何が言いたいのか見えてきたと思います。

 アタシは少数派の方です。

 喋るより書くほうが好きです、確実に。

 たとえば私ともう一人の若手と言われている弁士を聞き比べたとします。で、そのときの感想が「おんなじ位の実力かな」と思ったら私でない方の弁士が喋りは上手いんです。別に他の弁士に引け目を感じてるんじゃない。台本にはそれだけの自負が有るって事です。近年、その思いは強くなってきています。

 だからこそ、一所懸命書いた台本が所詮はオリジナルではなく映画を前提としている事にある種の苛立ちを覚えます。でもそれはオリジナルの物語を書かない自分への言い訳なのですが。とにかくまぁ書くのが好きなのですよ。それで連載がとても嬉ちいにゃあと、そういう事が言いたかったんであります。

 『安全安心かわら版』の配布場所は
● 地下鉄の駅: 岩本町・馬喰横山・浜町・菊川・住吉・西大島・東大島・篠崎
両国・森下・月島・浅草橋・浅草・宝町・春日・神保町・人形町

● セキュリティショップ: 秋葉原ITセキュリティ・マックスガレージ東京店
マックスガレージ名古屋店・マックスガレージ福岡店 他

● その他
● 閲覧: 全国の都道府県立図書館及び県庁所在地の中央図書館等の公立図書館

です。見かけたらよろしくお願いしまする。

 喋るほうも書くほうも仕事いつでも受付中です。
|11/08| 活動コメント(0)TB(2)
『circle』

 以前、あるぽらんに出てもらった狛乃ハルコ嬢が作演出さらに出演もするという舞台があるっちゅう事で中野芸能小劇場へと足を運んだのでした。義理は果たさねばなるめぇ。新文芸座にも来てくれたしね、この娘。

出演・日和佐誠 喜久山晋介 紅梅 狛乃ハルコ
   (声の出演・藤咲ちま)

 この芝居のテーマは「オタクが好きだぁ~」ってことをオタクが演じるという事なのだとか何処かで聞きました。違うかもしんないけどね。

 出演は声優さん…なのかな?多分みんな声優さんです。イマイチ良く解ってないんですが、考えてみりゃ役者が何者かなんて二次的な事なので良いんですけどね。

 で、舞台の内容ですが舞台役者ではないし、舞台経験もそんなにない人達が寄ってたかって作り上げた舞台なので完成度としてはさしたる事はありません。それは事実なので書いときます。ただ、やりたい事は溢れてましたよ。ダダ漏れに。だからきっといいんです、それで。

 ダダ漏れにやりたい事が出てしまうのはプロではやりません。なぜかといえばプロは作品を商品にしなければならないからですね。しかして個人の欲求というのは万人には受け入れられませんから足したり引いたりしなきゃイカンのです。そうしてようやくお金が貰えるといってもいい。この舞台にはそうした足し引きが少ない。本人達はそれでも足し引きをしてるんだと思います。人前で演じると決めた以上は無意識の内にしますし、ましてやフィールドは違えどプロですから見せる事を意識するのは当然の帰結と言えます。

 それでも、この舞台はダダ漏れなのです。それは描かれている人物や世界が彼らにとってはリアルな物だからなのかもしれません。リアリティがあるんではなくてリアルなんです。凄い演出家や上手い脚本家が描けば彼らよりも遥かにリアリティのある舞台になったでしょう。世間の人がみて「ああ、オタクってこういう感じだよね」っていうような。でもそれは共同幻想に過ぎないことを本当は誰しもが解っているのです。世の中に氾濫している「これはこういうものだ」という思い込みの多くがある種の操作をされています。本当の姿というのは商品になりにくいですから巧妙に隠蔽されている。またしてしまう。

 この舞台の台本は作り物ではありますが、妙にナマナマしい箇所があったりするんです。意図しない処に現実が、彼らでなければ中々描き得ないリアルが顔を見せるのです。そうした意味においては非常に興味深い舞台であったと思います。

 プロとして生きていくとやりたい事をやれる機会が減ります。アタシだってそれなりに制約を感じながら活動してるんです。此処で書けない様な事が幾つもあって、その書けない様な事が本当は大事な事だったりするんです。

 『circle』はやりたい事がダダ漏れているんです。良い事じゃないですか。まぶしさすら感じますよ。

 褒めすぎか?かもしれない。

 全くの余談でありますが、座長をやった狛乃ハルコ嬢はちんまい娘でありまして、一緒にいると自分が援助交際のおぢちゃんになった気がするのです。嗚呼。
|11/06| 舞台コメント(0)TB(0)
\"oyui\"

 某月某日某所ニテ『落語天女おゆい』ノ1話2話ヲ観ル。

 小生落語ファンでありますから気にはなってましたよ、そりゃね。でもウチじゃ映んないし、努力してまで…てのもあって未見でした。それをようやく1話と2話だけですが観ました。別に某所といって隠す事もないのですけれど。

 ん~、で、感想ね。「こういうのもアリかな」ってとこでしょうか。良いんでないですか。こういう企画が通るあたり落語が盛り上がってるのは間違いないですし。活弁天女、うふっ、噴飯物ですな、こりゃ。

 アリとは言ったようなものの堀内賢雄氏演ずる処の三遊亭圓朝の口演する落語の酷さと、歌丸師演ずる処の桂歌丸(つまり御本人)の声優としての演技の下手さが耳に残るアニメではありました。落語の下手な圓朝ってのも新しいには違いないですが、にしても落語になってないんだもの。ありゃあどうしたらよいものか。

 別に堀内氏が悪いと言ってるのではないのです。同じ声の演技でも声優と落語ではテンで違うって事が言いたいだけなのです。

 脇道に逸れますが堀内氏、昨年今年と無声映画にライブで声を付ける「声優口演」にも出演されてます。今年は聴いてないので感想は避けます。あんまり嫌われたくないし、僕。

 話を戻しましょう。堀内氏の圓朝師を演ずる演技は別に文句はないのです。ただ落語は駄目ってだけ。で、歌丸師匠の声優としての演技も声の出し方からして違う訳です。一人浮いてる感じ。これは一つの役を演じ、かつそれが録音物である事が前提となっている声優の演技と、複数の役を演じわけ、ライブである事が前提となっている落語の差でもあります。勿論、それを承知で歌丸師匠や小遊三師匠を登場させているんでしょうから、これにも別段文句はありゃしません。別段文句は無いから感想が「こういうのもアリかな」になるのです。

 でも感じるところは大いにありました。というのも我々活動写真弁士は兼業が多いもんですからね。斯く言うワタクシとて例外ではなく声優とやらをかじっている体です。つまり、現在の私は弁士と声優の演技の差について日々煩悶している最中なのです。

 嘘を書きました。日々はしてません、月に一度位です。

 弁士と声優。こりゃあね、違うものですよ。息の使い方がそもそも違うんです。息っても特別な呼吸の事ではなく間の事ね。徳川夢声先生は弁士が映画の付属物であることに時折ガッカリしていたようですが、声優はそういう意味ではさらに付属物でしょう。台本を自分で書くでなし、全部喋る訳でなし。付属物が悪いってんじゃないですがね。でも落語が好きだった夢声先生にしてみたら不満であったろうと落語ファンのオイラは思うのです。

 演技は心でするものだ。
 
 という命題を聞く機会が増えたのは声優に関わったからかもしれません。つまり心が動くから言葉になる。口先で演技をするな。という事であります。まあ正しい。

 演技の根は一つだ。

 という命題も聞きます。つまり声優だろうと舞台俳優だろうと映画俳優だろうと何であろうと、演技の本質は同じで後は方法論の違いだという事です。これもまあ正しい。

 しかもこの二つの命題は密接に絡み合っていて、いつのまにか奇妙なスパイラルを生み出します。二つの命題を強引に結びつければ

 心が伴えばどんな演技だって出来る

 という論理が完成します。これも間違っているとは言いません。言いませんが多分にロマンチックな言説であるのは事実であります。むしろ間違っていないからこそ、この理論はタチが悪いと言えます。だって、実際に出来るかったら出来ないもの。ジャンルが違うということは大きな問題なのです。舞台の名優が映画に出ても名優でいられるかというとそうではない。逆もまたしかり。舞台と映像で両方とも良い俳優って何人います?杉村春子と当代中村屋と、あと何人います?殆どいないでしょ?いねぇんだよ。両方出来るって事はそれだけ凄い能力なんです。「心が伴えばどんな演技だって出来る」みたいな言葉は簡単に言ってはイカンと思うのですが、アナタどう思います?

 演技について語るとき「心」に関しての話題は多いのです。でも、「身体」に関しての話題は「心」と比較すると少ないです。特に声の仕事をする人間の間ではね。しかし演技の演は心でも、技は身体なんですよ。だからもっと身体論を語らねばならないのです。我々は。歌丸師の声優が下手で、堀内氏の落語が酷いのも「心」の作用ではなく「身体」の作用なのです。

 貞水先生が「東京かわら版」のインタビューで「講釈師はカラオケで歌った時『あれは講談だよ』っていわれるようでなくちゃ」というような事を仰ってらした言葉で心に残っているのです。オーバーな言い方ではありますがコラボとかメディアミックスとかが当たり前の世の中で「らしさ」というのはもっと大事にされるべきでありましょう。人間の心なんて大して違やしないのです。それぞれの差=らしさは身体が生み出しているのです。演技に限った話ではなく、身体を見直す必要があるのかもしれません。

 とりあえずパソコンから離れて外で走ってくる事を薦めます。
|11/05| もやもやコメント(0)TB(0)
電気ブラン

 引き続き須藤真澄から何ほどか思い出しての文章であります。

 昨日のを御覧頂いた方はどう思われたでしょうか。冗漫な文ですね、我ながら。自分の好きをコントロールできないというのは、つまり私がまだまだ子供である証拠なのです。自我を制御出来ていないっちゅうことね。大人になりゃいいってもんでもないんですが、それでもねぇ。

 さてさて、写真は斯くほどまでに敬愛する須藤真澄先生の処女作『電気ブラン』です。(電気の気の字は本来旧字体ですが、表示できんとイカンので新字体にしてありますです)。ん~この本を手に入れるのは大変でした。あたくしが須藤真澄を好きになったのが本屋さんでたまたま手に取った『アクアリウム』がきっかけで、それから他の作品も探すようになって、当時は復刻前の『子午線を歩く人』『観光王国』なんかが手に入って、ますますハマっていったのですが初単行本の『電気ブラン』が本屋さんに置いてない。取り寄せようとしても版元品切れ、つまり事実上の絶版になっていて手に入れる事ができない。読めないとなりゃ、ますます読みたいってんで古本屋巡りが始まったのです。もともと古本屋さんは好きだったしね。

 今はホントに便利な時代になりました。古本はとりあえずインターネットで探せます。値段さえ気にしなければ大抵の本が手に入るようになりました。凄い事です。んでもね、そんなのここ10年の事ですよ。それまでは足と人脈、それしかなかったんですね。

 結論から言いますとね、2年近くかかりましたよ『電気ブラン』を手に入れるのに。場所は板橋区のとある古本屋でした。今でも見つけたときの感動を覚えています。思わず声が出ましたよ「あった!」ってね。入り口を入ってすぐ右手の本棚の右下でしたっけ。ちょっと珍しい漫画が固められているコーナーで、ジャンプコミックス最新刊しか読まないような方にはゴミ溜めみたいなコーナーですね。そこにひっそりとありました。本当に欲しい物があったとき最初にする事は手に取る事じゃないのね、先ず周りを見回すんです。他に狙ってる奴が居るに違いないと思うからでしょうか。犬猫もそうでしょ、何か食べる時に一瞬辺りを見ますよ、隙を衝かれちゃいけませんから。

 あの感覚、うん。

 息が詰まってね。恐るおそる手に取るんです。本当に本当かを確かめます。ぬか喜びだったらどうしようかとチョイ怯えながら。ここまでやってようやくレジに持っていきます。で、いそいそと帰って読むんですよ。素晴らしい漫画ですよ『電気ブラン』は。ただし見つけた感動が大きすぎて、読後の記憶は薄いのです。2年越しの片想いが叶ったんですから仕方ないっちゃ仕方ないんですが。それほど苦労した『電気ブラン』もいまでは復刻されて随分手に入れ易くなりました。旧版だってネットで検索すればあっという間に見つかります。

 試しに検索してみたら三件も見つかりました。値段も相応です。便利ですよ。でもこれでは、あの震えるような感動は味わえないんですね。残念ながら。苦労して入手した物の方が大事にしますよ。

 あの古本屋さん、まだあるかしら。もう何年も行ってません。今度行ってみっかね。その古本屋では吉田智恵男・著『もう一つの映画史 活弁の時代』も購入してます。こちらは大学時代に買った本で、その時には本当の価値が解りませんでした。懐かしい思い出であります。
 
 弁士になってみると必携の書なんですね。弁士としてこの本を持ってなきゃマズイぞ、という。
 
 そうだ、書いていて思い出した。古本といえば大学2年の時に伯父が亡くなったのよ。その伯父の告別式の帰りにお寺さんの近所に有った古本屋さんにフラッと入ったんです。するとそこには『圓生全集』別巻上中下の揃いが置いてあるではありませんか。その時はお金が無かったか、あるいは告別式の日に古本屋とは流石に不謹慎だと思ったのか、とにかく買いませんでした。たしか洋光台駅の近くの古本屋でした。そいで、それから半年してその古本屋に行ったんですね。有りましたよ『圓生全集』別巻上中下が、ナイロン紐で縛ったそのままの形で。値段は確か5000円だったと思います。特別高いって程じゃない。寂れたお店でしたね。都内だったら半年もこの本が残ってはいなかったでしょう。昼間なのにね、店内が暗いの。本を守ろうとして暗くしてるんじゃないの、絶対に。

 レジにお目当ての『圓生全集』を持って行きました。「この本を半年前に見て、今日買いに来たんですよ」と声をかけたら「それじゃ半年売れなかったってことだね」なんてましたっけ。

 そういう訳ですので欲しい物があったら出かける事、そして嬉しさの余り店員に話しかける事、この二点を実践してみて下さい。人生ほんの少し豊かになります。あ、骨董市でレコード漁りながら古道具屋の親父と話をするのもオツですよ。

 また今日も冗長な文章だなぁ…。
|11/03| 読書コメント(0)TB(0)
庭先案内 どんぐりくん

 あたくしの基本的な感覚というものは多分高校時代に形成されたのではないかと思っているのです。落語もそのとき出会ったし、読書を好むようになったのも高校時分だし、酒を嗜む様になったのも何だかんだいってそうだし、ヒネクレ者だったのは根っからですが、よりヒネクレたのは高校時代であります故、やっぱり思い返してみると高校時代は自分にとって大きかったなぁと思うのです。思うだけですが。

 そんな具合に思い返す高校時代に出会ったのが須藤真澄まんがでありまして、これは純粋にいまだに好きな漫画家さんであります。あの当時好きだった物が今でも好きと言うのは、とりもなおさずあの頃の自分と今の自分がまぎれも無く地続きであるのだと確認させてくれるのです。過去と今が繋がっていると認識するのは実はとても難しい事だと思っています。だってそうでしょ、今朝の私が昨日の私である保証なんてどこにも無いのです。人間を構成している物質の大部分は水ですが、その水だって2週間もあれば入れ替わってしまうのです。てことは2週間前の片岡一郎と11月2日の片岡一郎が同一人物であるとする根拠は薄弱であると考えてしまうのも無理からぬところがあるのです。きっと。

 我々は立ち位置を失っては生きていけません。ここにいれば自分が自分でいられる場所を恐るおそる薄氷を踏むような気持ちで確かめているのが我々の人生と言っても良い。一度権力を手にした人が容易にその椅子から降りられなくなってしまうのも畢竟、自己を確認する手段が失われてしまうのが恐ろしいからなんだと思います。

 てなことをグズグズ言うくらいですから、オイラは常に自分のアイデンティティを何処に確保するかで頭の中が一杯なのです。現在は活動写真弁士という仕事にその大部分を依拠しているような気がしているのですが、ときどき、いえ頻繁に不安になるのです。それは弁士という死ごとの不安定さが原因ではなくて、現在というものの不安定さが原因であると考えるべきでしょう。現在は常に過去に飲み込まれています。この瞬間も現在は絶え間なく過去になり、未来であったはずの時間も現在という刹那を経てあっという間に過去になってしまう…。いささか認識がロマンティック過ぎますが、まあでも現象としては実際に起こっているんだから仕方ないんだ、うん。てことは、その仕方ない事実を考えると、我々は立脚点を過去に求める必要が出てくるのです。(論理が飛びましたね。いいんです、この中間をやると文章がとんでもなくながくなる)過去を振り返る、なんていうとネガティブなイメージが付きまといますが、決してそんな事はないのです。過去からしか人間は自己を認識できやしないのですから。

 山登りでもマラソンでもいいのですが、大概目的地に到着するまでの間に目印が幾つもあります。何キロ地点だとか、何合目だとか。他人が作った物でなくたって長い距離を歩けば、その人毎に目印や記憶に強く残る地点があるだろうと思うのです。逆に言えばそれらの地点=ポイントを繋ぐ形で記憶は形成されているんであって、それまでの道にあった物や事をまんべんなく憶えている人はまずいません。これは生きていても同じような事で、いくつかのポイントを自分で刻んで、そのポイントを繋ぎ合わせて自己の確認をしている訳です。

 んで(長かった)アタイにとってポイントと言えるものの一つが須藤作品なんですね。この方の描く世界は独特です。物語が独特ですし、絵も独特。須藤真澄先生の絵は「一点鎖線」なんて言われてます線がね・-・-・-←こういう風にツーテンツーテンしてるのです。誰が見ても須藤真澄の絵だと判るんです。でも特徴的なだけでは無くて、基本がちゃんとできた上での特徴であり個性なのです。そういうのが好きなのね。今は個性が尊ばれる時代です。学校に行きゃあ「個性を大事にしましょう」ってやたらに言ってます。でも個性って何なんだと。そんな事の前に教える事がある気がするのです。個性なんて放っといたって芽生えるんです。大事にするのと野放しが混同されてますやね。芸人だってね、キャラだの何だのってのが多くてさ。個性の前にする事あんでしょと思わんでもないのです。いえ、良いんですよ、個性で押していっても。ただ自分は基本が出来た上での個性がある人が好きなのです。では、基本ってなんだって事になると、こりゃまた難しい問題でありますがね。その話はまたいずれ。

 とまぁ。こんな事を考える一つの基点が須藤真澄作品なのですよって話。早い話がファンなのです。漫画が好きで須藤真澄を読んだことのない方は是非読んでみて頂きたいと思います。漫画喫茶には置いてないので自分で買って読むよろし。自分で時間とお金を割くって大事よ。きちんとお金を払って買った本の内容の方が覚えてるもの。映画もそうで映画館で見た映画の方がビデオで観た映画よりも憶えてますよ。昨日、ドリュー・バリモアの話になってね、作品リストを見るまで『エバー・アフター』を観た事忘れてたものなぁ。悪くない映画だったのに。

 ウチには須藤先生のサイン本が有ります。このサイン会にもエピソードがありまして、須藤先生はファンの為に一人ひとり違った絵を描いてくれるのです。自分の名前だけだって誰も文句を言いやしないのに。ファンにとっては素敵な方です。もっとのサイン会を主催している本屋さんにとってはいつまで経ってもサイン会が終わらないわけですから、本屋さん自体が須藤ファンでないとチトきつかったりもしますけど。
|11/02| 読書コメント(0)TB(0)
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