
「闃」
この言葉、初めて知りました。物静かな様という意味だそうです。
いつも大変お世話になっている鈴木さんの第一回写真展です。
アタクシはですね、自分の写真が好きではないのです。どうしてかと言えば、素材に問題があるからに他ならないのです。恥ずかしながら自分にも思春期がありまして、その時期は鏡に己を映しては嘆きのため息をついたモノです。それはさておき、とにかく好きではないのです。いえ、正確に言うと好きではなかったのです。早い話が自分のとりえのない外見を無理矢理認識させられているようで。
ところがですね、
下町ダニーローズの公演に出演して鈴木さんに稽古場写真を撮って頂いて認識が変わりました。あれは『あ・うん』初演の時です、確か。
出来上がって劇場に貼り出された出演者の写真、その中に自分の写真もありました。これがね、いい顔してんのよ。これまで自分が嫌ってきた写真とは一体なんだったのか?写真にも上手い下手がある、それは知ってました。しかし自分というフィルターを通して初めて知識から実感に変化したのです。
鈴木さんは写真が上手い!
これまでの写真で俺が醜かったのは被写体の所為ではない!撮ったヤツがいけない!
衝撃でしたね。
その後も何度か鈴木さんには写真を撮って頂いておりまして、最近では
下町ダニーローズ公演記念パンフレットの際に撮って頂いています。この写真も良いんだ。それなりに年齢も加味されてきた若手芸人にちゃんと見えるの。本当に有難い事なのです。
と、そんな鈴木さんはアチラコチラの舞台を見て回ったり、邦画を見て回ったりと中々に趣味人な方でして、私の田中麗奈ネタ、ストリップ話、AV女優と業の深い話題も全部対応できる、なんつーかアレな方でもあるのです。
そのスズキマサミさんの第一回写真展とあれば、私は行かない訳にはいかないのです。
画像も鈴木さんの作品ですが、それ以外の写真も陰影が素晴らしいのです。どの作品にもパッと見た瞬間に目のいく対象がありまして、でもそれを眺めているとその周辺の暗がりだとか曇り空だとかが広がってくるんです。で、暗闇に目をやっていると最初に目を向けた光がとてもドラマティックなんですね。一枚の写真にちゃんと物語があって、それを見ている我々が感じることが出来る。
というような事をとりとめもなく考えていると、今度は写真を遠くから見てみたくなります。そうすると右の写真と左の写真で、また違った物語があって、その写真とさらにその隣の写真には違う物語があるんです。かと思えば反対側の壁にも作品が展示されていて、そこにも物語があるんですね。
会場で写真は壁に沿って吊られています。本当は写真や絵の展示は固定されていた方が良いのかもしれません。しかし空調や時折入って来る外の風、さらには自分の動いた気配で揺らぐ写真パネルというのは何とも言えない雰囲気があるのだと気付きました。どんな写真だって良いわけではありません。極端な例を挙げればアイドルのグラビアが風に揺れてたって何にも感じやしないのです。その風でアイドルの何かがめくれるとなれば話は別ですが、今はそういう話ではありません。風に揺れて「あ、良いな」と思うのは展示されている作品が「闃」としているからでしょう。
静かであるからこそ、揺らぐのです。
その揺らぎが、心地よいのです。
語られていない何かを創造させる揺らぎとでも言えるのかも知れません。