悪 麗之介 for 満保魯志社というブログがありまして、良いですよ。なので勝手に紹介。

 ときどき無声映画にも言及しておりまして、その辺の記事から発見したのだと記憶しておりますが、知性的な文章って良いなぁ、とか思うわけです。オイラもこういう文章を書かねばならんのですが、そう思った時に限って短文で終わらせるという自分のへそ曲がりも嫌いではないのれす。

 今日はこの後、ドイツで友達になった地曳豪君と飲んでくるのです。『実録 連合赤軍 あさま山荘への道程』で森恒夫を好演しております、彼は。良い映画です。見てやってと私がお願いするのもおこがましいので、そんな事は言いませんが見た方が良い作品ですよ。3時間という長尺ですが、くれぐれも尺だけで映画を判断する様な恥ずかしい基準を持たぬよう。
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|05/30| 未分類コメント(1)TB(0)
 朝青龍と白鵬のにらみ合いが問題になっております。何のかんのと言っておりますが、相撲業界は朝青龍に話題を提供していただいているようなものであります。

 このところ相撲に限らず頻繁に聞く言葉が「品格」ですが、横綱に求められる品格とはなんぞや、と言えばこれはワタクシにはさっぱり分からんのです。そもそもどうして横綱に品格が必要なのか?そっから分からん。

 あのね、講談を皆さんは聴きますか?聴かないでしょうね。私はちょびっと聴きます。映画ファンは聴きません。日本映画の原作になっている作品が膨大に含まれている講談なのに聴きません。それはそれで解せないのですが、今日はその事ではありませんので話を戻しますが、講談には寛政力士伝という演目群があります。読んで字の如く寛政年間を舞台にした相撲の話なのですが、実はこの演目には隠れた秀作というか今聴いても面白いネタが多いのです。講談は武家の話が多いので堅苦しかったり、あるいはドラマツルギーとしての起伏に乏しかったりする作品が多いのは事実です。これにはこれで理由があるのですが、まあ兎も角として、寛政力士伝は題材が相撲だからでしょうか、気軽かつ滑稽な雰囲気を持った内容が少なくありません。現代でも十分楽しめます。詳述はしませんが寛政力士伝には取り組みに勝つために体に油を塗る力士がいます。オマンマを食いすぎて師匠を破門になり身投げをしようとした所を救われて別の師匠につき、自分を破門にした力士の元師匠をやっつける力士がいます。小柄で取り組みのとき相手の股間に頭突きをする力士がいます。そして雷電や谷風といった魅力的な力士がいます。

 登場する力士が個性的なのです。それ故に寛政力士伝はマニアックな存在ではありますが現代に命脈を保っている。

 それに比べ、戦後からの相撲のエピソードはどうでしょうか。美談と出世談ばっかりです。相撲マニアはいざしらず、それ以外の人にとっては面白くも何ともない。知らない・関心のない人間の美談ほど退屈なものは無いと多くの人は知っているのです。

 さて、現代です。朝青龍、良いじゃないですか。白鵬、結構です。身一つでモンゴルから出てきて、入門したては苛められたりしたでしょう、そりゃ。それが横綱になり、モンゴル相撲では永遠に手にできないような栄光と名声とお金を手に入れたのです。増長して当たり前なのです。もっと言えば、横綱になってなお、あのファイティングスピリットを持っているのが素晴らしいのです。あれに品格なんぞ言ってる日本人が敵うわけがないじゃないですか。彼らにしてみれば「勝ってから言え」ってなもんですよ。

 相撲好きの知人が言っていました。

「曙や小錦みたいな体格が違う奴らに勝てないのは仕方ないけど、同じような体格のモンゴル人に負けるのが情けない」

 しかしね、私に言わせりゃ、この感覚が駄目なのです。現実問題として体格が違えば勝てないんでしょう。でも「体格が違うから勝てないのは仕方ない」とファンも、そして本人も考えて、そんな考えが定着してしまったから日本人力士は弱くなったのです。そんな事でモンゴル人に勝てますかね。勝たなきゃいけないモンゴル人と勝つことを諦めた日本人。差は歴然です。敵前逃亡ならぬ歴然逃亡・・・嫌な洒落だねドーモ。

 朝青龍と白鵬は今様の寛政力士伝を体現しています。面白いです、彼らは。それに対して日本人力士は面白くないです。品格なんぞドブに捨てちまわなきゃ勝てないよって事なのです。

 そもそもね、相撲はスポーツではなく神事芸能なのです。なればこそ様々な儀式としての決め事があります。シコもそうですね。横綱の綱に付ける神社にある白いビラビラ(酷い表現…)もそうです。だけどもさ、日本の神々ってのは格式ばったものじゃないでしょう。もっと自由で野放図な連中でしょう。柳田翁によれば妖怪は堕ちた神々ですが、日本の神や妖怪に見られる溌剌とした雰囲気を感じるのはやっぱり朝青龍なのですよ。あと高見盛?

 いいんだよ腹が立ったら怒りゃ。両横綱が一触即発になったら、その場でもう一勝負すりゃいいのさ。お客さんもラッキーだべ。

 アタクシはそう思うのです。
 
 
|05/28| もやもやコメント(1)TB(0)
地味に血の気が多いんです。
|05/25| もやもやコメント(0)TB(0)
 そうして一夜は明けたのでした。結局しなきゃならん事もあったりでネットカフェで仮眠を取りつつ夜明かししてしまったオイラ。体力無いんじゃなかったんかい!有馬温泉までいっといて三宮のネカフェかい!とセンスの欠片もないツッコミを自分に入れつつ迎えた朝です。

 いやだってさぁ、台本も書かなきゃいけないし、調べ物もあったしさ、ホテル探すのもメンドくさいしさ、カプセルホテルって嫌いだしさ。色んな事情がありましてのネットカフェです。どうせホテルに泊まったって東横インだしね、かわんないかわんない(暴言)。

 今日は神戸映画資料館に13時が目的なのですが、それ以前にどうしても行きたい所があったのです。その場所を調べる為に宿をネットカフェにしたといっても過言ではないのです。では、その場所とはどこか?先に写真で御覧頂きましょう。
 
神港倶楽部跡地  東郷井  正面から


 ここが何処だか解ったらあなたは映画史家です。現在は川崎重工の保険組合会館になっておりますが、かつては神戸神港倶楽部という建物があった場所です。本ブログを御覧になっている皆さんには殊更の説明の必要も無かろうかと思いますが、神港倶楽部というのは明治29年11月25日、本邦で初めて映画が公開された場所でして、上田布袋軒(布袋軒恒次郎については拙ブログ、弁士列伝参照のこと)が弁士として初めて(当然ですが)弁舌を振るった場所であります。それが、この場所。

 これまで数回神戸には来ていながら、ここに来ようと思ったのは初めてというのも考えてみれば情けない話ではありますが、ともあれ我々にとっての歴史的発祥の地をようやく眼前にしたのです。やっぱり感慨深い物があります。

 神港倶楽部跡地に行こうとして気付いたのですが、我々は神港倶楽部がどんな施設であったのかしらないんですね。映画史において、多くの場合活動写真館はその前身が芝居小屋だったりするので、神港倶楽部についても大した疑問も無く劇場だったんだろうと思ってました、少なくとも私は。ところがどっこいギッチョンッチョンで、ここはそういう場所ではなかったんですね。先の写真で真ん中の物を御覧頂きたいのですが、何て書いてあるか解りますか?「東郷井(とうごうせい)」と書いてあります。日本史で東郷といえば一番初めに出てくるのが連合艦隊指令館長、日露戦争の英雄東郷平八郎です。「東郷井」の東郷はその東郷なのです。
 
 東郷平八郎は初代大和建造の監督官として神戸に赴任、明治18年から約一年間を神港倶楽部で過ごしたのだそうです。その時、東郷は毎日この井戸の水にに親しんでいた所から、後日東郷井の名が付けられたのだとか。神港倶楽部とは和洋折衷の近代建築で、後の空襲で焼けてしまったとの事です。神戸の歴史書を見れば写真も出てくるかもしれません。つまり神港倶楽部というのは劇場ではなくホテルやサロンのような場所だったという事ですね。なぜ、映画の公開にこの場所が選ばれたのか、これは映画史の穴ですぞ、学生諸君。

 てな訳でだんだんと時間も昼に近づいてまいりました。いよいよ上映会ですわ。
|05/18| 活弁コメント(0)TB(0)
 はいこんばんは…ぜんぶひらがなでかくとよみづらいね。ていがくねんのせんせいってたいへんだ。

 でもって今晩は。神戸に来ています。詳しくは後日。今回は速報です。急いでるんです。あれは何ヶ月前になりますか、とても凄いイベントに出させて頂いたと今あらためて思うのが「世界P.E.Nフォーラム」です。海外公演だって、そりゃ大変なイベントですが国内で意義のあるイベントってのは格別の想いがあります。逆に銭金尽くで意義のあるイベントから干された日にゃ恨み骨髄っすよ。

 なんでもない、なんでもない。

 話戻しまして…。アタクシがあの時語らせて頂いたのは『サラブレッドに乗った小悪魔』という小説でした。著者はサモアの文豪アルバート・ウェント、日本経済新聞社から刊行された『自由の樹のオオコウモリ』に収録されている短編です。翻訳/河野至恩、上演用翻訳/吉岡忍です。(敬称略)

 上演(あえてこう書きます)時のキャスティングとしては朗読/片岡一郎、原文朗読/アルバート・ウェント、ピアノ演奏/柳下美恵、画/里中満智子でした。これまた敬称略です。当然多くの方々が支えてくれて舞台は完成したのです。よく「舞台は皆で創るもの」と言いますが、あの時はそれを実感しました。というのも主催の日本P.E.Nクラブというのは素晴らしい団体ではありますが、イベント集団ではない訳で、著名な作家の先生方がいきなり運営するには規模のデカ過ぎるイベントを補い合って成功に導いた過程を多少なりとも見、また参加した為に「支えられた」という感覚が色濃く自分の中に生じたのです。

 本当にやりがいのある仕事って、そうあるものじゃありません。建前はともかく、多くの場合はやりがいよりも生活や効率を優先させてしまいますから「やりがい」は日々に埋没してしまい勝ちなのです。

 つまり、あの数日間は楽しかった、ということなのです。

 さて、こっからが本題です。そんな『世界P.E.Nフォーラム 「災害と文化」− 叫ぶ、生きる、生きなおす − 』の様子がテレビで放映されます。

 放映情報はコチラ

 んっと、メンド臭がっちゃいけません。5月18日午後6時NHK教育「日曜フォーラム」です。

 では、この番組にアタイは出るのか?分かりません…。少なくともインタビューみたいのはされてません。公演は全てNHKでもって撮影してあるそうです。もしかしたら写らないかもしれません。写っても数秒でしょう。だってさ、しょうがねえじゃん。メンバーが豪華過ぎんだよ。大江健三郎、井上ひさし、吉岡忍、浅田次郎、俵万智、出久根達郎、立松和平、阿刀田高とかいうメンバーなんだぜ、関係者が。相手が芸人だと売れてようが何だろうがクヤシィィってなもんですが、相手が作家だと驚くほど素直よアタクシ。でもやっぱりちょっとクヤシイので、この顔ぶれに対して敬称略だ。唯一の抵抗だ。どうだ様ぁみろ。

 嘘です、また使って下さい。

 正直言いますと、私は宣伝が苦手というか嫌いなのです。目立ちたがりな癖に内弁慶なんですね。なので宣伝はこれまであまりしてきませんでした。しかしその考えもそろそろ改めねばならないような気がしていまして、それで今回は大々的に宣伝することにしたのです。ブログだけじゃありません。個別メールの嵐です。東京から神戸に行く間の新幹線はメールで潰れました。しなけりゃならん事が山積みですのに、読まねばならない本も山積みですのに、メールをずっと打ってました、携帯で。効率悪いね。それも決意表明ってことで。

 何度も言うとおり、テレビに出たいとはやっぱり思いません。でもこの番組は見て欲しいのです。私が参加させていただいた中でも指折りの誇れる仕事が紹介されるのですから。
 
|05/18| 活動コメント(0)TB(0)
 ご立派なタイトルを付けてみましたが何のこたぁないのです。全国に弁士がいるでなしね。

 アタシが弁士になった直後にした事が何かというと、先輩方に会いに行く事でした。業界内の方は勿論ご存知でしょうし、そうでない方も何となくは気付いていらっしゃるかと思いますが、弁士間の交流というのは驚くほど少ないのです。てか、ぶっちゃけ仲が悪いのです。10人ちょっとしかいない癖にお互いがほとんど交流しません。どうしてそうなってしまったかと、これには長い歴史があって、その中で育まれてしまった排他的性格が災いしているのです。細かく説明してもかまやしないのですが、馬鹿臭いのでしないだけです。一つだけ具体的な問題を挙げるなら演者が演目を選べないという芸能の世界としては極めて特殊な環境があります。この言い回し大分オブラートに包んでおります。

 それはそうとして、ともかくも先輩に会おうと決意した私は夜行バスに乗って名古屋、大阪に何度か足を運んだのです。夜行バス、最近は乗っておりません。当時はお金が無かったけど体力があったのです。今はお金は相変わらずありませんが、体力はガタ落ちですので関西に行くにも新幹線を使います、ひゃっほう。

 話が先に進まないのは思い出話を現在の話を平行してしようとしているからでしょう。なぜ斯くまでまとまりの無い状況になってしまうかと言えば、実はこれまで先輩方に会いに出かけた事はあまり公表していなかったため、ここで公表してしまおうと決めた途端に色々噴出してきてしまって自分の中でも収集がつかんでいる、という事なのです。それ位、クローズな業界ってことね。だからね今後、活弁の歴史をやる人は苦労するよ。

 話を戻しますと、数年前に意識的に先輩に会いに行く事をした結果、名古屋のわかこうじ、大阪(正確には違うのですが…)の井上陽一、神戸の浮世白鳥(玉岡忠大)各先生、それに手廻し映写機の小崎泰嗣といった方々と知り合う事が出来ました。いいかい、この全員と連絡取れるのなんざ俺くらいなんだぜ。しかし、小崎さんは別として、他のお三方はHPもなんにも無いからリンク先に困ります。この辺りの方々についても書かなきゃなあ…。

 と、ここまで長々書いて、未だ本筋に入れておりません。実は今回ちょっと旅に出てきました。タイトルからも分るように神戸であります。兵庫県某市に住む玉岡先生にお会いして、次の日は神戸映画資料館で開催される井上先生の公演を聴きに行こうという「素人かい?君は」的な旅なのです。

 さぁ、ようやく本論だ!
|05/17| 活弁コメント(0)TB(0)
須田貞明について調べてる人がいるね。

参考になったかい?

はぢめての方の為に補足します。須田貞明っていうのは黒澤明の実兄で弁士だった方です。過去三回に渡って拙ブログでは取り上げています。現在ネット上で読める須田貞明に関する記述では私のが一番充実してます。
 何が月末までには書くのか分かりゃしませんですね。オイラは嘘つきです。知ってますか。さうでせうな。これで安心。

 いえね、更新しようとは思っているのよ、うん。でもねフィルムセンターで発掘された映画達が始まったりなんかしたもんだからさ。それに人生とは何ぞやとか考えたりしてたもんだからさ。それからそれから懐かしい人との再会が相次いだりこれからも予定があったりしたもんだからさ。

 だからまあ許してよ。忘れてた訳じゃないのよ。ただ目を背けてただけっつーか、考えないようにしてたっつーか。そんなに嫌なら止めちまえよ。

 え~、今後の公演もボチボチ決まってきています。それの告知もしないといかんよね。ドイツの事とかちゃんと書くよ。

 さてさて、胡錦涛主席が来日しました。いろいろの物議をかもしつつの来日でありまして、世間の目も比較的向いているようであります。こうした事が私の中国無声映画の会に繋がればいいのでありますが中々そんな事もないのがどうしたものか、こうしたものか。
 
 あ、次回は6月8日です。中国映画の会。

 で、中国の無声映画を演ってるからという訳でもないのですが、私は中国は好きな国です。行った事ねえけども。中国のみならずアジア諸国に対して西洋諸国よりも思い入れがあります。ちなみに今まで行った事のある国はアメリカ、カナダ、クロアチア、ドイツです。説得力が全くありませんね。でも好きなのですアジア。

 実際のところ中国、韓国をはじめとするアジア諸国を積極的に嫌いな日本人てそれ程多くないはずなのです。もちろん無関心こそ最大の問題である以上、嫌いでないから良いとは一概には言えませんが…。ともあれ一部報道で問題視されるのが総体でないことは多くの人が知っていますし、国民全員が靖国神社にお参りする訳ではないのです。これまた無論の事でありながら、かえって無論過ぎるがゆえにアジア圏にアピールというか説明が不足しているのが実情です。

 もっといえば先の戦争だってアジアの開放を真剣に考え信じていた日本人は大勢いたはずなのです。

 こんなレベルの事をあえて書くのはキハズカシイ。

 話戻しましょう。あの226事件には一兵卒だった先代柳家小さん師匠が参加していたのは有名な話です。しかし小さん師匠は談話で自分が参加した作戦が何であったのか、その時は全く分からなかったと言っております。組織の末端というのは斯くもそうしたものなのです。

 いうなれば戦争の最大の悲劇というのは血を流して殺し合いをしている兵士達は自分が何をしているのか把握できない事にあるのかもしれません。家族を守るために戦っているのだと思ったら侵略戦争だった、ではやりきれないでしょう。でも多くの戦争においては、それが実態でありますから歴史は難しいのです。
|05/10| もやもやコメント(0)TB(0)