後追いで書いております。ヒサカタブリに情熱が戻ったって事でせうか…。

 んとですね、この事について軽く触れておきましょう。即ち『猟奇的な彼女』の事でありまする。ちょくちょく田中麗奈がどうしたこうしたと書いております通り、アタクシは田中麗奈好きであります。なので当然このドラマは見た訳ですが、放送開始直後から酷評の嵐が吹き荒れ、麗奈好きっ子を自認するS氏も「挫折しました」と漏らす始末。当然といえば当然ですが、視聴率も某国のスパイ機の如く超低空飛行を続けたまま最終回を迎えました。

 全くの余談ですが、挫折したS氏は老後にそなえてというブログをやってらっしゃいまして、実に意欲的に演芸会に足を運んでいるのが分ります。関心しきりなのです。老後には全然そなえていない生活が透けて見えておりますがね。そのS氏が最新の記事でつんく♂ワークスのなかで一曲選ぶなら『ちょこっとLOVE』だと仰っておりまして、片岡さんは全く同感なのです。氏とは変な所で意見が合うのです。

 はい、それで『猟奇的な彼女』ですが、アタシは最終回まで付き合いました。内容が良かったどうかに関しては触れません。なぜって今後、麗奈と仕事をする時に困るからですが、それはまぁ良いでしょう。

 とにかくこの酷い個性的なドラマに最終回まで付き合ったのは、主演ゆえであり、それ以外何物でもないのです。「いくら田中麗奈でも、あれはちょっと…」と言われる向きもあろうかと思いますが、そんな皆さんには思い出して頂きたい。我々は『猟奇的な彼女』程度では驚いてはいけないのです。そりゃ『がんばっていきまっしょい』『はつ恋』等は良かったですが『GTO』とか『幻遊伝』とか極めつけの『NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE』とかアレな映画にも我々は立ち会ってるではないですか。いまさら『猟奇的な彼女』程度の出来で驚くにはあたらないのです、ハイ。

 もっとも2時間耐えるのと、週に1回、1時間耐えるのとでは体力の使い方が違いますが。

 作品に恵まれないという点では田中麗奈とメグ・ライアンが私の中で双璧です。なので平気です。これからもお付き合いしようと、及び腰で誓った『猟奇的な彼女』だったのです。

 以上のような理由から私は、たとえバレーボールが延長になろうと、最終回の内容が予告編で全て想像できてしまおうと最後まで立ち会ったのです。忠義すら感じますね、自分の行動に。

 そういえば、拙ブログにいらっしゃる方の検索キーワードで「田中麗奈 在日」というのが多いです。私、そんなことに言及した事はないのですが、以前試しにこの言葉で検索掛けたら結構な上位に「閑話休題」が登場しました。追跡調査をしたら在日の方って話があるそうですよ。ま、久留米の出身だしね。あの辺てそういう地域だものね。だから何だって感じですが。

 民族を考える時に国籍や出生は大きな問題です。しかし個人を捉える時には、それらは一種の記号でしかありますまい。文化というのは混ざり合いながら変容、深化していくものです。異民族日本に、あるいは日本人、というかヤマト民族が異文化に混入していくのは悪い事ではないでしょう。万世一系を標榜する一族もこの国にはいますが、それは神話ですしね。

 でも『猟奇的な彼女』のもう一人の主演の男の人も在日という噂があるそうな。これまた私にゃ何という事もない話題ですが。繰り返していいますが、文化も民族も混ざりあってしまえばいいのです。守りたい文化は各々で守りなさい。

 カレーライスみんな好きでしょ?
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|06/29| もやもやコメント(2)TB(0)
 ちかごろ全く公演報告をしておりませんで、そういう事をしていると宣伝だけかよ、見たいな話になるので書きます。公演報告。でも書いてるのは7月にはいってから…。
門天若手寄席 第九回

 のんびりペースでやってきた門天若手寄席も第9回ですよ、奥様。大した物です。継続は力なりと言いますが、つまり継続と言うのは力技なのです。どうしたってトラブルがあったり、それでなくてもメンド臭くなったりなんかして疲れて辞めちゃったりなんかするのです。それが9回、偉いぜ俺。

 などどえばるほどの事もないのですけれどもね。

 さてさて、今回の出演者とプログラムは以下の通りナリ。

 前講 田辺銀冶 『大名花屋』
 落語 三遊亭きつつき『千早ふる』
 講談 一龍斎貞橘『西行鼓ヶ瀧』
 活弁 片岡一郎『SHI-KI』『Life Story』(編みメーション)
           『月世界旅行』
 大喜利 出演者全員による『喧嘩安兵衛』

 ・・・・だったはずです。

 貞橘は大学の同期、きつつきさんは我々が芸人になったばかりの頃にお客さんとして来てくれた事があります。その後、彼も道を踏み外して落語家になってしまったというナンギな方です。そんなメンツですので楽屋は大変に締りが御座いません気楽な楽しい雰囲気でした。

 こうして同じくらいのキャリアの仲間と一緒に回をやると言うのは中々どうして刺激になるものです。もっと頑張らにゃいかんなと思います。いえね、真面目な話ですが、やっぱり回数をこなさなきゃ不味いな、と。本芸では劣ってるとは思わないんだけど、掴み方とかがねぇ、差がある気がする。ネガティブになっているのではなく正確な判断です。たぶん、おそらく、、めいびぃ、、、。

 話戻します。今回特筆すべきはやたみほさんの編みメーションを語らせて頂いた事でしょう。編みメーションとはいかなる物か?つまり編み物でアニメーションしちゃうという、恐ろしく手の掛かったアニメであります。

 よく言われるんですよ「どうして弁士になったんですか?」って。適当な事を答えながら内心「大きなお世話だ」とか思ったりするんです。アタイはそんな野郎なので基本的に他人の人生には不干渉なんですが、そんな私ですらなぜ?と思ってしまうのが編み物でアニメーションという発想です。弁士からみて、それでもなおスタイルフリーな創作活動には畏敬の念すら覚えます。あのね、自由なら良いってモンじゃないのよ。ここんとこ大事なんだけど、自由の前に完成度が無けりゃダメなの。完成度が低くて自由なのは嫌いなの。これもよく言われるんです「今の映画の音消して語れば?」とか「適当な映像を作って語れば?」とかね。繰り返しますが完成度が低いのは嫌なの。

 もうお分かりですね?編みメーションは完成度が高かったという事なのです。語りたいと思える作品だったのです。こんな事を言うのはもしかしたら傲慢なのかもしれません。しかし弁士はもはや無声映画の付随者ではないのです。確固たる芸人なのです。でも映像が映っている時に演者が目立つのはやっぱり違うと思いますがね。少なくとも私の求める世界じゃない。だから良いと思える作品との出合いを真剣に求めなければならないのです。これまで真剣に演りたいと思えるのは川本喜八郎監督の人形劇位でした。そこに現れたのが編みメーションだったという訳。

 舞台裏を話すのは好きではないのですが、実はこの日は編みメーションにつけた語りは90%アドリブでした。最初は台本書こうと思ったのですが、アドリブでやってみたくなったんですね。基本ビビリの私がアドリブでやってみたいという事はまず無いので自分でも不思議でありました。

 話はまたしても脱線しますが、活弁をアドリブでやると脳味噌がグルグル回るのが解ります。言語を司るのが、えーと左脳だっけ?とにかく脳が活性化します。絶対ボケ防止に役に立ちます。アドリブで活弁。

 とにかく、編みメーションも挑戦でしたし、アドリブもある意味挑戦でした。挑戦してるって若手っぽくて良いよね。

 何て感じで無難にまとめます。ちゃんちゃん。
 
|06/27| 活弁コメント(0)TB(0)
 まさかのその3です。うまいこと資料が手に入ったらその4も書きます。いや書くって言うか転載します。
 
 先日あるブログであきらかに拙ブログを参考にして須田貞明について書かれてしる文章を見ました。ありがてぇような、くやしいような不思議な気持ちです。参考にするのも転載もかまやしません。一言コメント入れて貰えるとやり甲斐が出ますのでよろしくお願いします。あ、でもそのまま書籍化はやめてほしいですが。学士諸君はレポートに利用するのはやめた方が無難です。私以外、少なくともネット上でこれだけ須田貞明、伍東宏郎、上田布袋軒について書いてる人間はいませんのですぐバレます。先生ってそんなに馬鹿じゃないよ。

 さて、本日の内容ですが、須田貞明が弁士になる前に黒澤遥村やむらはるかといったペンネームで活動写真館のプログラムに映画評を投稿していた事は以前紹介しましたが、本日はそうした登校のうちの一つで「キネマ旬報」大正11年4月11日号・通巻96号に掲載された『映画に何を見る』という文章が手に入りましたので全文掲載します。黒澤明研究諸君、未見であれば参考にされよ。

 旧漢字のみ直します。
 本日は国会図書館でウロウロしてました。調べ物をしてるといつも思うことは「弁士辞めて調べ物に専念したい」って事なのです。根っからのインドア派ですので。んまあ弁士だってアウトドアでは断じてないのですけれど。

 ええと、ホントは昨日書きたかった事ですが、今日になってしまいました。ちょっと予想通りかつ、嫌な方向にむかっておりますね、無差別殺人事件の話。

 この事件の最大の問題は悲劇が秋葉原(というかアキバ)で起きてしまった事でしょう。幾つかの報道を見ましたが、どれも「秋葉原で無差別殺人」というような見出しでした。事件がどこで起きたかを伝えるのは報道の大事な役割ですが、今回はチト毛色が違うように感じるのです。

 本質的には殺人はどこで起きようが殺人です。新宿だろうが、練馬区東オオ泉だろうが、火星だろうが同じなのです。なのにどうでしょうか、この「秋葉原」という冠付けの威力は。明らかに地名がフィルターとなり事件の本質を見え辛くしています。まさか警察は事件が秋葉原で起きたからといって捜査に影響を受けるような馬鹿な真似はしないでしょうが、面白がりのメディアではそうはいきません。犯行予告とみられる書き込みを引っ張り出したり、ネット論争の事実を暴いたりとアキバ=ネットの構図の中でしか事態を解釈する気がないうようにしか見えないのです。

 彼が犯行に及んだのには幾つもの理由が重なっての事でしょう。でもね、ターゲットを「アキバ」に選んでしまった事については淵源をメディアに求めざるを得ないと思うのですよ。

 最近のテレビ、雑誌における秋葉原の扱い方はちょっとまともで無いと思っていたのです。ラーメン、温泉、ペットが困ったときのテレビ番組三種の神器だそうです。この三つをテーマに番組を作れば最低限外さないと言われているとか言われていないとか。事実の程は分かりませんが、こうした三種の神器に近頃は「アキバ」が加わっていました。極めて安易な形でのアキバ特集が乱発され、端から見ていると毎日お祭りをしているかのような印象を持たせる街、それが昨今メディアで描かれるアキバ像でしょう。フラストレーションが溜まった人間の標的にされるのも理解できます。

 あの街は昔からマニアックな街でしたが、ほんの数年前まではここまで乱痴気騒ぎの繰り返される土地ではなく、基本的には用のある人だけが降りる駅であったと認識しています。それをあんなにしてしまったのはメディアでしょう。決してオタクがこうなる事を選んだからだけでは無いのです。元来オタクはメディアに対して非常に敏感です。オタクはお宅であった事からも分かるように、極インドアな人達の事をお宅と呼んだのです。それがいつの間にか持て囃され、オタ芸なる身体言語まで獲得するようになってしまって「オタク」が生まれてしまっては原義に近い「お宅」は存在する場所がありません。そこで「ニート」が発生してくるのですが、それはともあれインドアライフの達人である彼らはメディアから情報を取り込むの上手いです。それは無防備と言えるくらいかもしれません。

 彼らの(というか私も同種の気質を持ってるのですが)吸収能力とメディアが仕掛ける、たとえば電車男の様なパターン化されたオタク像が混ざり合って現在のアキバは形成されています。トポスという言葉をここで使うのが適当かどうか判断に苦しむところですが、ある意味特殊な「場」が成立しているのはご承知のとおりですね。トウの立ったアイドルもどきが尻を見せて喜んでいたのも「場」のなせるわざでしょう。銀座の歩行者天国では充分な満足は得られないと思います。

 さて、無差別殺人に戻りますが、なにが嫌かというと、ああした事件が起こるような場所にしたのはメディアである筈なのに、私が確認した範囲では誰もその事を反省していないという事です。秋葉原には古いお店も少なくありません。そうした部分には触れず、世紀末的な宴の風景ばかりを垂れ流していた事実を、簡単に言ってしまえば都合よくあの街を利用してきた事に対する反省がまったく見られない事が嫌なのです。全てが文化的である必要はありません。享楽的結構なのです。しかし最近のアキバムーブメントはやっぱり常軌を逸していたのではないか、そんな風に思ったというだけの事をこんなにもグダグダ書く私の程度も知れております。

 怪我をされた方の回復と、亡くなった方の冥福を祈ります。それはこうして自分の話題にしてしまった者の義務でありましょう。
|06/10| もやもやコメント(1)TB(0)
 ん~、このカテゴリーは久しぶりなのです。まあ、興味のある人が少ない上に見せびらかしだから、わざわざアップするのもどうかと思うしねぇ。でも久しぶりの出物なのですよ。

 今回のレコードはこちらです。
尊王攘夷

 2枚組みでしてね。「オリエント 4055~6 映画説明 『尊王攘夷』 伍東宏郎」です。

 日本映画史に詳しい方なら勿論ご存知の大作が『尊王攘夷』です。1927年ですから昭和2年、日活太秦作品、監督は池田富保、出演は大河内伝次郎、山本嘉一、谷崎十郎、岡田時彦などです。助監督に渡辺邦男が入ってるのね。今調べてて気付きました。この作品は壊滅的な日本無声映画においてまとまって残っている幸運なフィルムでもあります。ビデオも出ておりますのよ、廃盤だけど。

 ただちょっと珍しいのは、このレコードが伍東宏郎の吹き込みだという事です。近頃まったく更新できていない弁士列伝で伍東先生は扱っておりますが、この方が解説したのは松竹=阪妻プロ作品であります。「東山三十六峰…」の謳い上げで一世を風靡した『尊王』もそうですし、『雄呂血』の吹き込みもやっぱりこの先生であります。んが!がですね『尊皇攘夷』は日活なのですよ。あまつさえ大河内の出演とくればこの吹き込みは谷天郎が適役であろうかと思われるのです。その辺が珍しい盤なのです。いえね、伍東宏郎はオリエント、谷天郎はヒコーキと契約しているレコード会社が違うっていう問題はあります。ただなぜこの盤がオリエントで企画されたのか興味は尽きません。尽きませんと言ったって興味を持つのは世界で私くらいなモンでしょうが。

 はい、今日の話題についてこられた人、手を挙げて。
|06/06| レコードコメント(0)TB(0)
 医療現場での採血器具使い回しが問題になってきています。問題になってきているというよりも表面化してきているというべきでしょうか。現場では「ありゃあ、これってまずいよね。でも他の先生もやってるしいいか」とか「いちいち交換してたら幾らあっても足りんでしょ。病院が機能しなくなったらどうするの。困るのは患者でしょ」とか「バレなきゃいいんだよ」といった意見があったのであろう事は想像に難くありません。

 第三者からすればどんなに傲慢で利己的でナンセンスな意見でも、当事者にとっては当然、むしろ必然に転化されてしまっている状況は珍しくありません。

 使い回しという言葉は先の船場吉兆でも使用されました。これはこれで問題ではありますが、少なくとも採血器具を使い回されるよりはなんぼかマシでありますので、かのささやき女将も「もう少し医療現場の問題が早く表面化してくれたら」という思いを今頃持っているのではないか、と邪推してしまうのです。

 食い物と医療器具ではあまり褒められた比較ではありませんが、これら二者が、というより医療器具の報道を聞いて船場吉兆の事件を容易に思い出すのは「使い回し」という言葉のチョイスがそこで行われたからなのは間違いない事です。言っちゃあ何ですが事件性は全く違うのですから、ここでは言葉を分けるべきであったのではないかと思うのです。とっさにどんな言葉が適切かが出てこないのも情けないのですが何かしらあると思いますよ。

 しかししかし、その一方で世の中は使い回しを前提としなければ現実問題成り立たなくなっているのも事実です。医療器具だって安全であれば使いまわさにゃならん事態はあるでしょう、食い物に到っては使い回さないのは飢餓国に対して何と言うのか、という事もあるのです。まあ医療器具に関しては戦場等の局地も考えての話ですから、ここでとやかく言っても仕方ありませんが、食い物の方はどうなんでしょうか。手の付いていない物を捨てるのが(たとえそれまでのトラブルの影響もあったとはいえ)一企業を廃業にまで追い込んでしまう事態は、日本が豊かな、飽食の国であると言わざるを得ない気がします。船場吉兆は高級料亭だから捨てるのは当然なのかもしれませんが、マクドナルドを始めとするファーストフードだって使い捨てはマニュアルでしょうしね。

 「我々は何を食べているのか知る権利がある」とは近頃よく聞く言葉ですが、化学調味料は嫌、遺伝子組み換えは嫌、使い回しは嫌では本当に食えるものって何だろうとチト不安になります。

 最終的にはユーザーが判断すべき事なのでしょうから使い回す時は事前に告知して、選ばせてくれりゃ良いのです。そうすれば使い回しも立派なリサイクルな訳ですよ。高級料亭のお料理ををリサイクルして作ったお重なんぞは売れませんかね。手間と合わないと仰る向きもあろうかと思いますが、リサイクルは手間賃回収を考えていては中々困難なのでゴザルヨ。
|06/05| 未分類コメント(0)TB(0)
 楽しく飲んでいる時、隣のグループが世界のナベアツの真似をして盛り上がっていると非常にウザいと思ってしまう片岡さんです。

「さぁ~ん」とかうっせえ。

 …ま、いいけどね。

 昨日の毎日新聞夕刊にて取り上げていただきました。WEB版でも御覧頂けます。よろしくお願いしますです。ようやくの全国展開です。プロモーションがスローですねぇ、我ながら。それには色々理由もありますがね。活弁をトータルで世間にアピールしてくれる能力のある人材が欲しいです。『春の雪』に出て、海外公演二回やって、奥田民生のDVDに声入れて、まだ食えてないってのはオカシイでしょ?それをオカシイとも思わんのがウチの業界のオカシイ所です。

 てな訳で、いつもの事ながらお仕事募集中。このブログから問合せ出来る様にしとくかね。

 さて、芸人であれば売れたいと思うものであります。かの黒門町・八代目桂文楽師も「売れれば芸人ほど素晴らしい仕事はない」と仰っております。当然、その言葉の背後には売れない多数の芸人がいるという事実があるのですが、芸人を志した以上しゃあないんでしょうな。

 しかし、しかしですアタイは売れるのが怖いのです。

 売れることメリットとデメリットを考えるとね、一概に売れりゃ良いってもんでもないような気がしてるんですよ。売れたら今の自由は無いよなと思うのです。少なくとも気に食わない事があるからってブログで噛み付いたり出来ないじゃないですか。世情のアラに悪態をついたり出来ないじゃないですか。それからアレヤコレも制限されるじゃないですか。
 
 それは俺のやりたかった事なのか?

 やっぱり疑問に思うのです。

 資本に飲み込まれて良いのか?

 とはいえ金の無いのは首の無いのにも劣ると言います。

 その辺はやはり葛藤材料であります。自分は何になりたいのか。その為には何をすべきか。

 難しい問題ですが、本音はやっぱり売れるのが怖いのです。

 それから熱いお茶が一杯怖い。
|06/03| もやもやコメント(0)TB(0)