全くの余談ですが、私の師匠の澤登はパソコンを使えません。よってネットも使えません。ということは弟子のHP、ブログもノーチェックです。別にだから何書いても良いやと思っている訳ではないのですが、どっかで気にしてるんでしょうか。先日、このブログが師匠に見られて、こっぴどく叱られる夢を見ました。「あそこにはこんな失礼な事が書いてあった」「ここにはこんな馬鹿な事が書いてある」と延々叱られる夢です。最悪の寝覚めでした。
最近夢見が悪いのよ。
気を取り直して…。
さて、ごく軽く触れておきたいのが八王子の通り魔の件。秋葉原、バスジャックと続いての事件です。今年は通り魔的な事件が昨年の倍も起きてるそうで、物騒というのがこれほど似つかわしい状況も珍しかろうと思うのです。大体洞爺湖サミットの時に街中にウジャウジャいた警官は何処に行ったんだい?そもそも交番ていうのは辻々に人を配置して犯罪を抑止する為の機構だろうに、海外からお偉いさんが来る時だけ人員配備するんでは、それこそ人の税金何だと思ってンだ!てなもんですわ。
で、通り魔ね。
「誰でも良かった」がキーワードにとして繰り返しメディアで取り上げられていますが、元来通り魔っていうのは「誰でもいい」ものではないかい?誰かをキチンと狙ったら通り魔ではなく殺人ですし。なので僭越ながら別の視点を一応提示しますと、アキバ、バスジャック、八王子を繋ぐのは「誰でも良かった」ではなく「復讐」という動機だと思うのです。各人とも、言葉は変えてますが誰かを見返す、つまり復讐を意図しての行動なのですよ。
誰だって嫌な事があれば復讐したいです。私なんか復讐リストを心の中に常に持ってます。ただ、その方法が全くの第三者に向かう、そしてメディアに取り上げられるという構造に問題があるんでしょう。極論を言えば現代人は他人とぶつかるのを極端に嫌いますから、正しい復讐の仕方を知らないって事なんではないかと思うのです。
もっと言えば、本当に誰でも良いって事はないのです。何か基準があるのです。だからこそ秋葉原を選んだし、バスを選んだし、本屋を選んだんです。決して自衛隊練馬駐屯地を選ばない。
必要だと思いますよ、教育段階で復讐のやり方を教えるというのは。
嫌な事も含めて人間関係でしょ?
という一見解を示してみましたが、今日はホントはKYとかのギャル語について書きたかったのにね。長くなっちゃった。いえね、意外とギャル語って拒絶反応を抑えれば秀作があるのよ。特にKY関連は素晴らしいです。感動します。
KYはK(空気)Y(読めない)で有名ですね。では問題です。AKYとは?KYDJとは?
正解は気が向いたら次回。
いばいば。