済みません、麗奈が出てるからです。
青山円劇カウンシル#2 ~Relation~
ONEOR8プロデュース
『思い出トランプ』
原作 向田邦子(新潮社 刊)
脚本・演出 田村孝裕(劇団ONEOR8)
会場 青山円形劇場
出演 田中麗奈
根岸季衣
八十田勇一 宮地雅子 弘中麻紀 中島愛子
野本光一郎 恩田隆一 和田ひろこ 冨田直美
阿知波悟美
山口良一

青山円形劇場に行くのは何年ぶりか…。高校から大学時代の演劇を毎週観に行っていた時期に来たっきりだから10年は来てない。前を通る事は幾度もあったけど。
で、公演ですが、まぁ及第点て所でしょうか。我らが田中麗奈は好演だったと思います。舞台は初めてなのでボイスコントロールがやや甘いのは致し方ないですが。茶道をやってる所為でしょうかラストの着物での所作は美しゅう御座んした。
及第点であったことを前提として少し語りませう。なにしろ友達が一人も出てないので気が楽だ。
青山円形劇場というのはヤッカイな劇場であるのは言うまでもないんです。劇場が構造の段階で既に演出を要求するのはいかがなものかと思いますが、そこでやる以上は円形舞台に合わせて演出せざるを得ない。けれどもね、なぜ、この舞台で上演されなければならないのか、というWHYに答えられる舞台はそう多くないハズなのです。
あらゆる表現には視点の問題が付きまといます。
誰が、何処から、どのように見るか。
この問題は作家の視点で出発し、観客の視点で終結する。
円形劇場では作家は対象を360度とは言わないまでも280度位から捉え、それを放出しなおさなくてはいけない。それでいて観客はアーチの中で演じられる芝居よりむしろ狭い角度から舞台を観なければならなくなる。それ故に様々な演出が試みられる訳ですが、それはあくまで舞台機構の為の演出であって作品の為の演出ではなくなり勝ちになってしまうのです。
視点の問題を考える上で一番分り易いのは小津の映画でしょう。スタンダード、ローアングルに拘った諸作品は映画として優れていたという事ではないのです。小津の描きたかったモノに適していたという事なのです。小津の世界はワイドスクリーンのダイナミズムには適合しません。むしろ人間の視点よりも狭いスタンダードが生み出す凝縮感が小津の描く世界だったのです。
向田邦子の世界もそうではないかと思えて仕方ないのです。彼女の描く世界は多方面から観察されるものではなく、固定されたフレームから凝視するべきものではないか、そう思えて仕方ないのです。
簡単に言ってしまえば、『思い出トランプ』の舞台から向田邦子の視点を見出すのは難しかったのです。それでいて向田邦子の世界は描かれているのです。時代感とか空気感とか…。個人的な意見を言えばもっと大胆に演出しなおしても良かったのではないかと思うのです。昔みた竹内銃一郎氏演出でバニラが出ていた『ハローグッバイ』(原作小津安二郎『お早う』)は映画から演劇に見事に読み替えられておりました。
原作が力があればあるほど、高名であればあるほど、脚本も演出もそこから飛び出すのが難しくなる訳で、でも我々が観たいのは舞台作品な訳で…。
志らく師匠が脚色演出した『あ・うん』は良かったです。これは志らく師匠が演出として優れていたというより、演出家でなかったから、演劇人でなかったから原作の読み替えが自然に出来た結果だと思うのです。もっともシネマ落語で原典の再構築能力には定評のある師匠ですけど。
『思い出トランプ』。今度は正面のある舞台で見てみたいと思います。
上記のような感想は2時間の舞台を田中麗奈の背中ばかり観てしまった為に生まれた、と考えられなくもないです。それは認めます。その証拠に批評としては甚だオソマツなものでありますから。でもやぱっり向田作品は正面のある舞台の方が向いてる気はします。
そうそう、来月はBerryz工房の出る舞台に行く予定。何じゃそりゃ。