えらい放っておきまして、申し訳ない、とはあんまり思ってはいないのですが、それでも稀に「最近更新しませんね」とか言われると、やはりたまには更新せねばならんとは思いますね。
考えてみればブログに限らず現代人は、やらなきゃいけない事を自分で勝手に増やしているんでしょう。
結果として勝手に忙しくなっている。
とはいえ誰でも情報が発信できる世の中で、それすらもせずに「仕事がない」「不景気で厳しい」とか言ってる手合いは怠惰としか思えないのも事実ではあります。
それも自分の判断ですがね。
さてさて、来年の私の仕事は明日にでも告知を上げることにしまして、本日は徳川夢声について語りたいと思うのです。
まずはこちらを御覧頂きたい。
以前も散々書きましたから「またかよ」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、私が音源提供で協力させて頂いた『徳川夢声の小説と漫談これ一冊で』ですね。まだお持ちで無い方は、この機会にお買求め頂きたいのですが、それはさておきまして、その後夢声の本が更に復刊されたのです。
二冊も。 これはおったまげましたね。
確かに喋り芸の世界では未だに名を出される機会も少なくない徳川夢声でありますが、文芸の世界となると顧みられる事はまず無いといっても過言ではないでしょう。国語の授業で徳川夢声を習ったことのある人はいますまい。試しに私が高校時代に教材として与えられた『新国語要覧』(大修館書店・刊)を繰ってみますと、夢声のムの字もありませんでした。この国語要覧、夢声は載っていなくてもタゴールは載ってます。ま、いいや。
ごたくはさておき紹介しましょう。
そして
どうです、この無謀な復刊ラッシュ。
スバラシイと通り越して呆れ返りますね。
にしてもいい顔してんなぁ、夢声という人は。知的ざんすよ。
もうね、こんなに夢声の本が出るという事は、弁士による最初の電子出版は夢声の本になってしまうのではないか、とすら思いますね。嬉しいような、それではイカンような。
簡単にこの二冊の紹介をしますとですな、『くらがり二十年』は徳川夢声が映画説明者(=活動弁士)時代を回想し「新青年」誌に連載した半自伝であります。多数ある夢声の著作の中でも評価の高い一冊である故に、何度となく発行されてきた『くらがり二十年』ですが、これから話す事が大事デスゾ、皆さん。
『くらがり二十年』は今回の復刊が、初の完全版なのです!
どういうこっちゃ?と思われる方も多いでしょう。実はこれまで度々発行されてきた『くらがり二十年』は連載時の一回分が丸々抜けていたり、前書きがなかったり、と欠落のあるものばかりだったのですな。
昭和八年に連載が始まった『くらがり二十年』を労せず全篇読めるのは平成二十二年が初めてなのです。そして本書の中では往時の説明者、楽士、監督等の名前が多数登場します。大正中頃から昭和初期に到るまでの日本映画界を学ぶ上で必読の書であるのは間違いありません。
また『あかるみ十五年』は説明者を円満馘首にり、俳優業に転じた後の15年を綴った著作であります。
しかし良いなァ「円満馘首」という表現が何ともたまりません。こういうシニカルな言語感覚が夢声の特徴なのです。トーキーの台頭により無声映画が駆逐され、説明者の職を追われる事になった夢声は仇敵とも言えるトーキーに結構あっさり出てしまうのです。このあたりの戸惑いも本書から見え隠れする所です。また説明者をやってきて演技はそれなりに出来るつもりでいたら俳優的演技は全く別物で苦労するくだりなぞは、実に他人事とも思えず共感しきりなのであります。
こちらは言うまでもなく、初期トーキーの撮影風景だとかP・C・Lの雰囲気などが活写されている点において史料価値は侮れない本であります。
個人的な意見ですが、優れた自伝とは、書き手の人生だけではなく、その人の生きた時代が浮かび上がってくるものだと思っています。近年のタレント本で満足できる物が少ないのは、自分の事ばっかりで周囲の光景が見えてこないからではないかと思うのです。だからといって年表で、この年の重大事件なぞを附されてもしょうがないのですが。
その点において『くらがり二十年』と『あかるみ十五年』は間違いなく名著であります。
またこの二冊(おっと『徳川夢声の小説と漫談これ一冊で』もだ)を監修された濱田研吾さんによる解題と徳川夢声フィルモグラフィーも忘れてはいけません。名実共に当代夢声研究第一人者の濱田さんによる地道な活動がなければ夢声が今日、こうして甦る事は無かったと断言出来ます。
そうそう、これらの本とタイアップしてオドロキの徳川夢声特集がラピュタ阿佐ヶ谷で上映されることになりました。これも快挙でありましょう。
徳川夢声のほろよひ映画人生2011年1月9日~2月12日
ラピュタ阿佐ヶ谷にて
私は全作品を観るつもりで通います。
この特集に協力するのが、弁士としての良識であると心得ておりますゆえ。
とまあ、宣伝は宣伝として、先日夢声についてのお尋ねがツイッターであったので、それに答える事もしなくてはなりません。
夢声は座談の名手と言われました、そして話術の神様とまで一頃は言われた方であります。
この辺りについて、ご本人はどう思っていたのか?という質問をいただいたのですが、当然ながら私は夢声先生ではないので本当のところは分かりません。ただし、夢声が「言葉を語る」という行為を極めて真剣に考えていたのは間違いありません。
それは片岡、お前がベンシだから良く言っているだけじゃないのか?証拠はあるのか?という声もあるかもしれません。証拠はあるのです。
これは徳川夢声の著作の中でも特異な存在であるのですが、その名もズバリ『話術』といいます。
目次を見てみると
第一章 話の本体
1 ハナシというものは実に大切
2 ハナシはだれでもできるもの
3 だれでもできるから研究しない
4 だれでもできるから実は難しい
第二章 話の根本条件
1 人格と個性
2 言葉の表現
3 声調と口調
4 間の置き方
5 ハナシの分類
各説
第一章 日常話
座談 親友同士の座談方、知人同士の座談方、初対面の座談方、座談十五戒
会談
業談
第二章 演壇話
メニューで泣かせた話術、単調は退屈の母、声・眼・手・腹
演説 主張する場合(演説心得六カ条)、理解させる場合、式辞
説教 布教・伝道、法談・道話
演芸 童話、講談、落語、漫談、放送(物語放送のコツ)
となっています。
目次の並びはよくあるテキスト本のつくりと同じです。しかしこの本の初版は1949(昭和25)年なのです。この時期に、これだけ会話を分類し理論的に考察している人は殆どおりませんでいた。夢声と同年代に生まれた芸人達の芸談を見ますと非常に感覚的なものが多いのです。いや夢声と同年代に限った話ではありません。現代でも芸は体得する物であるという認識は支配的です。そうした中、通信教育のテキストとしてそのまま使えそうなフォーマットを作ったのですから、話術に関する夢声の関心は極めて高かったと言えます。
では夢声は映画説明者の中で特殊な存在だったのか?
これはイエスでもありノーでもあります。
映画がサイレントであった期間は約三十年。夢声が説明者であったのは本のタイトルでも分かるように約二十年。ひとつの芸能が独自の形式を生み出すには三十年は決して充分な時間とは言えません。ましてや日本には落語や講談をはじめとした先行話芸が群雲のごとく存在しているのです。
つまり活弁は、他の何物でもない「活弁」という芸能に昇華される前に大きな断絶を余儀なくされてしまった芸能なのです。夢声はまぎれもなく第一人者でした。それは夢声の方法が当時の観客に支持されたからではあります。しかし長い眼で見たときに夢声の方法論が正しかったのかどうかは分からないのです。あと二十年無声映画の時代が続けば夢声のような抑えた語りではなく、関西の伍東宏郎のような音吐朗々たる語りが業界を席巻していたかもしれないのです。
しかしながら話芸の世界において夢声の果たした役割は大きいと言わざるを得ません。
話芸において「間」を大事にする意識は遠い昔からあったに違いありません。
ですが「間」とは多くの場合語りのアクセントとして意識されてきたはずなのです。
語りが主であり、間は従でした。
ところが映画が登場し、説明者が生まれます。映画館においては映画が主であり、語りは従。つまり説明者び話術とは沈黙=間が主で、語りが従となり、ここに価値の転倒が起き、喋らない美学が誕生するのです。この美学の最大の体現者が徳川夢声でありました。
文学では行間を読む事が大切だと言われます。語りにおいて、その昔は聴衆を惹き付ける技術のひとつでしかなかった「間」を文学的行間にまで引き上げたのは映画説明者だったと私は考えるのです。(もちろんそれ以外の要因も多々あったでしょうが)
また活動写真館において映写トラブルがあった際に、つなぎのお喋りを説明者がしたのが今日の漫談のルーツであることも指摘しなければなりません。従来から日本に存在してた落語や講談と、漫談をひと繋がりの芸能として捉える歴史認識にはあまりであった事がありません。それは話芸の歴史を考察する上で活動写真館を見逃しているからだともいえます。江戸以前の芸と、昭和の芸を繋ぐミッシングリンクの役割を果たす存在が映画説明者なのではないでしょうか。
とまあ、かなりとっちらかった文章で読みにくい事オビタダシイのですが、一言で表現すれば、夢声の芸は新しかった、という点に尽きると思います。旧来の意識をベースにしながら新しい文化を貪欲に取り込んでいった姿は漱石や鴎外とも相通じる部分があるように思われます。
それから最後に申し上げると、夢声は(往時の説明者が皆そうであったように)活弁と言われるのを酷く嫌いました。今回の夢声再評価の流れの中で近年流布している「活弁士」なる語に少しでも歯止めがかかると良いな、と考えてております。現代の弁士が自分の事を活弁士と呼ぶのは、ご勝手にどうぞなのです。ただ徳川夢声をはじめ往時の諸先輩方を活弁士と呼んで頂きたくないな、と切に願う次第です。