ご報告というのは、私のプロフィールをマツダ映画社さんのサイトから削除して頂いたという事です。これには幾つかの理由がありまして、ちゃんと言っておかないと喧嘩別れだと思われると困っちゃうなと思ったからであります。というのもウチの業界は情報の発信が絶望的に下手でありまして、言わなきゃならん事を言わずに過ごしたりするもんですからね、これまで何度も、どうなんだろか?と思ってきたのです。それで今回は自分の事でもあり、どうして削除して頂いたかを話しておこうかしらん、と思った次第です。
もってまわった言い方をしていますが、一番わかりやすい理由としては私の渡米があります。実質的に半年間仕事を出来ない状況になるのですから、載っけてても仕方あんめえと思ったのですね。
加えて言えば、私のプロフィール自体が2008年から更新されていなかったというのも御座います。これだと仕事してないみたいに見える。却って印象が良くないのではないか、と思ったのです。やっぱり年に一度は更新して欲しいという事ね。
で、もうひとつ理由があります。ある意味これが最大の理由なんですが、掲載の基準が僕にはちょと不明瞭で納得がいかなかったという事なのですね。
澤登翠一門には桜井麻美という弁士がいます。彼女はれっきとしたプロの弁士ですし、彼女で初めて弁士の芸に触れたというお客様が、いまでは私の公演によく来てくれるなんて状況もあります。その彼女は現在、休業しています。理由としては少し患ったからであり、また育児をしているからでもありますが、ともかく彼女は(私の知る限りでは)廃業宣言はしていない筈です。その桜井のプロフィールがいつの間にか削除されてしまった。
無声映画ファンなら柳下美恵さんの名を知らない人は居ない(少しは居るかもしれない)でしょう。近年、ますます国内外で活躍の場を広げている柳下さんは以前、マツダ映画社のサイトにプロフィールが掲載されていましたが、これもいつの間にか削除されてしまった。
澤登翠一門には少し前に山城秀之という新弟子が入りました。アタシより年上ですが、ともかく新弟子です。すでに無声映画鑑賞会でも何度か説明を披露していますので、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。彼のプロフィールはいまだに掲載されていません。
その山城君の後に無声映画鑑賞会で突如弁士デビューを果たした松田貴久子さんという方がいます。この方が弁士デビューする事は我々も当日まで全く知らなくて、ひっくり返るくらいぶったまげた、という経緯があるのです。この方、お名前からも分かるかと思いますが、マツダ映画社の方であります。といっても弁士の修業をしてきた訳ではないのね。で、この方はとっととプロフィールが掲載されている。
とまあこういう事情でしてね、この中に自分が居るのがどうにもオサマリが悪くて仕方なく感じるようになってしまったのです。
むろん、マツダ映画社のサイトに誰をどう載せるかはマツダ映画社が決めるべき事です。加えて言えば、松田貴久子さんは弁士の勉強をしていないというキャリアを考えれば実に上手いと思います。でもね、まがりなりにも澤登の弟子になって既にデビューしている人間を載せないで身内を載っけちゃうのはプロとしては面白くないのですよ。
こうやって書いてると片岡がマツダ映画社に対して(しばらく会わないのを良い事に)愚痴をたれている様に思われるかもしれません。実際その要素は多分にあるんだけれど。でも問題なのはそういう事じゃないのね。真面目な話、この事態で悪いのはマツダ映画社じゃなくて、これまで必要な対話をしてこなかった我々弁士の側だとも思ってたりします。ちゃんと状況に応じて意見交換をしながら関係性を築く努力を弁士がしていれば、素人がプロより先に掲載されるなんて事にはならなかったろうと思うのです。
素人とプロの問題。これは近年の弁士情勢を考える上で非常に大きな問題です。
あ、今回の投稿では気持ちの赴くままに書きなぐっていますので、話はあっちこっち飛びます。読みやすく編集するつもりも時間も御座いませんので、飽きたらそのままページを閉じて下さいませ。
話もどしてプロと素人の問題。
最近「私、弁士です」って方が増えてきてます。
認知度が上がってきたのでしょうか、嬉しいけれど悩ましいのです。なぜかといえば「映像を映して喋ってりゃ、誰でも弁士なのか?」と思ってしまうからです。中にはおおよそなぜそれをわざわざ弁士と呼ぶ必要があるのか、と首を傾げたくなるようなものまで弁士と名乗っている。弁士に興味を持ってくれるのは嬉しい、だけれど自分のパフォーマンスに名前を与えるために安易に我々の肩書を利用しないでくれ、とも感じてしまうのです。これは傲慢な態度なのかもしれません。あるいは歴史の上にアグラをかく怠惰な姿勢なのかもしれません。でも、少なくとも僕は過去からの系図を引き継ぎ、それをつなげていく義務がある。となれば活弁っぽいパフォーマンスには、安易に肯く訳にはいかないのです。
そしてその弁士の歴史を守ってきたのがマツダ映画社ではなかったのか。染井三郎から初代・松田春翠、二代目・松田春翠、澤登翠と続くプロの系譜を守ってきたのではなかったのか。なのに身内を器用にこなせるからといってプロで御座い、とデビューさせてしまって良いのか。
上手けりゃ良い、というのであればジャニーズが、吉本が、AKBが本気で取り組むといってきたら協力しなければ筋が通らないと思うのです。彼らが本気で半年稽古したら、あっという間に商品になる技術を習得できるでしょう。それで良いのか。
かつて澤登の弟子だった弁士に佐々木亜希子というのがいます。彼女は散々に一門を引っ掻き回して(彼女にも相応の理由はあったのでしょうが)、あげくに数年程度のキャリアで独立だか卒業だかを宣言して今でも弁士の活動を続けています。基本的に芸事の師弟関係に卒業とか独立はありません。なので私は彼女をプロとは認めていません。世間がどう思おうとも、澤登の弟子としては認められない。
反対に言えば、私の事をプロとは認めない方もいるでしょう。
「あの程度の芸でプロ面すんな」
「そもそも春翠の系譜を本業とは認めない」
「日本で売れてから海外に行け」とかね。
それはそれで仕方のない事です。なにしろプロの弁士とは何かの回答がどこにもない。
弁士には世間に対して主張を出来る同業者団体がない。結果として世間を納得させられるプロの基準がない。という事は「私、弁士です」といえば、今日からあなたもプロの弁士なのです。
でさ、それでいい?
俺は嫌だ。
素人がある日突然プロ面するのは不快だ。我慢ならねぇ。
繰り返しますが、これは私の個人的な考え方です。傲慢です。
でも、今日から僕もプロ弁士、じゃ先達に申し訳が立たない。映画史にも失礼だ。
てな事情から私はプロフィールを削除して頂きました。
帰国後、どうなるか分かりません。以前のプロフィールが何事もなかったように再掲載されるかもしれません。ミシガン大学に招かれた実績込の新しいプロフィールが掲載されるかもしれません。もしかしたらこのブログが原因でお付き合いが断絶するかもしれません。その前に僕がアメリカで事故に巻き込まれて死んじゃうかもしれません。
早い話が分かりません。
でもね、少なくとも無声映画業界が今より良くなれば良いと真剣に思ってるのよ、俺。
以前から良く言ってるんですが、弁士がせめて10人は食える業界にしたい。その後も発展させたい。だって無声映画も弁士も楽士も魅力ある仕事だもの。これが10人や20人食えないのはオカシイのですよ。
そういう意識で僕はやってます。
人を育てない業界は滅びます。
かつて松田春翠率いる無声映画鑑賞会の他に、熊岡天堂らによる弁友会というのがありました。弁友会は今はありません。無声映画鑑賞会は今も続いています。この差はどこにあるのかといえば、新人を育てようとしたかどうかです。無声映画鑑賞会は澤登翠を育てた。それ以外にも様々な人に弁士として場を与えた。対して弁友会は、かつて弁士だった方々の同窓会だった。ここから新人を育成しようという気はなかったので、自然に活動は消滅せざるをえなかった。
プロ志望がいるなら、多少技術に不安があってもそっちを大事にして欲しいのです。器用だったり、見てくれが良いからって弁士でいる事に固執しない人に優先的に仕事を与えてもね。
澤登翠が明日事故にあって喋れなくなるかもしれない、私や坂本や山崎バニラ(この三人を弁士三銃士と評してくれた方がいた)が不意に人生に絶望するかもしれない。縁起悪い例に出して申し訳ないのですが、とにかく可能性は常にゼロではない。そうなった時に業界を支えてくれるのは、喰らいついてでも弁士で居たいという人だと思うのです。
我ながら青臭い事を言ってますがね、でもまあ半年とはいえアメリカに行っちゃうからさ、気になるのさ、本場の日本が。
日米で盛り上げていきたいものです。