セミナーもあっという間に三日目ですね。ですね、って言われても困るでしょうが。
せめてもう少し自分に語学力があれば、心底楽しめたんだろうにと思いますね。
さてそれでは本日のプログラムです。

んでもってこの三日間で僕が拝聴した研究発表をご紹介しましょう。
「どんな内容だった?」とかは聞いてくれるな。
九月二七日
Keynote, Aaron Gerow (Yale University)
九月二八日
First Frame
The Transcriptive Apparatus: Imamura Taihei on Animation and Documentary,
Thomas Lamarre (McGill University)
Film as fukusei geijutsu: social psychology at the movies in 1950s Japan, Michael Raine (University of Western Ontario)
Written Through an Anamorphic Lens: Japanese Critical, Namhee Han (University of Chicago)
Maeda Ai’s Cinematic Narratology, Takushi Odagiri (Duke University)
ファーストフレームはPanel 1に参加させて頂きました。こちらのテーマはContinuing Technologiesでした。
Second Frame
A Theory on the Desk? or A Theory of Yearning?, Kim Soyoung (Korean University of the Artsz)
A Layman’s Movie Review: Lu Xun as a Translator, Cultural Critic, and Semicolonial Reader, Jessica Ka Yee Chan (Macalester College)
Film Theory in Translation: The Pure Film Movement and Japanese Film Style, Laura Lee (Florida State University)
The Neglected Tradition of Phenomenology in Japanese Film Theory, Naoki Yamamoto (Yale University)
このパネルテーマはTranslating Theoryでした。そして僕がこのパネルを選んだ理由は映画史に関わる方ならお分かりでしょう。弁士とも密接にかかわるFilm Theoryに関する研究発表があるからですね。余談ですがイェールの山本さんとは、以前某ドイツ人の宅飲みでご一緒した事があったのでした。山本さんからお声掛け頂いてようやく思い出すこの情けなさ。恥ずかしい限り。
Third Flame
『東京の宿』の準備のため欠席
九月二九日
Fourth Frame
Cinema and Mechanization: StagingR.U.R (Rossum’s University Robots) in Japan, Diane Wei Lewis (明治学院大学)
Expanded Film Theory: Cinema, Graphic Design, and Architecture,Yuriko Furuhata (McGill University)
Intamedia: Early Developments in the Theorization of Intermediality in Japan, Julian Ross (University of Leeds)
Media theory in Japan: theEnsenzberger Moment, Miryam Sas (University of California, Berkeley)
カレンダーをご覧になって頂ければ分かりますが、この日は土曜日なんです。そしてAnn Arborは土曜日にはバスが少ない&始発が遅い!開始時間ぎりぎりで飛び込みました。そんなに朝早かったのかというと開始は午前九時。そこまでじゃないのですよ。毎日九時ごろに起きてる僕が言うのもなんですが。
このパネルのテーマはIntermedia Theory: Lost & Foundでした。
Fifth Frame
Early Japanese Filmmusic: Theoretical Musings about Putting Music to Film, Johan Nordstrom (早稲田大学)
Early Film Music Theory in Japan: Nakane Hiroshi’s Toki ongakuron, Kerim Yasar (Notre Dame University)
The Sound-making of Japanese silent movies, Shuhei Hosokawa (国際日本文化研究センター)
The Master-slave Dialectic in Chinese Opera Film, 1954-1965: From “Filming Opera” to “Filmic Opera”, Zhang Yeqi (Nanjing University)
From Shadowplay to Montage: Introduction of Soviet Film Theory to Early Chinese Cinema, Jinying Li (Oregon State University)
このパネルのテーマは分かりやすいですね。Sound and Screenでゴワス。細川先生が『ストトン』を上映しながらちょっと弁士をやったりなんかしてウケてました。「やらせろ」と思うさもしい俺がいました。
Sixth Frame
Tadao Umesao’s Theory of Information Industry and 1960s Japanese Media Theory, Kadobayashi Takeshi (関西大学)
McLuhan in Japan: Media Theory and Advertising Practice, Marc Steinberg (Concordia University)
Girlscape: Consumer Demographics and Lifestyle Environment in Early 1970s Japanese Media, Tomoko Yoda (Harvard University)
Enter the Media: Ironical Theory as Commodity/Resistance in 1980s Japan, Alexander Zahlten (Harvard University)
某ドイツ人ことアレックスがトリでした。学会発表にトリはないか。
これだけ充実の講義を聴いたら少しは賢くなりそうな気がするでしょ?全くなんだなこれが。いやそんなことないか、賢くはなってるんだな。ただ元が低いだけなんだな。
今回の学会全体のテーマは発表内容をご覧になってお分かりの通りEast Asia映画文化ですね。そこにはアメリカ人、日本人はもとより韓国人、中国人、はては新東宝を研究テーマに据えているスウェーデン人なんて素敵な方もおりまして百花繚乱の態と申しましょうか。おっと、弁士もいますね。
現在日本はアジアでの立ち位置を見失っている感じが致します。近隣諸国とある程度の緊張関係は仕方ないのかもしれませんが、それにしたってもう少し上手くやれよと思います、無論近隣諸国に対しても言える事ではありますが。そんな状況下でこうして研究者が集まり互いの研究発表に拍手をし、質問を投げ掛けあう。とても貴い時間ではありませんか。
芸術など何の役に立つのだ、と声高に叫ぶ人は少なくありません。収益の上がらない文化に金を落す余裕は行政には無いと仰る方もいます。でもね、人と人、文化と文化の壁を乗り越えて諍いを減らすには芸術が重要なのです。芸術に対して金銭収益面だけで存在の是非を問う事は非常に危険な事なのです。
そんな事を感じましたね。
なんて言うと学会が終わったかのような気がしますが、明日は朝から俺がお話をしなくちゃならないんだよぅぅぅ。
今日でお帰りの方も大勢いますので、夜は打ち上げ。ビール飲んでピザ食べました。せめてここは写真を撮っておけば良かったかもしれぬ。居るじゃないですか、偉い人と会うと一緒に写真撮って、さも旧知の間柄であるかのようにパンフレットやなんかに載っけたりする人。ああいうのやっておくべきだったかもしれない。