金玉娘

 『金玉娘』という舞台を見て参りました。劇場はSpace早稲田、流山児★事務所の若手公演です。出演にアタシの大学時代の後輩で石井澄というのがいるのです。『金玉娘』とはまた見事にお下品なタイトルで素敵なのですが、後輩の石井という奴がこれまた下品な奴でして大学卒業前後から小劇場の舞台に立つようになって、その頃から下品な役ばかり演ってました。その後演劇の学校に入って勉強したのですが、学校の卒業公演では結局下品な役でした。そして今の事務所に入る訳です。その間色々あったと思いますが知らんので書けません。とにかくアタシの中で石井澄といえば下品な女であるとの構図が出来ているのです。では下品が駄目かと言えば全くそんな事はないのです。下品結構、大結構。事実、石井澄の下品さは昔小劇場で自主公演を打っていた時と比べると相応に変化をしており味のある下品になっているのが解ります。観客を納得させる事が出来れば品の上下なぞ、さしたる問題ではないのです。そんな思いもあるので石井澄にはもっともっと下品道を突き進んで頂いて、立派な下品女優として故郷に錦を飾って欲しいものだと念願しているのです。それから舞台の内容についてですが金玉娘とは見世物の芸人です。読んで字の如く金玉のある娘を軸とした、でも登場人物の誰もが主役であるような世界が、この『金玉娘』の演出です。群像劇っちゅうヤツですな。だから金玉娘だろうが毛だらけ娘だろうがモーニング娘。だろうが何だって良いっちゃ良いのかも知れませんが、でもやっぱり金玉娘なのでしょう。なぜ金玉なのかは誰か分析したりしてないのかしら?してたら読んでみたいな。とにかく金玉娘は見世物の芸人であり、見世物とは今日フリークスショーという名称の方が通りが良いのかも知れませんが、この見世物というのが凄いのです。今でも新宿花園神社で酉の市の時期に見世物が出ますが、見世物には我々が通常考えるような芸=技術は殆どありません。見世物の眼目は「あんな人がいる」であり「あんな事してる」であるからです。そうした芸以前の表現は極めてしたたかで我々板の上の芸人が束になっても敵わないような凄みがあるのです。彼らの芸は生きる事と直結しているのですから、そりゃあ凄いのです。だからこれを役者が演じるというのは並大抵の事ではないのです。なので「見世物じゃないんだから」という表現を芸能関係者が口にするのを聞くと、私はえもいわれぬ不快感を持つのです。芸人や役者が見世物程にしたたかになれば大したものです。それに見世物は畸形児や片輪者、あるいは共同体からドロップアウトした人達の生活の大切な手段でもありました。社会学からみても見世物は極めて豊潤な奥行きを見せる世界なのです。未見の方は見ておくべきでありましょう。なにしろ見世物なのですから見なければ始まらないのです。いつの間にか『金玉娘』の話題が見世物の話題になってしまいましたが、それもまた良し。おまけに改行を一切しないで書いたこの文章は酷く読み辛いに違いないのです。でも文章なんて所詮文字の集合体なのだからこの方が健全な形と言えなくもないのです。
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