皆さんお元気ですか?書く内容を決めずに書き出すと大抵、こんにちは!とか、お元気?とかの挨拶から始まります。いい天気ですね。
ここ数日『狂った一頁』に掛かっております。ああいう狂った映画はどこまでこちらが狂ってよいものやら判断が出来ずに困ります。映画が狂ってるのに弁士まで狂いきったらお客さんはいい迷惑でしょう。でも重いっ切り常識人でも面白かないでしょう。どうしたものか、さてさて。
ドイツのジャーナリスト有志が口の閉じた牡蠣賞というのを設けているのだそうです。一年間でもっとも情報流通を妨げた人に贈る賞なのだとか。んで今年のプーチン大統領だそうです。彼らドイツジャーナリストによれば2000年以降、ロシアでは少なくとも14人のジャーナリストが不可解な理由で死亡したり殺害されたそうです。
言論弾圧なぞというのは、どの国にでも在るもので、当然日本にもあるのですがロシアのソレと日本のものでは違うのでしょう。我々は日本に居てノンキにブログだのミクシィだのを楽しんでいる。これは大変な幸せなのかもしれません。といっても自由であることが全てにおいて良いことかと言えば、やっぱりそんな簡単ではないのですね。ロシアのジョークとユダヤのジョークの質の高さは有名ですし、その根底には抑圧が関係しているということはもはや解説を待つまでも無いでしょう。我が国においても抑圧下で非常に優れたジャーナリストが誕生しております。アタシがこよなく敬愛する方で、その名を宮武外骨といいまして明治から昭和にかけてのジャーナリストであります。彼の基本はパロディとアイロニーでして筆禍による投獄、発禁は度々という何とも逞しく頼もしい言論人なのです。外骨について話すと長くなるのですが、といってそれ程研究している訳でもないのでボロを出さぬうちに外骨からは離れます。図書館でもネットでもよろしい、調べてみると楽しいですぞ、宮武外骨。
兎にも角にも言論弾圧の話。一概に悪くも言えないと申したのは、現在の日本は余りに言論が自由すぎるんではないかという事なのですね。というと、すぐに差別等の人を傷つける言葉の問題に繋がりがちなのですが、アタシが気にしてるのはそこではなくて、自由過ぎる言論は言葉の価値を下げるのではないかと思っているからです。誰が何を書いても話しても良いとなれば言葉を吟味しなくなるのは当然でしょう。言葉が自分の表現のためだけに存在している割に、相手に伝える為の道具である事が忘れられているのではないか、とまぁそんな具合に思うのです。
冒頭でも書きましたように、何を書くか決めないで思いつくままに書き殴っておりまするゆえ、論理の飛躍と破綻が物凄く収集がつきませんが思索の流れをそのまま書いてるだけなので仕方が無いのです。ご容赦、ご勘弁。
話を変えよう。
先ほど8月に出演する会の打ち合わせに書生節の師でありあます福岡詩二先生の楽屋にお邪魔致しました。8月4日は詩二先生の門下、詩乃里さんのバイオリン演奏で弁士をさせていただく事になりました。詳細は左肩の公演案内に出しますが伝統大道芸名人会という催しです。どこが大道芸でどこが名人なのかは聞かないで頂きたい。でも来ていただけると嬉しい。
詩二先生からは「昔は暗い顔してたけど、今は表情が明るくなった」と言って頂きました。とても感動すると共に後戻りできない自分をチト感じたのでした。…単に楽屋の電気が明るかっただけかも知れませんけどもね。
すぐ皮肉るのは私の悪い癖です。先生とは電話では年に数度話しておりましたが、会うのは数年ぶりでして、その数年ぶりの再開で「明るくなった」といって頂いたのだから素直に喜んでおけばいいのです。わ〜い。
ほら、その、何ですよ、ワタクシも少しは成長してるって事ですよ。
多分な。
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