「ねえ、先生」
「何だ愚者」
「いきなりだね。落語でしょそれ」
「五月蝿いよ、アタシが好きなんだ良いじゃないか」
「愚者のギャグがですか?」
「落語が、だよ。それはあんまり面白かないよ。でも言ってみたかったんだ。いいぢゃないか。んで、何の用だい」
「そうそう、落語の話をしにきた訳ではないのです」
「ないのです、だって。気取るなぃ」
「まぜっかえさないで下さいよ。あのね、近頃、活弁士ってよく聞くんですが、先生もそのクチですか」
「違うよ、活弁士なんかぢゃねえ」
「でもさぁ、今時阪妻だとか嵐寛だとか言ってるでしょ」
「アタシはね、活動写真弁士だよ」
「んじゃ、やっぱり活弁士でしょ」
「解らない人だね。違うよ、大違いだ。これだから愚者は…」
「また始まった。どう違うんですぃ」
「長くなるよ」
「いいですよ、長い文章が気になる人はここまで読んでませんよ」
「そんなこっちゃドストエフスキーは読めないぞ」
「でも京極夏彦は読んでますよ」
「奥の細道はどうだい」
「いいから活弁士の話、してくださいな」
「仕方ないね、いいかい、そもその活弁士なんて言葉は無えんだ。活弁てぇのはな活動写真弁士が詰まって活弁になったんだ。だから最初は客は弁士のことを活弁と言ったんだな。ところがこの活弁諸君、素行が悪いのやら学が無いのやら吹き溜まりみたいになったんだ。で、見かねた役人が弁士の試験制度をつくった。この制度で落ちた活弁は数知れず、だがね、吹き溜まりの中でもちゃんとした人ってのはいるんだよ、そうした人たちは試験制度を歓迎したし、合格して貰った弁士免許にも誇りを持ってたんだな。だから彼らは自分たちは外聞の悪い活弁ではないという意味で映画説明者と名乗ったんだ。映画説明者にとって活弁は蔑称なんだ。分ったか」
「ホントに長いね」
「まだ言いたい事の半分も言ってないんだ。ただな、諸先輩にとって活弁が蔑称だったんだから活弁士って言葉は無いんだよ。永六輔なんか徳川夢声をテレビのゲストに呼んだときに番組の中で活弁を連呼して大いに含宙軒のヒンシュクを買ったんだ」
「なんですそのガンチュウケンてのは」
「自分で調べな」
「意地が悪いね。でも先生だって活弁とは言うじゃありませんか」
「そうでも言わなきゃ年寄りにだって通じねえんだから仕方ねえよ。それに当時のフアンは馬鹿にして使ってた言葉ぢゃないんだ。」
「なら活弁士だっていいんじゃありませんか」
「だから活弁士って言葉は無いんだ」
「お言葉を返しますけどね。先生よく言ってるでしょ。言葉は時代と共に変わっていくもんだって」
「ああ言やぁこう言うね、お前は。あのな、いいか、いくら通りが良いからって蔑称を肩書きに入れる事ァ無ぇんだ。活弁は昔からある言葉だからいいとしても、何も造語までする必要はねえよ」
「わかった!つまり先生の売れてねえヒガミですね」
「お、お、言いやがったなこの野郎。否定し切れねえのが悔しいや。ただなぁこれだけは言っておきたいんだが、また長くなるよ」
「いいよ、いい加減誰も読んでないから好きなだけ長くして下さい」
「それもそうだ、あのね、活弁士って言葉は広まりつつあるよ、活弁をする人で活弁士、間違っちゃいない。でもな、たとえ僅かとはいえ弁士にだって歴史があるんだ、その先達が嫌った言葉をわかり易いからって肩書きに使うのはどうかと思うよ。だってそうだろ己の職業の歴史に誇りを持てないんなら何の為にやってんだい。弁士は声優の旧い形だと思われてるのを全面的に認めるようなもんぢゃねえか。どうだいお分かりかな」
「ちっとも分らねえねえ」
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