エリカ様がテレビで泣いたそうで。

 女優の涙は世界で最も信用ならん物です。もし本当に泣いたんだとしたら、怒ったり泣いたりがメチャクチャなんですから情緒不安定というのですソイツは。ソイツなんて言っちゃいけません。楽しませて頂いております。がむばって頂きたいものです。

 新・文芸座でエイゼンシュテイン特集でした。
魅惑のシネマ・クラシックスVol.8

 何か未見の無声映画を観る度に我が身の不勉強さを恥じる日々でありますが、今回もやっぱりそうでした。『戦艦ポチョムキン』はこれで3回目ですが『十月』は初めて観たのです。ビデオは持ってます。でも観てませんでした。無声映画はビデオで観るには不向きなのです。ほら、モノクロ・サイレントでしょ。テレビ画面の中より外の方が刺激が強いのです。だから自然と集中力が削がれてしまい、エラい疲れるのですよ、テレビ画面で無声映画を観るのは。だから買うだけ買って観てない無声映画のDVDやらVHSやらが我が家には結構あります。ほら、相当の落語ファンでも落語の速記を読まないでしょ?持ってても。うん、そんな感じです。

 さて『十月』ですがいや、凄えのなんの。圧倒的な迫力でした。タイトルからも解るようにかの有名な十一月革命の映画です。かの有名なたってどんな革命だか私は説明できません。だからきっと私はこの作品を理解はしていないのでしょう。ついでにいえば『戦艦ポチョムキン』だって理解してやしないのです。それは私だけではなく、世界中の人においてもそうは変わらない気がするのです。歴史認識が甘くとも充分に鑑賞に堪えうる映画なのは間違いないのですが、歴史認識を持たずに観ることの意義はどこにあるのか、とも思います。それ位、この両作品は歴史を前提にして撮られた作品だからです。

 我々が通常映画と呼んでいる物はは劇映画のことです。しかし映画はそれ以外にも記録映画もあればドキュメンタリ-もあるのです。『戦艦ポチョムキン』も『十月』も劇映画ではありますが、今日的な視点からすれば圧倒的にプロパガンダの役割を担った作品と言えるでしょう。

 思うに、無声映画期の映画が現在の映画より(ある一面においては)豊かだったと思えるのは、こうした作品に巨額の予算が組まれて制作されていたからと言えなくもありません。映画の力が現代よりも遥かに強かったのでしょう。そうした背景を持って造られた映画はたとえモノクロ・サイレントでもやっぱり豊かであるのは事実なのです。

 そして思うのですが、この時代の作品は国ごとの作風がちゃんと違います。ロシア映画は独特の重厚さを持っています。中国映画は外国からの脅威を常に意識している為に独特のメッセージとそれを伝える為のリズムを持っています。アメリカ、イタリア、フランス、ドイツ、そして日本それぞれに特色があって、それらは映画技術としての優劣はあっても独立した表現としての優劣はないと言えるでしょう。

 ここ数年で急速にグローバル化が叫ばれています。世界が一つになるのは良い事なのでしょう。でも一つになることで、あらゆる物が均一化してしまうのは良い事なのでしょうかね。グローバルまで広げなくとも関東と関西の文化がテレビによって混ざってしまった事を憂いている人は多いのではないかと思います。あの中途半端な関西弁が横行している状況はどうにかならんのでしょうか。

 イリオモテ島やガラパゴス諸島の生態系を生んだのは隔絶なのです。違いは悪ではないのだから、やっぱり無理に世界中を繋ぐ事はないんではないかと、ふと思ったのでした。
 
 でも十一月革命を知ってから観るほうが良いんでしょう。弁士がいるとこういう作品こそ便利です。手前味噌ですが、歴史的背景を解説して貰う必要がある作品には弁士だとか、それに類する人の介在があった方がいいように思います。きちんと勉強して台本を書く弁士という前提付ですが。
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