ニッポンシネマクラシック

 こんどあらためてちゃんと書きます。とりあえず『忠次旅日記』観てきました。井上先生は素晴らしかったです。何度でも言います。(アタシが)金払う価値を感じる弁士は師匠と井上先生だけです。現状ではね。
 
 それから先日、つい悪態をついてしまいましたが、嘉島典俊の弁士、結構でした。これまで聴いてきた弁士で無い方が弁士をするという企画の中では最高の出来だと申せましょう。

 ほんと今度詳しく書くから。



 てなわけで頑張って書くことにしやしょう。「続きを読む」かなんか書いてあるところを押してくださいませぇ。  映画史には幻の傑作と言われる作品があります。公開当時の映画評で絶賛され、観客も熱狂したにも関わらずフィルムが散逸してしまい、今日観る事が叶わなくなってしまった作品です。『忠次旅日記』もそうした作品でした。永らく日本映画史にその名を残しながら既に失われたと考えられていたのです。ある時までは。

 私が弁士になった時には『忠次旅日記』は既に発見された後でした。なので、それ(フィルムの発見)がどれだけの衝撃であったのかリアルタイムでは知らないのです。ですが弁士として映画史をかじっていれば「観たい!」という欲求が起きてくるのは当たり前なのです。それほどにこの作品は激賞されていたのです。

 伝説の名画。この響きには危険な可能性が付き纏うものです。伝説が眼前に姿を現したとき、伝説のメッキが音を立てて崩れていく事があるから。卑俗な例えをするなれば「あたしの友達って可愛い子ばっかりだよ」とか「俺の友達で一番イケてるヤツを連れて来る」とか聞いていて、実際に会った時の、アノ感覚ですね。でも中にはあるのですね「可愛い子」がホントに可愛い場合が。「イケてるヤツ」が本当にイケてる時が。『忠次旅日記』こそ、まさにそのパターンでした。

 
 初めて観た時の事を今でも憶えています。

 
 伝説が伝説のままに目の前に現れた感動は言葉にし難いものでした。こんな名画があったのかという驚きは弁士になって良かったと20代の若僧をして本気で思ったものです。

 さて、その『忠次旅日記』が東京国際映画祭で上映されたのです。しかも弁士(いや関西式に解説と呼びましょうか。弁士の事を調べてここに来てくれた方の為に蛇足ながら解説しますと、無声映画時代、弁士は関東では映画説明者、関西では映画解説者と言っていました。)は尊敬している井上陽一先生であります。余談が続きますが、初めて井上先生の解説を拝聴した時にも大変な感動がありました。先生の語り口はSPレコードでしか聴けないと思っていた往年の諸先輩の語り口をそのままに伝えていたのです。

 映画にも弁士にも思い入れが強いのでどうしても文章が散漫になりますが、ご容赦下さいませ。

 さてさてこの日の『忠次旅日記』ですが、もうお一方弁士がおりまして、大衆演劇のスター、嘉島典俊さんです。当初、弁士が2人と聞いたときには正直物凄くがっかりしました。だってそうでしょ?井上先生と弁士初挑戦の方がリレーだなんて構成に無理があると思うに決まってます。全部を井上先生の語りでやれよと思うのは当然の発想なのであります。では、実際に観て聴いてどうだったかと言えば、嘉島さん、大健闘でした。台本とお手本の録音を井上先生より渡されてきちんと稽古したんでしょう。嘉島さんの語りは充分に鑑賞に耐えうる、実戦レベルのものでした。
 
 ただ、以前に私が言った「リレー形式ではなく、二回公演にしてそれぞれ単独で上演するべきである」という意見は変えるつもりはありませんがね。

 この日、井上先生と嘉島さんがされた語りは、先ほども書きましたが往時を髣髴とさせる語り口です。ここでも注釈が必要ですが、弁士の語り口には定型がありません。各々が工夫をしてその人だけの口調を磨いてゆくのです。台本もしかりで己の解釈、口調を前提とした台本を自分の手で書くところに活弁の醍醐味があるのです。定型がないのに「らしさ」を出さなければイケナイ、この辺に意外な苦労があるのです。

 ではそんな中での往時の雰囲気とは何かと申しますと、謳い上げのリズムなのです。日本語は七五調が美しいとされています。実際に日本の芸能の語り口は七五調で構成されているものが多いですし、それは近代的リアリズムとは全く違った形での演技様態なのです。謳い上げを文章で説明するのは至難なのでここではしませんが、ご存じない方は歌舞伎の科白を思い浮かべて頂けると、当たらずといえども遠からず位の位置には接近できます。ともかく、こうした語り口と和洋合奏が組み合わさる事で映画と演劇が渾然とするのですね。

 だからね活弁は映画であって映画でないのです。映画祭だけでなく演劇祭にも出るべきなのです。よく「弁士が喋りすぎ」という批評を見かけますが、ある意味活弁てソウイウモノなのです。ある意味、ですが。

 私は『忠次旅日記』を師匠 澤登翠の語りで、カラード・モノトーンの演奏で観ています。この両者を観ている事は私にとってとても大きな財産なのす。さら言うと『雄呂血』『祇園小唄 絵日傘』の2本も両方のパターンで観ているのです。

 自慢であります。

 なんだか解んなくなってきましたが、兎にも角にも『忠次旅日記』は素晴らしい上映でありました。いつか自分も語ってみたい作品であります。

 でもな、文句が無いかったら、有るのよ。ちょっとね全体の演出がヒド過ぎる。なぜ『忠次旅日記』の前のトークゲストが佐久間良子か?全く関係ないトークを聴いて、別の日に上映する佐久間さん主演の映画を観に来る気になる奴がいるのか?いないでしょう。ゲストの佐久間さんにも失礼です。
 
 嘉島さんの踊りも披露されましたが、これも事前の説明は一切無し。嘉島さんがどんな方で、これから弁士をする事を観客が知っていればサプライズ演出として受け入れられますが、弁士が誰かをこの映画祭は毎年まともに告知をしないのです。ただ「弁士・楽団付き」とちっちゃくチラシに書いてあるだけ。なので案の定いきなり始まった踊りの舞台に客席は戸惑ってました。

「あれ、映画やるんじゃないの?」

みたいな。ほらここでもゲストの嘉島さんに失礼でしょ。

 それから、この映画祭は司会者も毎年たどたどしい。どういう基準で司会を選んでいるのか。全く持って度し難い。映画は最高だし、弁士も楽団も素晴らしいのに、それを映画祭がぶち壊してどうするン。色々やるのは良いんです。ただまとまりをつけて欲しい。そういうこってす。
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