澤登一門は一門の名の通り徒弟制をとっています(駄洒落みたいになっちまった。ま、いいや)。アタシはそこの一番弟子=総量弟子でして(また駄洒落…意図してないのに)、その立場に対しての相応の自負を持っているのであります。

 そんな感覚で過ごしているとね、どうも信じられない事が多いのよ。師弟関係を選んだ人間とは思えない行動をよく目にし、耳にするのです。思いつくままに挙げると、破門(クビ)になったのにそれを独立と称して続ける人。入門して初めて楽屋に入ったその日に突然消える人。トラブルがあった後からまともに師匠とも連絡をとらなくなり、師匠の会にも一切来なくなる人。「辞めます」のメールだけでどこかに行ってしまう人。HPまで作って師匠の悪口を言う人。

 これ全て実話ですぜ。しかも俺が弁士になってから起こった事ばかりなのです。活弁界だけではありませんよ、他の業界の話も含まれてます。こうした事が起こる背景には師弟関係の現代社会に於いての消滅があると思っています。師匠と弟子を先生と生徒の関係性で捉えるから上に挙げた様なトンチンカンな連中が出てくるんです、きっと。どっちかていうとね、師弟関係というのは親子に近いと思います。ましてや芸界は弟子が師匠にお願いをして入れてもらう訳ですから、弟子の勝手な意見で離れて行くなんざ身勝手もいいところなのです。

 別にビール瓶でぶっ叩かれたりして、それでもなお付いて行くべきだとは言いませんがね。でも黒い物でも師匠が白と言ったらその場では白なんだ、位の覚悟もないのに弟子になんなよ、と思うのです。

 談志師匠は小さん師匠に破門にされたといい続けているのです。放送局が気を使って「立川流を創設」とだけ言った時には「破門が抜けてるよ」と御自分で付け足されたのです。破門にしても、されても師弟なのです。そういうのに憧れを感じないかい?感じないのに誰かの弟子になるのかい?正直理解できません。
 
 きっと、アタシは昔の芸人に対しての憧れが強すぎるのでしょう。だから師匠に服従するスタイルが師弟の形だと信じてしまうのでしょう。時代が違うといったらそれまでです。自分の理想を同世代の芸人に求めても仕方ないのです(でも、仲良くしてる人たちは殆ど同じ了見のはずです)。

 少なくとも徒弟制をとるなら引き締めが必要な状況になってきている気がします。例えばね、師匠が弟子を破門にしたとしましょうか。その破門にされた弟子がキャリアは浅いけれどそこそこ売れていたとします。これまでの常識から言えば、売れていようが何だろうが真打になる前なら破門になった段階でプロではなくなるのですから、名前も取り上げられ、以後の決まっている仕事も全てキャンセルとなるのが当然です。でもね、最近の状況を見ていると、そんな時、破門になった弟子が損害賠償請求の訴訟を起こす可能性もあながち否定できないのです。「職業を取り上げる権利は師匠にはない。又、契約書も交わしていない」とか言って。
 
 きっと起きると思います。

 それで良いと思いますか?アタシャ思わない。

 ある方にも言われました。「いまどき弟子師匠だなんて古臭い」って。確かに古臭い制度かもしれません。でも、最近の社会でよく採用される実力主義、成果主義って人を育てる事を考えてない気がするのです。勝手に育った奴を使うっていうのは経営者・雇用人の手抜きではないのかしら。育てることの大事さってきっとあるのです。

 今の若手弁士って言われてる一群の中で、俺はスタートラインでは一番下手だったと思います。冷静になればそれくらいの判断は出来ますやね。でも今、俺が一番下手とは言わせない。横並びかもしれないけれど、だけど他の連中に劣っているとは断じて思わない。むしろマシな方だと自認してます。

 それはやっぱり育てて貰ったから言えるのです。

 弟子師匠の関係性は古いです。確かに。

 だけれど、古いって事はイコール悪いって事じゃないよね。
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