庭先案内 どんぐりくん

 あたくしの基本的な感覚というものは多分高校時代に形成されたのではないかと思っているのです。落語もそのとき出会ったし、読書を好むようになったのも高校時分だし、酒を嗜む様になったのも何だかんだいってそうだし、ヒネクレ者だったのは根っからですが、よりヒネクレたのは高校時代であります故、やっぱり思い返してみると高校時代は自分にとって大きかったなぁと思うのです。思うだけですが。

 そんな具合に思い返す高校時代に出会ったのが須藤真澄まんがでありまして、これは純粋にいまだに好きな漫画家さんであります。あの当時好きだった物が今でも好きと言うのは、とりもなおさずあの頃の自分と今の自分がまぎれも無く地続きであるのだと確認させてくれるのです。過去と今が繋がっていると認識するのは実はとても難しい事だと思っています。だってそうでしょ、今朝の私が昨日の私である保証なんてどこにも無いのです。人間を構成している物質の大部分は水ですが、その水だって2週間もあれば入れ替わってしまうのです。てことは2週間前の片岡一郎と11月2日の片岡一郎が同一人物であるとする根拠は薄弱であると考えてしまうのも無理からぬところがあるのです。きっと。

 我々は立ち位置を失っては生きていけません。ここにいれば自分が自分でいられる場所を恐るおそる薄氷を踏むような気持ちで確かめているのが我々の人生と言っても良い。一度権力を手にした人が容易にその椅子から降りられなくなってしまうのも畢竟、自己を確認する手段が失われてしまうのが恐ろしいからなんだと思います。

 てなことをグズグズ言うくらいですから、オイラは常に自分のアイデンティティを何処に確保するかで頭の中が一杯なのです。現在は活動写真弁士という仕事にその大部分を依拠しているような気がしているのですが、ときどき、いえ頻繁に不安になるのです。それは弁士という死ごとの不安定さが原因ではなくて、現在というものの不安定さが原因であると考えるべきでしょう。現在は常に過去に飲み込まれています。この瞬間も現在は絶え間なく過去になり、未来であったはずの時間も現在という刹那を経てあっという間に過去になってしまう…。いささか認識がロマンティック過ぎますが、まあでも現象としては実際に起こっているんだから仕方ないんだ、うん。てことは、その仕方ない事実を考えると、我々は立脚点を過去に求める必要が出てくるのです。(論理が飛びましたね。いいんです、この中間をやると文章がとんでもなくながくなる)過去を振り返る、なんていうとネガティブなイメージが付きまといますが、決してそんな事はないのです。過去からしか人間は自己を認識できやしないのですから。

 山登りでもマラソンでもいいのですが、大概目的地に到着するまでの間に目印が幾つもあります。何キロ地点だとか、何合目だとか。他人が作った物でなくたって長い距離を歩けば、その人毎に目印や記憶に強く残る地点があるだろうと思うのです。逆に言えばそれらの地点=ポイントを繋ぐ形で記憶は形成されているんであって、それまでの道にあった物や事をまんべんなく憶えている人はまずいません。これは生きていても同じような事で、いくつかのポイントを自分で刻んで、そのポイントを繋ぎ合わせて自己の確認をしている訳です。

 んで(長かった)アタイにとってポイントと言えるものの一つが須藤作品なんですね。この方の描く世界は独特です。物語が独特ですし、絵も独特。須藤真澄先生の絵は「一点鎖線」なんて言われてます線がね・-・-・-←こういう風にツーテンツーテンしてるのです。誰が見ても須藤真澄の絵だと判るんです。でも特徴的なだけでは無くて、基本がちゃんとできた上での特徴であり個性なのです。そういうのが好きなのね。今は個性が尊ばれる時代です。学校に行きゃあ「個性を大事にしましょう」ってやたらに言ってます。でも個性って何なんだと。そんな事の前に教える事がある気がするのです。個性なんて放っといたって芽生えるんです。大事にするのと野放しが混同されてますやね。芸人だってね、キャラだの何だのってのが多くてさ。個性の前にする事あんでしょと思わんでもないのです。いえ、良いんですよ、個性で押していっても。ただ自分は基本が出来た上での個性がある人が好きなのです。では、基本ってなんだって事になると、こりゃまた難しい問題でありますがね。その話はまたいずれ。

 とまぁ。こんな事を考える一つの基点が須藤真澄作品なのですよって話。早い話がファンなのです。漫画が好きで須藤真澄を読んだことのない方は是非読んでみて頂きたいと思います。漫画喫茶には置いてないので自分で買って読むよろし。自分で時間とお金を割くって大事よ。きちんとお金を払って買った本の内容の方が覚えてるもの。映画もそうで映画館で見た映画の方がビデオで観た映画よりも憶えてますよ。昨日、ドリュー・バリモアの話になってね、作品リストを見るまで『エバー・アフター』を観た事忘れてたものなぁ。悪くない映画だったのに。

 ウチには須藤先生のサイン本が有ります。このサイン会にもエピソードがありまして、須藤先生はファンの為に一人ひとり違った絵を描いてくれるのです。自分の名前だけだって誰も文句を言いやしないのに。ファンにとっては素敵な方です。もっとのサイン会を主催している本屋さんにとってはいつまで経ってもサイン会が終わらないわけですから、本屋さん自体が須藤ファンでないとチトきつかったりもしますけど。
スポンサーサイト
|11/02| 読書コメント(0)TB(0)












 管理者にだけ表示を許可する

http://kaitenkyugyou.blog87.fc2.com/tb.php/205-8b69e252
この記事にトラックバック(FC2ブログユーザー)