上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
|--/--| スポンサー広告| |
 心身ともにもう一歩な感じです。何ちゅうかどことなく風邪っぽいって言うかね。そりゃ風邪だよ旦那。でも今は薬でもなんでもあるからホントに辛いって事はあんまりないんでしょうな。今年の半ばに昔治した歯の神経が腐って大変な思いをしたんですが、あの苦しみといったらなかった。一日でネをあげて歯医者に駆け込みましたよ、ええ。

 今ほど医療が発達していない時代にはこうした苦しみの恐怖というのは現代の我々が想像するよりも遥かに強いものだったのでしょう。それ故に針山地獄とか焦熱地獄とか極寒地獄という世界観にもある種のリアリティを伴った畏れが存在していたのではないかと思うのです。地獄の存在を全肯定するっていうのではなくて、悪いことをしたらずっと痛い思いをしなければいけない可能性があるというだけで自分の行動に対するブレーキになった事でしょう。キレる子供も含めて現代に不足しているものは畏れではないかと思うのであります。

統計
 
さてさて、話は本題になりますが、よく弁士が「最盛期には活動写真弁士が8000人程全国にいました」とか話しています。聞いた事があるよという方も多いのではないかと思います。多いといってもこのようなブログをワザワザ覗いている方に限っての「多い」ではありますがね。

 ではその8000人とは何処から導き出された数字なのか。これはご存知?知らないと思います。弁士だって知らないんです。ただ何となく、そう言われてるってだけでハッセンニンと言ってるんですから。ま、芸人がそんなにアカデミックになる必要があるのかと言えば無いんですけどもね。しかしながら弁士の不勉強さには…ま、いいか。ともかくねその8000人の論拠をご紹介します。もし今後、何処やらで弁士が8000人の論拠を話したら、先ず間違いなくこのブログを読んで話してます。

 この文章の頭に掲載している写真を見ていただきたいのですが、これは『映画年鑑』昭和3-4年版に記載されている「昭和二年全国各府県映画説明者及映写技師統計」という記事です。この調査は昭和二年十二月末に行われており、それぞれの県に説明者と映写技師が何人いてその学歴と男女比が書かれています。学歴は専門学校以上卒業者、中等学校卒業者、高等小学校卒業者、尋常小学校卒業者、尋常小学校ヲ卒業セザル者の五つに分けられています。各県別に紹介するのは大変なホネですし、それに第一読み辛いのでそこまで詳述はしません。しかし折角ですので学歴の分布は紹介しましょう。
●専門学校以上卒業者
 男:71名 女:0名
●中東学校卒業者
 男:621名 女:3名
●高等小学校卒業者
 男:3606名 女:38名
●尋常小学校卒業者
 男:2166名 女121名
●尋常小学校ヲ卒業セザル者
 男:174名 女18名
●合計
 男:6638名 女:180名
という結果ですから合計すると昭和二年末には6808人の弁士が日本には居たことになります。さらに詳しく言いますと、この資料には前年度のデータもあります。すなわち昭和元年=大正末年には男:7264名 女:312名という統計が報告されており7576名の弁士が日本全国で活動していたことになります。さらに言えばこの頃は台湾でも弁士は活躍しておりましたから総数はもう少し伸びる訳です。
 ちなみに昭和二年当時、全国で弁士が最も多いのは東京で男:1717名 女:98名、逆に最も少ないのは沖縄で男:8名 女2名です。あと女性弁士は大正時代の声色掛合時代に活躍した方が多いのでこの時代には数を相当減じています。昭和二年時において女性弁士がいたのが北海道10名、東京94名、大阪13名、神奈川3名、兵庫2名、新潟1名、埼玉1名、群馬17名、栃木5名、奈良1名、静岡19名、山梨1名、岐阜3名、福島1名、青森1名、石川1名、富山1名、福岡1名、宮崎3名、沖縄2名です。群馬と静岡の人数が多いのが不思議ではありませんか。ひょっとするとセカンド館、サード館でまだ声色掛合をやってたのかもしれません。そのあたりも要研究であります。
スポンサーサイト












 管理者にだけ表示を許可する

http://kaitenkyugyou.blog87.fc2.com/tb.php/220-c2ada485
この記事にトラックバック(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。