聖なる夜の上映会 チラシ

 クリスマスの夜に教会で上映会です。いいアイディアだと思います。

 上映データはと申しますと。

●『魔女』(HAXAN 1921年 スウェーデン)監督・主演/ベンヤミン・クリステンセン
 鍵盤楽器演奏/柳下美恵  古楽器演奏/近藤治夫

であります。あれ?何だか妙にデータが簡素だ。まあいいか。

 聖なる夜に教会で『魔女』だもんねぇ、なんて事前に話していたのですが、別段魔女礼賛の映画でなし、その実大した問題がある訳ではないのです。

 さて、その『魔女』ですが現在は紀伊国屋からDVDが発売されておりまして、そのDVDの音楽も柳下さんが担当されています。考えてみれば1921年のスウェーデン映画が自宅で見られるというのはある種の異常事態と思えるのですが、それが当たり前になっている現代の不気味さは常にスルーされています。一度手にした利便性は容易に手放せないのですね。この日の上映では、そのDVDを使うのかと思いきやフィルムでの上映でありました。ありましたが、いかんせんフィルムの画質が極めて悪い。(画面が)明るいシーンは白くトンでいるし、暗いシーンは真っ暗という塩梅で古い映画を見慣れた人間であれば見えないゾーンに何が映っていたかを予想してある程度の鑑賞が可能ですが、初めて観た無声映画があのフィルムという人もいるでしょうし、そういう方には何がなにやらチンプンカンプンなフィルムであったと思います。

 ではイベントとして駄目だったのかというと決してそうではないのです。お二人は画質を前提として相当に饒舌な演奏をされていました。これが良かった。とかく無声映画のイベントはパフォーマーが従の位置に置かれがちですが、画質が思わしくない場合や観客が無声映画に不慣れな場合は思い切って主に転じる必要がままあります。今回のプリントがまさにそれで、フィルム>演奏ではなく、フィルム<演奏の位置関係を作り音楽で何を表現しているのかを映像がフォローするが如き状況こそが適当であろうかと思います。もちろん柳下さんがそういうスタイルを望んでいない事など百も承知ですし、クラシック映画ファンがそうした映画が従であるという理屈を嫌っているのは二百も合点なのです。しかし、しかしやっぱりプレイヤーが主たるべき環境は確実に存在するのですよ。

 というかね、無声映画を映画という単位から解放してあげる事が今後重要になってくると思っているのです。個人的には。
魔女 DVD

 この画像はと申しますとDVDの『魔女』のパッケージです。ちゃんと買って持ってます。こちらの映像は極めて美麗であります。弁士をしていると年々美しい映像に対する欲求が大きくなってゆきます。いかに美しい映像で語るか、これは大いなる問題なのです。

 しかし、今回の教会もそうですし洋館も同様ですが、柳下さんは上映会場の選び方が素晴らしい。映画は暗くして観るものです。ということは終わった後に明るくなるのです。当然とあなどる事なかれ、これが大事なのです。明るくなった後の空間がどれだけ満足度を分けるか。映画という暗闇の中で見る夢から醒めた時、夢の続きを空間が保ってくれれば、それだけで公演のグレードは変わってしまうのです。誰にでも覚えがあるはずです、素敵な夢を見ていたのに、不図目が醒めたら自分の部屋だったあの落胆を。上映会場がセコイというのはそういう事なのです。ましてや映画は暗から明に視覚が劇的に変化します。明るくなった時に無味乾燥な公民館の会議室では駄目なのです。だからこそ、会場選びが上手い柳下さんは凄いなと思うのです。

 とか何とか褒めてますが、上映中に黒いドレスで中腰になって愉快そうに太鼓を叩いている柳下さんは、なんつーか魔女でした。いや、これも褒めてるんだけどね。
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