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 ご立派なタイトルを付けてみましたが何のこたぁないのです。全国に弁士がいるでなしね。

 アタシが弁士になった直後にした事が何かというと、先輩方に会いに行く事でした。業界内の方は勿論ご存知でしょうし、そうでない方も何となくは気付いていらっしゃるかと思いますが、弁士間の交流というのは驚くほど少ないのです。てか、ぶっちゃけ仲が悪いのです。10人ちょっとしかいない癖にお互いがほとんど交流しません。どうしてそうなってしまったかと、これには長い歴史があって、その中で育まれてしまった排他的性格が災いしているのです。細かく説明してもかまやしないのですが、馬鹿臭いのでしないだけです。一つだけ具体的な問題を挙げるなら演者が演目を選べないという芸能の世界としては極めて特殊な環境があります。この言い回し大分オブラートに包んでおります。

 それはそうとして、ともかくも先輩に会おうと決意した私は夜行バスに乗って名古屋、大阪に何度か足を運んだのです。夜行バス、最近は乗っておりません。当時はお金が無かったけど体力があったのです。今はお金は相変わらずありませんが、体力はガタ落ちですので関西に行くにも新幹線を使います、ひゃっほう。

 話が先に進まないのは思い出話を現在の話を平行してしようとしているからでしょう。なぜ斯くまでまとまりの無い状況になってしまうかと言えば、実はこれまで先輩方に会いに出かけた事はあまり公表していなかったため、ここで公表してしまおうと決めた途端に色々噴出してきてしまって自分の中でも収集がつかんでいる、という事なのです。それ位、クローズな業界ってことね。だからね今後、活弁の歴史をやる人は苦労するよ。

 話を戻しますと、数年前に意識的に先輩に会いに行く事をした結果、名古屋のわかこうじ、大阪(正確には違うのですが…)の井上陽一、神戸の浮世白鳥(玉岡忠大)各先生、それに手廻し映写機の小崎泰嗣といった方々と知り合う事が出来ました。いいかい、この全員と連絡取れるのなんざ俺くらいなんだぜ。しかし、小崎さんは別として、他のお三方はHPもなんにも無いからリンク先に困ります。この辺りの方々についても書かなきゃなあ…。

 と、ここまで長々書いて、未だ本筋に入れておりません。実は今回ちょっと旅に出てきました。タイトルからも分るように神戸であります。兵庫県某市に住む玉岡先生にお会いして、次の日は神戸映画資料館で開催される井上先生の公演を聴きに行こうという「素人かい?君は」的な旅なのです。

 さぁ、ようやく本論だ!  玉岡先生と初めて会ったのは2年前、2006年8月27日であります。私の活弁を訪ねる旅の中でも順番としてはきわめて遅い邂逅になった訳ですが、これは何故かと言うと玉岡先生がプロの弁士ではなかった為であります。毎度いうプロの基準とかいう事でもなくて、営業を考えていない活動であったということなんですね。結果何処で何をやってるのか分らない。もっと正直に言うと生きてるのか死んでるのかも分らなかったんです。それがひょんな事からご存命だという事が分り、では会っとこうと、そういう次第。

 それから玉岡忠大先生は「たまおかちゅうだい せんせい」です。「たまおかただし だいせんせい」ではありません。念の為。

 会いたい旨を告げるために電話した時の事も鮮明に覚えています。私は電話が大の苦手なので電話をかけるのに時間を要します。「よし、電話しよう」と思ってから実際に電話するまで平均して3~4日を要するのですが、この時もそうでした。用事で出かけた先でふいにその気になって携帯を取り出し、かねてから調べていた電話番号に電話したのは夕方の大塚でした。

 番号を打ち込んで発信ボタンを押すと呼び出し音がします。良かった、繋がる。
「はい」
「あの、玉岡先生の番号でよろしいですか?」
「そうですけど」
「あのですね…」
「私な、つんぼですから、FAXでお願いします」
 ガチャン、ツーツーツー。

 こんなんでした。何年か前から耳を悪くされているようで基本が筆談なのだそうです。全く聞こえない訳では無いのですが、スムーズな会話という訳にもいかんそうです。実際、今回も会いたいと手紙を送ったら「筆談は相手に迷惑がかかるから好みません」という返事だったのです。ま、そこで挫けてちゃ旅など出来ませんので、お土産だけでもと押し切り(というか一方的に宣言して)神戸に向かったのです。

 新幹線の切符は朝の8時過ぎでした。私が家出目覚めたのが6時半過ぎでした。新幹線は東京駅です。私の家は練馬のはずれです。基本アウトですね。

 こんな所で勿体つけても仕方が無いので結果だけ良いますと、間に合ってしまいました。我ながらちょっと凄いです。電車に揺られること数時間、久しぶりの神戸に到着です。

到着


 一年半ぶりの玉岡忠大先生、お元気でありました。耳が遠い方との会話はテンポが崩れ勝ちですが、玉岡先生に限ってはその心配が無いのです。何故なら基本的にずっと喋っててくれるから。思い出話は尽きせぬ泉と言う所でしょうか。地元で活躍していた弁士の話、当時の映画ファンがどんなであったか、関西ファンの気質、ビデオで観る映画には感動が無いというこ等々、様々なお話を伺うったのです。これは以前も聞いた話なのですが高名な弁士としては里見義郎を聴いているのだそうです。巡回上映で回ってきた里見先生の『東への道』を感動をもって聴いたとの事ですが、後年自分が『東への道を語る事になって思い入れがあるのかと言えば大して無いそうな。おやおや。

 神戸では松竹館という活動写真館が一流どころで絨毯敷きであったそうでして、映画を観て喫茶店でその映画について語るのが当時のファンの楽しみであり、評判の映画は2度3度と観るのがステータスだったとか。当時好きだった弁士には長谷川桜邦、中村錦峰といった方が居たとか、戦後の巡回上映で綺麗な状態での『照る日曇る日』『浪人街』『忠次旅日記』『首の座』を見ているとか興味深い話のオンパレードですよ。ちなみにそれらのフィルムは九州の業者が持ってきていたのだそうです。やっぱり探るべきですな、九州。

玉岡忠大先生

 あい、こちらが玉岡忠大先生です。屈指のフィルムコレクターでありますが、コレクターにありがちなギスギスしたところが無い方です。ご自分で映画も撮られるという根っからの映画好きです。

 他にもね、当時の映写技師の話とか臨検席の話なども聴いたのであります。詳しく知りたい方は個人的に質問しておくれ。これまで玉岡先生がやった上映会のチラシの一部もコピーさせて頂きました。玉岡コレクションもおおよそがこれで解るのです。

 それから玉岡先生は弁士の名前を浮世白鳥と名乗っていて、それは何故かと申しますと、世の中には嫌な事が沢山あって、その浮世=憂き世に希望を与える白鳥の如くありたいとの願いが込められているのだとか。良い名前です。ちなみに片岡一郎の名前の由来は「覚え易いから」です。

 2時間もお邪魔していたでしょうか。あまり長居もなりませんので失礼する事にしました。さてこれからどうしようです。明日まで何も決めていないのです。ええ、宿すら。

 玉岡先生のご自宅の近くには何とも言えない薬屋があります。レトロ建築好きにはタマランのではないでせうか。

薬屋


 昔はね、遠出すると「よし、地元のおねいちゃんの居るお店に行ってやろう」みたいな感覚がありましたよ。実際に行ったこともありますよ。若かったんですねぇ、ギラギラしてたっつうかね。今回はね有馬温泉に向かいましたよ。

有馬温泉
年取りましたね。
 
 有馬は温泉が勿論有名なのですが、炭酸水も名物なのだそうです。元々毒水だと言われていた炭酸水を事業利用したところ、これが当たったという話が残っているのだそうで、現在でも炭酸水を使った煎餅がありました。炭酸泉も御座います。

炭酸泉

 
水道がついていて絞り立て(?)炭酸水を飲むことができますが鉄の味しかしませんです。これに砂糖をいれてサイダーとして飲んだとか。こんな看板もありました。

有馬からのお願い

 
色々問題もあるようですな。

 温泉街フラフラして、入泉料払って、ひとっ風呂浴びて、地元の鶏で拵えた親子丼喰って、これで宿を取れりゃ最高なのですが、流石にそこまでの余裕は無いので安宿を求め三宮へ向かうのでした。
 有馬温泉 日暮れ


 そうそう、新開地にもちらっと行ってきました。

神戸第一劇場跡地

 
 神戸第一劇場のあった場所です。何だいそれは?て方、詮索しちゃイケマセン。解る人だけ解りゃいいんです。アタシには若干の思い出のある劇場なのです。劇場といえば新開地にはかって聚楽館という劇場があり大変栄えたのでありますが、今回は下調べ不足でして跡地とまでいきません、残念。もっとも神戸はまとまった良い資料が御座います。神戸散策にはこの本をお供にどうぞ。戦前の神戸新開地の様子が活写されている好著であります。

神戸新開地物語


 『神戸新開地物語』のじぎく文庫刊 昭和48年12月10日発行

 まとまり無いですけど、今日はこの辺で。
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|05/17| 活弁コメント(0)TB(0)












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