医療現場での採血器具使い回しが問題になってきています。問題になってきているというよりも表面化してきているというべきでしょうか。現場では「ありゃあ、これってまずいよね。でも他の先生もやってるしいいか」とか「いちいち交換してたら幾らあっても足りんでしょ。病院が機能しなくなったらどうするの。困るのは患者でしょ」とか「バレなきゃいいんだよ」といった意見があったのであろう事は想像に難くありません。

 第三者からすればどんなに傲慢で利己的でナンセンスな意見でも、当事者にとっては当然、むしろ必然に転化されてしまっている状況は珍しくありません。

 使い回しという言葉は先の船場吉兆でも使用されました。これはこれで問題ではありますが、少なくとも採血器具を使い回されるよりはなんぼかマシでありますので、かのささやき女将も「もう少し医療現場の問題が早く表面化してくれたら」という思いを今頃持っているのではないか、と邪推してしまうのです。

 食い物と医療器具ではあまり褒められた比較ではありませんが、これら二者が、というより医療器具の報道を聞いて船場吉兆の事件を容易に思い出すのは「使い回し」という言葉のチョイスがそこで行われたからなのは間違いない事です。言っちゃあ何ですが事件性は全く違うのですから、ここでは言葉を分けるべきであったのではないかと思うのです。とっさにどんな言葉が適切かが出てこないのも情けないのですが何かしらあると思いますよ。

 しかししかし、その一方で世の中は使い回しを前提としなければ現実問題成り立たなくなっているのも事実です。医療器具だって安全であれば使いまわさにゃならん事態はあるでしょう、食い物に到っては使い回さないのは飢餓国に対して何と言うのか、という事もあるのです。まあ医療器具に関しては戦場等の局地も考えての話ですから、ここでとやかく言っても仕方ありませんが、食い物の方はどうなんでしょうか。手の付いていない物を捨てるのが(たとえそれまでのトラブルの影響もあったとはいえ)一企業を廃業にまで追い込んでしまう事態は、日本が豊かな、飽食の国であると言わざるを得ない気がします。船場吉兆は高級料亭だから捨てるのは当然なのかもしれませんが、マクドナルドを始めとするファーストフードだって使い捨てはマニュアルでしょうしね。

 「我々は何を食べているのか知る権利がある」とは近頃よく聞く言葉ですが、化学調味料は嫌、遺伝子組み換えは嫌、使い回しは嫌では本当に食えるものって何だろうとチト不安になります。

 最終的にはユーザーが判断すべき事なのでしょうから使い回す時は事前に告知して、選ばせてくれりゃ良いのです。そうすれば使い回しも立派なリサイクルな訳ですよ。高級料亭のお料理ををリサイクルして作ったお重なんぞは売れませんかね。手間と合わないと仰る向きもあろうかと思いますが、リサイクルは手間賃回収を考えていては中々困難なのでゴザルヨ。
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|06/05| 未分類コメント(0)TB(0)












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