まさかのその3です。うまいこと資料が手に入ったらその4も書きます。いや書くって言うか転載します。
 
 先日あるブログであきらかに拙ブログを参考にして須田貞明について書かれてしる文章を見ました。ありがてぇような、くやしいような不思議な気持ちです。参考にするのも転載もかまやしません。一言コメント入れて貰えるとやり甲斐が出ますのでよろしくお願いします。あ、でもそのまま書籍化はやめてほしいですが。学士諸君はレポートに利用するのはやめた方が無難です。私以外、少なくともネット上でこれだけ須田貞明、伍東宏郎、上田布袋軒について書いてる人間はいませんのですぐバレます。先生ってそんなに馬鹿じゃないよ。

 さて、本日の内容ですが、須田貞明が弁士になる前に黒澤遥村やむらはるかといったペンネームで活動写真館のプログラムに映画評を投稿していた事は以前紹介しましたが、本日はそうした登校のうちの一つで「キネマ旬報」大正11年4月11日号・通巻96号に掲載された『映画に何を見る』という文章が手に入りましたので全文掲載します。黒澤明研究諸君、未見であれば参考にされよ。

 旧漢字のみ直します。  以下からが黒澤遥村こと黒澤丙午、後の須田貞明が17歳で書いた文章です。四の五の言わずに読んでみて下さい。

自分がほんとうに活動写真といふものに親しみ初めてから現在に至る丁度四年余りになる過去の時を通じての映画に対するその見解の上に沈思な考察の眼を放って考えて見ました時に何といふ定見のないふらついた態度であり、思想であつたことでせう。根底の薄弱な過つた気持を抱いて、何等の感動もなく、何等の意識も感ずることなしに極端に無責任な心情で映画に対峙して居つたと云ふことは、そして又しれに些の恥づる所もなかったと云ふことは、何といふ芸術に対する冒涜であり、又その有難味を知らない愚か者の仕事であったことか。映画に何を見る、と平易であるべき質問を受けてさへ、明確に自信のある答言の与えられなかつた過去の自分でした。生れてからまだ十七年にしかならない青二才の真剣になって云ふことです、何だ下らねえ、と黙殺してしまふ前に一度この幼い文字の跡を辿る寛恕を与えて下さいまし。

本来に於いては活動写真といふものは娯楽的に生きるものであるかも知れません、そして又、そう解釈するのが一番温しい利巧な態度なのかも知れません。が、少なくとも自分には、この自分に取ってはテクニカル万能な大部のアメリカの映画も、徒にドマティカルな伊太利の作品も、乃至は真の意味に於ける深刻な独逸の映画劇にしても以前の様に、とても浮ついたのん気な気持で接することは出来なくなつたのです。何者かを求め様をするたまらない衝動に喘いでいるのです。

感激を求めて、とも云へるでせう。反省を求めて、とも云へないことはありません。全く近頃の自分は映画に依って勉強しやうという心なのです。そして、その求むる物にぶつかつた時、自分の心はほんとうにもがき出します。そして苦しい幾時間かゞ続きます。然し、それは最も苦しい懊悩の瞬間の連続であると共に、又こよなく楽しい恵まれた瞬間の連鎖でもあるのです。

自分の情無い迄に感傷的な心はあの馬鹿々々しい「ワ゛ガボンド・ラック」を見てゐてその馬鹿々々しさを痛感して居り乍らも尚あの競馬場で駆るジムの真剣は気持に思い至ると、厳粛な涙を催さずには居られなくなるのでした。幼稚な、センチメンタルなとお笑ひ下さいますな。荒んだデカタンな自分の性格の中にも、未だそうした純な清らかなものの存在を喜びます。

自分が感激の境地に浸り、真実に自己の為の意義を見出し得た、時。それが自分にとって最も幸福な恵まれた時であるのです。そして、そうした記憶を頭脳に求めて見ますとどうしても沢山なアメリカ物の中より数少ないゲルマンの作品に思い当る節が多いのであります。アコスタもアグダレナも見て居らない自分に取つて「法の儘に」や、「エウゲネ・オニェギン」がどんなに懐かしく又感激深い物語でありましたらう。バルザックの「ユウゼニー・グランデー」からも作られたと云ふ「征服の力」にさえもあのクライマックスのしつこい技法で総て感銘がいやな一重の軽羅を以って覆われて終ふのでした。ゾンヤも至極感銘の深い演出ではありましたが、後者のことにオニェギンには何といふ共鳴と、深い鋭い活訓とが含まれてあつたことか…………それはあのオニェギンの気持や箇性を自分の上に思い較べて共鳴する節の多い、その為でもありましたらう。そのオニェギンの私に与える深い魅力に引かされて、その心核に食ひ込む強烈な感激に酔つて、表現技巧の方面には遺憾乍ら何の意索も系統し得なかった程、没我の苦悩と悦楽との境地へ思ふさま浸つた時でありました。為になる映画、自分にとつては正にそれなのでした。

傑作の名を付せられる程のものはどの位あったか知れません。が、自分にとつて、自分のこの頭へ持つて来てほうとうに忘れ得ぬ力強い影を印して行つたものはスチュワート・ブラックトンの「路傍の人々」とこの「オニェギン」とたつた二つ切りでありました。ほんとうに遺憾乍ら………。キング・ヴィダーもストロハイムも自分の内心にとつては極くごく微弱な感銘しか与え得なかつたものでした。

映画に感激を求めて、なんて云つたら笑ふお方があるかも知れません。然し、自分は話しを、その映画に内包された思想の中に自己を打ち込んで苦悩することの外何うする術も知らないのです。そうすることが普遍的にいゝことであらうとは思われません。が、少なくとも現在の自分にとつては、感激のないゴマカシの気持で作られた映画は一番嫌ひなのです。そして、もつともつと映画に対しては敬虔でなくてはならない筈だと思はれます。

考へてみますとほんとうに愚な自分でした。映画はやつぱり初め考へた様に黙つて見て黙つて考へればそれでいゝものなのでした。それにしても群小映画に足を運ぶことがいやになつた、ことは今更申す迄もありません。精力の濫費、それが一番恐ろしいのです。人間はつまらねえ、芸術が総てだ。といふことも泌々考へさせられます。兎に角、批評的衝動の欠けた感激のない筆は今後一切とりたくないと思つてゐます。
然し、大森虹人の中に、二條ふゆ子の中に乃至は懐人の中に見出す自己は黒澤遥村自身では決してないことを御承知下さい。
             之でおしまひです。



 いかがでしたでしょうか。以前の須田貞明の項目で彼の自殺癖から鬱の傾向を指摘したことがありますが、すでにその萌芽はここにも見られます。文中に出てくる「オニェギン」とは言うまでも無くプーシキンの『オネーギン』でしょう。丙午が観た『オニェギン』は何年の作品か、フィルムが現存しているかは未調査です。またもう一作『路傍の人々』に関してもこれから調査をしなければなりません。この文章が掲載されたのが大正11年、黒澤明の自伝で紹介されている死体の山を見に行く「恐怖の遠足」は関東大震災の大正12年です。いったいに何が彼をここまで悲壮な思想に没入させてしまったのか。その理由は本当のところは分かりません。受験の失敗で急激に変化したと弟は語っています。エリートの転落は今日のそれよりも遥かに打撃であったでしょう。しかしそれだけが理由なのかは分からないのです。日記が発見でもされれば話は別でしょうが。

 日記、ないよね?黒澤プロに問い合わせた事はないけれど…。

 しかしこれが17歳の書く文章でしょうか。青春時期に厭世的になり、メランコリックな文章を書くのは誰でもあることですが、丙午のそれはより深刻です。30を越えれば人間は醜くなるばかりだと常から語っていた丙午=須田貞明はどうにも私を捉えて離さないのです。
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【matsushita】
「自分が感激の境地に浸り、真実に自己の為の意義を見出し得た、時。それが自分にとって最も幸福な恵まれた時であるのです。」
黒澤明氏の映画を観てこういった感慨を受けた方はたくさん居られるのではないでしょうか。
2015/10/24 22:43* URL* [ EDIT]












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