大衆芸能に限った話ではなく、文化全体の問題なのですが。
過日、ネットーオークションに貴重な無声映画が出品された事を書きました。こうした物が誰の目にも触れるところで売買される事は10年程前なら考えられなかった事態です。インターネットの普及によって誰もが売り手になれるようになった顕著な例といえるでしょう。こうした変化にはメリット、デメリットが伴います。当たり前ですが。
メリットは必要な物に用意にアクセス出来るようになったことですね。私なぞは大いにその恩恵に与っております。ネットオークションが無ければ500枚から所蔵している弁士諸先生のレコードは半分にも満たないでしょう。何枚か有る貴重な音源も手に入れる事が出来ないのですから今の時代には感謝せざるを得ません。同様の感想はコレクター、研究者の多くが感じていると思います。
しかしですな、これは同時に大いなる問題をも抱えているのです。お金を払えば大抵の物が手に入るようになったということは、金銭的に余裕のあるにわかファンと貧乏な研究者が居た場合、重要な資料がにわかファンに流れてしまうのです。そしてそのファンが品物の価値を認識出来ずに粗末に扱えば…。言うまでもないですわね。 なぜ、こんな事を書いているのかといえば、大衆芸能、大衆文化で今、その事態が起きているからです。具体的には紙芝居にそれが起きています。オークションでは度々街頭紙芝居が出品されています。街頭紙芝居は全て手書き、肉筆ですので、すべからく一点物ということになります。当然、その全てが貴重な昭和世相の歴史であり、大衆というか子供文化の証拠になるんです。これが思った以上の頻度で出品されています。
何が問題なのか。
街頭紙芝居は基本的に続き物です。黄金バットの一巻をある日紙芝居屋さんが語った次の日に、おんなじ場所で待っていると昨日の紙芝居屋さんが来て黄金バットの二巻を語ってくれる。そうしたものが十巻、二十巻と続いて一つの大きなお話になります。オークションではそうした続き物が一巻毎にバラで出品されるのが常です。なぜならバラで売ったほうが初期設定の金額が安くなり様々な人が入札し結果としてセットで売るより高くなるからです。いや、違う理由でバラで出品しているのかもしれませんけれど、外れてはいない筈です。
で、バラで出品された街頭紙芝居を全て同じ人が落札するかというと、そんなことはまずありません。紙芝居を狙っている人はそれなりの人数がいますから一巻はAさん、二巻はBさん、三巻はCさん、四巻はBさんといった具合に紙芝居は分散してしまいます。売られる前は続き物としてまとまっていた紙芝居が様々な人に売られる事で拡散してしまう。結果、その紙芝居は連続物という本来の機能を永遠に果たし得なくなってしまうのです。
これを芸能の損失と言わずして何と言いましょうや。こんなところでグズグズ文句をたれていても仕方がないのです。しかし、そうした紙芝居を買い占める財力が無い以上、言葉で訴えるしかありますまい。
出品者の皆様、せめて続き物はセットで出品して下さいと、入札される方は頑張ってセットで買って下さい、冷やかしで一つだけ買ってみようは出来ればやめて下さい。お願いしますよ、ホント。
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