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 放送大学は楽しいですな。あんなに時間の流れがゆっくりとした空間は、もはやNHK教育でも出せますまい。あんな感じが文章で出せると面白いのですが、これがムツカシイ。やるだけやってみようか。

 さて、前回の講義では大衆文化がインターネットオークション等を通じて分散をしてしまうという危険性についてお話致しました。今回はそのオークション隆盛の遠因ともなっている文化の金銭化が浸透してしまった背景についてお話したいと思います。現在、古いものはお金になるという考えは多くの人が認識している事ですが、この発想はそんなに古いものではありません。僅か20年前までは骨董はあくまで専門家が扱う物でした。それが1994年に「開運!何でも鑑定団」が放送開始され人気を得ることによって、一般の視聴者が自分の家にもお宝があるかもしれないと考えるようになりました。

 この番組の功績としては書画・骨董・西洋アンティーク等、非常に敷居が高いと思われていた世界を身近にしたと言う点が上げられるかと思います。その結果、番組内で発見された文化遺産もあります。

 しかしながら問題点も少なくありません。こうした多数の聴衆の前で何でも鑑定してしまう事は、多くの人に何でもお金に換算する癖を植え付けてしまう結果を生む可能性がある訳です。現実問題として文化財は多額の金銭が動くものではありますが、反面金銭に換算し得ない価値が重要でもあります。その点に留意しないでいると金銭化出来ない美術品は価値が無いものになってしまう可能性があります。しかしながらある時点で価値が無いと判断されていたものが、何らかのきっかけで大きく注目を浴びることはままあることです。こうした価値の変動を待たずして無価値の烙印を押してしまっては芸術文化の発展をも否定するかもしれない訳です。
 
 価値の変動という点から考えれば、文化の価値と言うのは流動的であると理解できるかと思います。実際、品物そのものの価値よりも誰が持っていた、だれが誰に渡したといった品物に付随するエピソードに価値が付くケースも多くあります。こうしたエピソードは言い換えるならば、文化に託された想いと呼ぶことが出来ると思います。例えば左甚五郎の諸作品は数々のエピソードを伴う事で、その価値を高めています。またゴッホの絵画のように生前全く売れなかった、つまり金銭化されなかった絵が死後、本人の一生分の収入よりも多額で取引されるケースも多くあります。こうした事例からも安易に文化を金銭化すること、価値を固定すること危うさが見て取れるのではないでしょうか。

 そして、そうした文化=お金の構図が文化の分散を促進させているのは事実として受け止める必要があるでしょう。

 本日は大衆芸能の集中と分散を憂える~分散篇その2~と題して、文化を金銭化する問題点についてお話しました。次回はおいしいハンバーグの作り方についてお話したいと思います。

 それでは。
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|02/25| もやもやコメント(0)TB(0)












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