菅直人政権がスタートしましたですね。良いとか悪いとか言われておりますが、要するに政党政治を見直すべきなんではないかと思うのです。政党ってそもそもは同じ政治理念を持った人達が集まっているべき物でしょう?それが今や票を獲得する為だけの物になっている気がするのです。ましてや連立政権なんてのはそもそもおかしい。
 有権者がね、それぞれに良いと思った候補者に票を入れる。この一番シンプルな状態で選挙に臨めば良いのではないのでせうか。そんなに世の中単純じゃないと言われればその通りですが。

 さて、先日知り合いになりました三宅流監督の作品『朱鷺島 創作能「トキ」の誕生』の試写会ご案内を頂いたのでお邪魔してきたのです。

朱鷺島

 ドライなドキュメント映画。観る側に委ねる空白がしっかり確保されている。でもドライといいつつ無味乾燥ではない。それは監督の手腕に拠る所も大なのでしょうが、取材対象となった津村禮次郎先生の笑顔故でもあるかもしれない。津村先生、新作能を作ってゆくのがとても楽しそうなのだ。製作途中には迷いや、焦りや、不満があって当たり前なのだけれど本作はそこに焦点を合わせない。でも打ち合わせ中のフトした表情や、本番直前の緊張の面持ちからそれらが仄見える。強調されないからこそスパイスとして機能している部分であろうと思う。

 佐渡はトキの島であり、能の島なのだ。というのも佐渡は世阿弥が流された場所。創作能「トキ」がここで生まれたのは必然だったのかもしれない。「トキ」はいささか型破りな演目でもある。佐渡を中心に活動する太鼓集団・鼓童との共演によって上演された。「トキ」を実際に観た訳ではない。この映画を通じて観ただけだが、能と鼓童は調和していない。見事に異物。それが面白い。

 朱鷺はその昔、田畑を荒らす害鳥だったのだが絶滅しそうになるや「保護せにゃイカン」というので保護された。まるで芸能のようではないか。能のようではないか。活弁のようではないか。価値基準なんてその程度の物なのだ。失われ行く物に哀れみを覚えるのも良い。だけれど日本で生まれ育った朱鷺がとうとう居なくなってしまった今、我々にとっての朱鷺とは何なのか。中国から連れてきた朱鷺が繁殖できればいいのか。種が保たれれば良いのか?そこに命の、魂のリレーはあるのか?

 芸能も同じなのです。能にしろ、歌舞伎にしろ現代は膨大な記録が残されている。もし継承者が絶えても、数百年後に復活させようとすれば出来ない事はないかもしれない。でもそれは形式だけなのでしょう。

 日本における朱鷺はふたつに分断されてしまったのかもしれません。個体としての朱鷺と、精神としての「トキ」とに。いつかこのふたつが再び交わる時が来るかもしれない、来ないかもしれない。どちらになるか分からないからこそ、創作能「トキ」は受け継いでゆく意義があるのではないかと思った次第。

 にしても能という芸能の何と美しく緊張感のある事よ。画面が締まるのです。
 先日の藝能往來における佐久間さんへのインタビューから能に惹かれっぱなしです、私。

 『朱鷺島 創作能「トキ」の誕生』は7月31日からポレポレ東中野でモーニングショー公開!
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