大衆芸能の集中と分散を憂える〜集中篇〜

これが演歌だ

 以前、大衆文化の分散を危惧する内容の文章を書きました。ですが分散はデメリットばかりとは限りません。対象に何らかの障害が出た時に被害を最小限に留める事が可能なのです。前回は紙芝居を例にお話をしましたので、今回も紙芝居を例に挙げます。1巻から50巻までの連続物の紙芝居があるとします。当然、肉筆一点ものです。この紙芝居の所蔵庫が火事に見舞われたとしましょう。ものの数分で貴重な文化財としての紙芝居は燃えカスになってしまします。ですが、持ち主が小遣い稼ぎに紙芝居をネットオークションでバラ売りにしていたとすれば、もしいずれかに被害があっても軽微で済みます。全体が失われてしまえば上演は不可能ですが、大部分がバラバラとはいえ残っていれば上演は可能です。文化としての紙芝居は存続することになる、という理屈です。実際問題として無声映画のフィルムは一部分のみ現存しているものが少なくありません。これはフィルムがばらして保管されてるため、あるロールに深刻なダメージが発生しても別のロールが無傷であったりしたためです。もしも全巻繋ぎで保管していたら一齣も残らずその作品は失われていた可能性は大なのです。

 そうした意味からは分散は決して悪ではありません。このことは物質としの紙芝居やフィルムだけでなく芸能の形式にも当てはめて考える事が可能です。  私の手元に一枚のLPレコードがあります。「これが演歌だ」というレコードなのですが、このレコードは図らずも芸の集中の危機を感じさせてくれる内容でした。

 レコードのタイトルにある演歌ですが、氷川きよしや都はるみを思い浮かべたとしたら間違いです。ここで言う演歌とは別名書生節、川上音二郎に端を発し、添田唖蝉坊を中興の祖とし、神長瞭月によってバイオリンがもたらされ、鳥取春陽、石田一松、添田さつきらによって大きくひろまりった演説歌としての演歌です。最盛期には何百人といた演歌師ですがレコード産業の煽りを受け一気に衰退をしてしまったのです。

 彼らは、流行り歌を歌い、あるいは彼らが歌うことで新しい曲が流行るというメカニズムの中で収入を得ていたのですが、その際に新曲を仕入れるといっても譜面どおりに歌うのではなく、自分なりに歌い易いように自由にアレンジを加えた上で街頭で歌っていました。その結果同じ歌でも演歌師によって様々なアレンジが存在することとなったのです。作曲者にしてみればたまったものではないでしょうが、こうしたアレンジは大衆芸の世界ではむしろ当然の出来事であり、そのアレンジの能力が芸人の腕とも言えなくはありません。つまり十人演歌師がいれば十通りの歌があり、そのバリエーションこそが演歌であったのです。

 演歌は現代かろうじて命脈を保っています。それは晩年まで精力的に活動された故桜井敏雄師と跡継ぎの居ない演歌に興味を持ち独自の工夫で現在も復活公演をされている福岡詩二師の力によるところが大きいのです。特に桜井師は大量の録音物を残されておりますので、これから演歌を学ぼうとする者にとってはこれ以上無い程の資料となっているのです。しかしながら主たる記録が桜井師のものばかりということは、バリエーションが重要であったはずの演歌が桜井節になってしまう可能性を含んでいるのです。SPレコードにまで目を向ければ、それ以外の演歌師の歌声も聴く事は可能ですが書生節のレコードまでたどり着くのは桜井師の録音を聴くよりは大変な仕事ですし、音質の面から言っても後年きちんとしたマイクで録音されたものと比べれば聞き取りづらいという問題があります。

 ここでようやく「これが演歌だ」の登場です。前述のとおりレコードの台頭により演歌は衰退の道を辿ります。演歌師の数が減少すれば幾多のアレンジされた曲や歌唱法も失われる道理です。ところがこのLP盤はSP復刻ではない新録音で非常に明瞭な音声のまま何人かの演歌が吹き込まれています。桜井敏雄は勿論の事、神長瞭月、田浦美津路、神鳥月子らの演奏と歌声が収録されているのです。このレコードを聴くだけで桜井節が絶対のお手本でない事がリアルに感じられますし、失われてしまった節をかろうじて現代に聴く事が可能なのです。しかしながら継承者が居ない以上、彼らの節は芸能としては死んでしまっているのです。

 バリエーションが命だと言っておきながら継承を問題にするのは矛盾しているように見えるかも知れませんが、決してバリエーションと継承は対立しません。直接的な師弟関係はなくとも精神的なリレーさえ行われていれば芸の継承は成されるのです。その意味においても数本の録音しか残されていない彼等の節(神長師は別に考える必要がありますが)は死んしまったのです。

 なぜこんな問題をクドクド書くのかと言えば活弁にも、この深刻な状況は当てはまるからです。大正末期には全国に役8000人いた弁士は個々に語りを工夫し覇を競っていましたが現在では10数人です。しかも若手は誰もが澤登翠の影響をとてもとても強く受けています。澤登翠の弟子ではない者も芸脈から考えれば弟子みたいなものなのです。山田広野さんの様な例外は存在するにもせよ、芸の連関な中にいる若手は実質澤登翠の弟子と考えざるを得ません。若手だって、それぞれに個性を発揮すべく努力をしてはいますが、まだまだ芸のバリエーションという意味では狭い範囲での差でしょう。落語ブームといわれてしばらくになりますが、これだけブームが続いている背景には落語界に芸のバリエーションが豊富であるという事実があると思います。上手い下手が問題ではなく、上手い人もいれば下手な人もいるのが大事なのです。上手い人にも様々な流派や工夫があり、下手な人や下っ端もそうした影響下にいますから自然とバリエーションは生じてきます。すると初めて落語に触れた人が興味を持って次に来た時に、全く違った感想、もっと言うと落語の奥の深さを感じる事が出来るのです。

 でも今の活弁界にそこまでのバリエーションはありません。表現を変えるなら業界に体力が無いのです。もし今活弁ブームなどが来たら一年もしないうちにマスコミに吸い尽くされてしまうんではないでしょうか。そしてたった1年で失った体力を回復するのに何十年かかるか知れません。その意味においてバリエーションは我々にとって大きな課題となってくるはずです。芸質が集中し過ぎている活弁界は分散を意識すべきであろうと澤登翠の一番弟子は思っているのです。

 こんな事を書いていると師匠に言ったらダメよ。

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