弁士列伝 須田貞明 その1

須田貞明死亡記事

 資料収集に大いに手間取りました。何とか3月中に書く事が出来るので一安心。この須田貞明という名前で何人かでもここに辿り着いてくれれば望外の幸せです。何しろこのブログの唯一の存在価値が弁士列伝なのですから。

 その1では須田貞明の人生を追っていきたいと思います。この須田貞明を現在誰かに説明しようとすれば方法は一つしかありません。それは黒澤明のお兄さん、という紹介の仕方です。ですがそれは黒澤明が須田貞明の弟という事でもあるのです。視点の問題ではありますが、その視点にこだわって書ければと思っているのですが、はたして上手く書けるかどうか。

 須田貞明(すだ ていめい)は本名を黒澤丙午(くろさわ へいご)という。明治39年丙午(ひのえうま)の年に生まれた事からこの名が付いた。父勇、母シマの間に四男四女の三男として生まれている。

 丙午は非常に優秀な子供であった。小学5年の時に東京府の学力試験で3位、6年の時には1位であったという。さらに弟の自伝によれば水練場では「一級の腕前で、抜き手を切って泳いでいた」というから運動も出来たらしい。これに対し弟の明はコンペトさんと綽名を付けられ苛められていた。そんな弟が心配だったのか、あるいは業を煮やしたのか解らないが丙午は毎朝登校中に小声で弟を罵倒し続けた。さらに水を怖がって泳げない弟をボートに乗せて川の中に放り込む等、かなりのスパルタ教育をほどこした。といって厳しい一辺倒かといえばそうではなく、学校で弟が同級生に苛められていると必ず現れて弟を救った。

 それ程までに優秀であったから周囲は丙午がエリート校の府立一中に進学することを全く疑っていなかったし、本人もそのつもりであったのだろう。しかし丙午は入試に失敗する。結局成城中学に進学したが、この時期を境に丙午の性質が急激に変わる。学業に対して投げやりな態度をとり、外国文学に傾倒した。どの段階で触れたのかは不明だがロシアの作家アルツィーバーシェフの『最後の一線』を世界最高の文学とし座右の書としていたという。また黒澤家が映画鑑賞に対して当時の世間一般の家庭とは異なり非常に理解が深かった下地もあってか文学への関心は映画へも広がり、大正10年頃(丙午15歳頃)には黒澤遥村、黒澤粋眼、はるか・むらといったペンネームで活動写真館のプログラムに映画評を投稿するようになる。

 大正12年の関東大震災直後には弟を連れて屍の山を見に行くという行動にでる。凄惨な光景から目を背ける弟に「よく見るんだ、明」と地獄絵図と化した世界を直視するように命じたという。そして「怖いものに眼をつぶるから怖いんだ。良く見れば、怖いものなんかあるものか」とその後、弟に説いた。

 中学を卒業する時期となり丙午が尋ねたのが、近所に住んでいた説明者の山野一郎であった。映画説明者(=弁士)になりたいという丙午の頼みを一旦は止めた山野だったが、熱意に負け自身が勤める武蔵野館の見習いとして採用した。武蔵野館での見習い期間は約四ヶ月、知性もあり文学の素養も深い丙午は喜劇や短編をこなし、山野の口利きで葵館へと移る。この時期に結婚をしたらしい。さらに大正14年中頃からの約二年間、神楽坂の牛込館に勤める。ちなみに牛込館からはプログラムに須田貞明の名が掲載されているが、葵館のプログラムには須田貞明の名が載っているものの現存は確認されていない。その後、神田のシネマ・パレスで二年間、浅草と新宿の松竹座を掛け持ちで約一年間、トーキーがいよいよ台頭してきた昭和5年末より浅草の大勝館にて主任弁士を勤める。この大勝館が貞明最後の職場となった。

 昭和4年、トーキーの輸入、公開が開始される。この時期は字幕を焼き付ける技術が確立されておらず外国語トーキーでは映画の台詞の合間に弁士が日本語で喋ったり、トーキーの音量を落して映画の音声と戦うようにして説明をしていた。初期のトーキーは音響面からいって満足なものではなかったが急速に向上する音質、スーパーインポーズの完成によりいよいよ説明者、楽士は不要となる。映画館経営者はこれらを解雇したい、説明者、楽士は馘になれば生活が立ち行かぬとあって意見は対立、ついに大規模なストライキとなって世間を騒がした。須田貞明はこうした一連の騒動で松竹系争議委員長となり、トーキー争議の先頭で会社と戦わねばならなくなった。交渉の末、突然の解雇と減給は免れたが、これは争議団にとって満足のいく結果とは言えなかった。このため争議団長であった須田貞明に批判が集中、彼は姿を一時くらまし自殺を試みるがこの時は未遂に終った。須田貞明は自殺の常習犯であったそうだ、これ以前にも3回自殺を図った事があると山野は書き残している。そのいずれもが生まれた子供が亡くなった直後である事も。

 この時期、須田の妻には再び子供が生まれている。また、妻とは別に暮らしているカフェー勤めの女給みち子こと中村いま子なる女性も居た。

 そして自殺未遂の後、1カ月の入院生活を経て退院、弁士仲間の山地幸雄の楽屋を尋ねるなどして昭和8年7月10日、須田は中村いま子と湯ヶ島温泉落合楼にてカルモチン(鎮静催眠薬の一種、毒性は低く死亡する例は少ない)とネコイラズを飲んで心中を図った。貞明は介抱の甲斐なく間もなく絶命、みち子も15日朝死亡した。

 宿には5通の遺書が残されていたという。その全体像は定かではないが三好千曲(みよし せんきょく)という弁士が無声映画鑑賞会発行のクラシック映画ニュースに須田の事を書いている。その中に須田貞明の遺書と思われる文面が見られるので紹介する。三好は須田と同じく松竹系で永らく説明をしていた経歴がある。5通のうち1通が同業者に向けたものであれば三好が須田の遺書そのもの、ないし写しを見ていた可能性は高い。

  フンキュウセルジタイノセキニンヲツウセツニカンジル、ショクンノキタイニソムキシハイカン、コレヲモッテユルサレヨ

 須田貞明 享年満27歳であった。

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●第601回無声映画鑑賞会 [なんてたってバスター・キートン]
 『キートンの大学生』(1927・米) 弁士/澤登翠
 『キートンの滑稽恋愛三代記』(1923・米) 弁士/片岡一郎
 『キートンの警官騒動』(1922・米) 弁士/斉藤裕子
 日時/8月25日 18時30分〜
 会場/門仲天井ホール
 料金/一般1800円 学生1600円 前売、電話&E-mail予約1500円
 ご予約/無声映画鑑賞会事務局
       電話/03-3605-9981 (受付時間 平日の午前10時〜午後6時)
       FAX/03-3605-9982
       E-mail/katuben@attglobal.net

●第602回無声映画鑑賞会 [第四回澤登翠一門会]
 『百万両秘聞』(昭和2年・マキノ御室)
 弁士/澤登翠、片岡一郎、桜井麻美、斉藤裕子
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 会場/門仲天井ホール
 料金/一般1800円 学生1600円 前売、電話&E-mail予約1500円
 ご予約/無声映画鑑賞会事務局
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