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 ストレートすぎる題名のイベントがさいたま市立美園公民館で行われました。弁士は澤登翠、演目は『チャップリンのスケート』『雄呂血』というこちらも直球ど真ん中。映写がアタクシ片岡一郎とこれもいつもの通り。んな訳で会場は地元の方中心で御座いました。

 日本映画史において大変重要な作品『雄呂血』はマツダ映画社最大の財産といっても過言ではないと思いますが、本作はその重要性故か批評で云々されすぎるきらいがあります。御存じない方は仕方ありませんが、最後の大立ち回りの部分ですね。あすこは善良な青年武士の久利富平三郎が誤解の末無頼漢と罵られ、悪人の汚名を着せられ、ついに義憤ほとばしり刃を振るうシーンです。なぜこの映画が伝説になったかといえば、この大乱闘の凄さ、長さもあります、阪妻の無声期における代表作であることも挙げられますが、それ以上に賞賛されるのが乱闘シーンの解釈でして、それまでは正義のヒーローが悪人を退治するための剣戟だったのが、追い詰められた主人公の心理にまで踏み込んだ点が斬新であったためです。

 ゆえに『雄呂血』評論家からも、たかがチャンバラと見下される事もなく伝説の時代劇たり得ていたのです。勿論そうした解釈は間違っていません。いませんどころか紛れもない事実なのですが、あまり精神性ばかりに眼を向けるとチャンバラ映画の本質を見失う可能性が出てきます。その点を見事に突いたのが嵐寛でした。以前ここで感想を書きました『鞍馬天狗のおじさんは』の中に葉村屋が『雄呂血』を観たときの感想が載っているのです。評価は非常に単純で殺陣の中に同じテが無いのが素晴らしい、というものでした。これはとても大事な発言で、チャンバラはあくまで肉体運動だという事を我々に思い出させてくれます。昔もそうですが現代はますます精神性を尊ぶ風潮が強くなってきています。芸人にも真心を込めた芸を求めてくる人もいます。ですがプロになったら心は伴って当然なのですね。グズグズ考えている暇があったら技術を磨けと言いたくなるような芸人もいます。あぁ、また理屈をこねだしました、よくありません。しかしながら『雄呂血』はそんな芸能の根源的な肉体への回帰を我々に意識させてくれる作品であるのです。『雄呂血』はもう観たよって方も阪妻の肉体に注目してラストの大乱闘を観てください。新しい発見がありますよ。はい。
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