伍東宏郎

 先日『瞼の母』について書いた時に触れた伍東宏郎師についての記録です。自分の為の備忘録ですが世界中で5人位は役に立つ人が居るかもしれません。んまあ10人は居ません、ええ。ちなみに本文中で解説とあるのは活弁のことであります。一般に関東では説明、関西では解説といっていたとの事。何故活弁ではいけないのかは後日に譲ります。
 
 伍東宏郎(ごとうこうろう)本名森下武雄・1894(明治27)年、兵庫県新温泉町浜坂の生まれ。小学校卒業後に鳥取の駄菓子に奉公へ出る。その後大阪に出て千日前で帽子の叩き売り、大阪朝日座の隣にある帽子屋の店員を経て、大阪で最も人気のあった弁士の一人、松木狂郎の門に入る。当初は洋画の解説を専門としていた(師匠・松木とリレー形式で吹き込んでいる『十戒』のレコードも残っている)が後に時代劇の解説に転向し爆発的な人気を誇る。  伍東の人気を決定付けたのは1926(大正15)年の『尊王』であった。「東山三十六峰静かに眠る丑三つ時、夜の静寂を破って鳴り響く剣戟の響き」の名調子は弁士の口調に大きな影響を与え、以来幕末物ではこの台詞は弁士の定番となる程であった。現在では断片のみしか残されていない『尊王』は伍東の解説によってヒットしたといっても過言ではないとさえ言われている。加えて言えば、この「東山~」の台詞は伍東の作としている資料が多いが、伍東は真山青果に教わったのだと自慢していたそうである。彼のやや高めの声と豊かな声量が和洋合奏の効果とあいまって阪東妻三郎のチャンバラは大いに盛り上がった。また、伍東自身も阪妻作品を得意にしていたようで、レコード吹き込みも阪妻主演の作品が少なくない。その上1927(昭和2)年には何と妻プロ制作『鼠小僧次郎吉』の脚本を担当しているうえ、1931(昭和6)年には『雄呂血丸』という高田浩吉主演映画の原作も担当している。当然『雄呂血丸』とは阪妻無声期の代表作『雄呂血』を意識して考えたタイトルであろう。
 芸が良くて金があればモテないはずもなく、その道でも大変な活躍をしたらしい。都合4回の結婚は証左となろうか。しかし、結婚生活は幸せとはいかず、戦争中に事業で一旗あげるため3度目の妻を伴って向かったシンガポールでは妻の浮気に逆上し日本刀で切り殺してしまった。4度目の妻には、戦後一時的な無声映画のブームに乗じ巡業で儲けた金と家や土地を含む財産を全て持ち逃げされてしまったうという目に遭う。世をはかなんだ彼は巡業で訪れていた故郷・兵庫で首をくくって非業の死を遂げたと友人であった弁士高橋鶴童の回想に書かれている。1950(昭和25)年没。

 私の個人的に持っているレコードの主だったところでは『尊王』『清水次郎長』『瞼の母』『鼠小僧次郎吉』『邪痕魔道』『坂本龍馬』『忠臣蔵』『吉良の仁吉』『蹴手繰り音頭』『龍神丸』『小幡小平次』などがある。他に『影法師』『雄呂血』等を吹き込んでおり、現在でも聴くことが出来る。
 
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2011/05/24 08:52* * [ EDIT]
【かたおか】
非公開コメントへの返答って、普通に書き込むしかないのかしらん?

えと、ですね「だいとうこうろう」は大東耕郎もしくは大東宏郎という漢字です。弁士の歴史の中にもちっとも出てこなのですが、ちょいちょいレコードは出てきます。
実際に聞いてみると声の印象からいって伍東宏郎とみて間違いないと思います。おそらくは伍東宏郎として契約しているレーベル以外に小遣い稼ぎで出る時用の変名ではないかと思われます。
名前を変えればOKだったのか、名前を変えたとはいえバレればペナルティがあったのかまでは分かりませんが。
2011/05/30 05:08* URL* [ EDIT]












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