学士会 嘆きの天使

 昨日の豪傑モノと打って変わって神田神保町・学士会館にての『嘆きの天使』の上映。

 ●『嘆きの天使』(1930年 監督/ジョセフ・フォン・スタンバーグ 主演/マレーネ・ディートリッヒ、エミール・ヤニングス)
      説明/澤登翠 トークゲスト/高橋暎一

 この上映に関しては少し説明が必要であります。御通家の方は当然御存じのように『嘆きの天使』はトーキー、つまり声が出る映画。本来なら弁士の出る幕は無いのです。ところがトーキー初期にはスーパーインポーズの技術が確立されていなかったので、弁士がトーキー作品にも語りを付けていたのです。本作も当時はそうした形式で公開された作品のようであります。

 どうやって語ったかと言いますと、幾つかやり方があったようで、代表的なのはトーキーの音声よりもデカい声で語る演り方、その他にもトーキーの台詞と台詞の間に急いで語るやり方等々、声が煩わしいってんで音声をカットして無声映画仕立てで語ったら、配給会社に見つかって大目玉を喰ったなぞという話も夢声翁の本には紹介されています。

 この日はトーキーの音声に声を被せる演り方です。といっても無理に大声を出すのではなく、映写技師(アタクシ)が音量を上げたり下げたりしておりました。思いのほか気を遣う作業ですよ、アレは。

 この形式での上映に立ち会うのは初めてだったのですが、印象としては、この上映形態は活弁ではなく、まさに映画解説でありました。活弁は映画を演芸化する装置としての機能を持っていますが、トーキーに声を被せても演芸化しないのです。互いに混ざり合わず、といって反発もしない。平行線上での表現と私は見ました。

 よく「今の映画の音を消して語ってみたら面白いんじゃないですか?」と言われます。そんな時、オイラはいつも「そうですねぇ~」と答えるのですが、本音を申し上げますと「何も音消さんでも」と思ってるのです。やりゃあできるけど、そこまでして語りたい作品は、そうはありませんのです。それに表現が違う。労多くて実り少なし、な気がするのです。嗚呼、今解りました。要は今の映画に語りを付けるのはメンドクサイ…。
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|04/27| 活弁コメント(0)TB(0)












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