新女性 あるぽらん

 師匠の二連投で働いた後は自分の仕事でゴザイマス。
 
 ●『新女性』(1935年 監督/蔡楚生 主演/阮玲玉)
   弁士/片岡一郎  キーボード/柳下美恵
でした。

 まぁ、どうにかこうにかこなした、というレベルか。

 中国映画を演っていて面白いのはメッセージ性の強い作品が極めて多いという点が挙げられるのです。残存率が低いので、私が観た20本程度の中国早期電影だけでは全体像は掴めやしないのですが、それでもアメリカ等の作品と比較すればメッセージのダイレクトさは嫌でも気付きます。

 そのメッセージとは何か?多くは抗日がテーマです。自分達の国を、命を、土地を守ろうという叫びが響いてきます。しかも映画を作っているのは若者達です。政治家ではありません。だから余計な駆け引きを考えて言葉を選んだりしない。無論、検閲もあったでしょう。フィルムをカットせざるを得ない事、字幕を書き換えねばならぬ事もあったでしょう。けれども、現代の日本の様に、自分の国を愛そうという最も当然の言葉にケチを付けるような事はなかったのです。

 日本はその昔、アジアに侵略もしくは進出しました。その上で戦争に負け、大いに卑屈になってしまいました。英語が話せない事を恥じながら、日本語が不十分な事は気にも留めない。国を愛する気持ちと、戦争を分けて考えられない。やっぱりどっか異常と言わざるを得ません。しかしながら、その異常さは中に居ると気付かないものです。海外に行けば気付くかといえば、そう上手くもいかない処が、この問題の根の深さを物語っています。そんな時に中国の無声映画は一つの指針を与えてくれる様に思います。

   と、ここまでは、これまで私が演ってきた中国映画のお話で、今回の『新女性』は一味違います。この作品で問題になっているのは女性の自立という問題です。女性の自立というのは近代と切っても切り離せない問題なのは解説の必要も無い事でしょう。日本においても生活面での自立、精神面での自立は大きな問題であり、現代なお女性の権利拡張の関する議論かまびすしいものがあります。

 もっとも「女性に権利を!」と叫ぶ女性は大抵お強い方ですので、我々のようなへっぽこ男どもは、ああした強い女性にこれ以上権利を与えてしまうと、自分達の居場所が残るのかと思わず心配してまうのです。と言うような事を口走れば、これまた批判されたりと、とにかくこの問題は難しい。ただ一つ言える事は、女性は権利を制限されている頃からキチンと生きてきたと言う事です。権利、権威を後ろ盾としなければ生きてこられなかった男性と比較した時に、ある種の力強さは男性としてやはり感じてしまう。男も女も人間という種族ではあるものの、性差は大きな差です。その差を近代はなるべく埋めようとしている訳で、相当な無理が生ずるのは致し方ないのでしょう。

 『新女性』では1930年代の中国で自立を目指す何人かの女性が描かれます。この時代における自立は、まだわかり易いもので、簡単に表現すれば男に依存せずに生活してゆく、というものです。たったこれだけの事が当時は大変な苦労を伴うのが本作を観れば解ります。男性側には差別意識すらないのです。女性が社会に対して主張をする事が信じられない。けれど近代と言うパンドラの箱は開け放たれ、女性は自らの足で立つ方法を知ってしまった。そういや中国には纏足という文化がありましたっけ。あれは自分ひとりでは立てないのですから、まさに彼女達は自立したのでしょう。

 映画の主人公・韋明は、女性の自立を認めようとしない社会に敗北して死んでしまいます。それは悲劇であり、男性社会の歪みではあります。しかし同時に韋明の死は韋明の勇み足であったのも事実です。作中でも語られるように、死んではいけないのです。這いつくばってでも生きて行かねばならない。生きてゆけなかった韋明は強い女なのでしょうか、それとも弱い女なのでしょうか。

 ここで比較として挙げたいのが昨日の上映作品『嘆きの天使』でマレーネ・ディートリッヒ演ずるローラです。彼女は女である事を十二分に生かし、男を隷属させてしまいます。彼女の魅力の前に知性はアッサリ敗北してしまう。では、ローラは近代的女性なのか否か。社会的通念から見れば前近代的女性ですが、精神的には韋明よりも遥かに自立しているのがローラです。さて、自立とは何なのでしょうか。貴女は自立していますか?

 正直言えば女性をどう扱うべきは私は解りません。専門外です。見識が全く無いと言ってもいい。けれど、これらの作品を見たときに、女性の自立は男性社会をベースにしているのは見て取れます。その証拠に女性の自立を描いた作品は数知れずですが、男性の自立を描いた作品はあまりありせん。少なくとも私は知らない。だらしない男は歴史上、星の数ほど居ると言うのにです。男性はそれだけで自立している存在だった訳です。

 だった、としたのは現代において男性が自立しているとは思えない状況になってきているような気がするからです。ニートの問題を含め、自立を拒む人が増えてきた、これは何なのでしょう。「私は生きたい」と叫んだ韋明の声は現代に届くのでしょうか?『新女性』は様々な問題を現代にも投げかけてきます。そのどれもが容易に解決のつかない問題です。それ故に作品も、やや未整理な印象を与えます。しかし、だからこそ『新女性』は凄いのです。未整理なまま投げかけてくるテーマを我々が一人ひとりが考えなければならない。本番を直前にして、私がここで言い訳をしたのも、それが為なのであります。何年かして、考えが深まったらもう一度演ってみたい作品です。
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