カビリア

 イタリア映画祭の一環としての上映。有楽町旭ホールは定期的にこうした上映がある貴重な場所です。カビリアはイタリア無声映画を代表する大作で、今回はオリジナルの95%まで復元したと、向こうのアーキビストが自信の程を窺わせた復元版の上映でした。上映時間は181分という長尺。ピアノ演奏付きで演奏者はステファノ・マッカーニョ氏。

 毎回思うのだが、朝日ホールでの無声映画上映ではどうしてこんなに人が集まるのか。見た事もない人が大勢来ている。

 そして彼らはどうしてこちらに流れてきてはくれないのか。いつも同じ人ばかり。

 さらにさらに何故、弁士の姿が朝日ホールにはないのか。謎は深まるばかりである。

 当時大作に定評のあったイタリア映画の、その中でも超大作にして代表作の『カビリア』でありますから、約3時間全く苦になりませんでした、と書きたいところですが、人間には体力の限界というものがあるのです。加えて朝日ホールはあまり映画鑑賞に向いた空間でないこともあり、いささか疲労しました。んが、35㎜染色復元版の何と美麗な事よ、このプリントはいくつかの現存フィルムを比較し最良の状態のものを集合させる形で最長版を造ったそうです。なのでカットによってクオリティに差が出ておりまして、一つのシーンの中で急に画質が落ちたりします。それもまた映画が世界中に散らばり、残され、複製されたフィルムの旅を示すものであると思えば何とも愛おしいじゃありませんか。

 実際、コンディションの差は映画復元に付きまとう問題であります。かの『瀧の白糸』のフィルムセンター復元版もバージョン違いのプリントの存在が確認されていながら状態の差が著しい為、中々実現しなかったとの事。確かに重要なシーンで極端に画質が低下する事は興ざめというレベルではなく、正当な評価を妨げる可能性すらあるので二の足を踏むのはもっともなのです。しかしながらそうした危険性を孕みつつもあえて予算を組み最長版を製作する事はやはり意義の有る事だと思います。そして、結果としてこの復元作業は成功だったようです。最も美しいシーンはスクリーンの向こうにあたかも世界が広がっているかの如く感じました。デジタル万歳と言わねばなりません。

 映画は物質です。必ず失われてゆく宿命を持っている、はずでした。しかし時代は進みデジタル技術は完璧な複製(復元はともかく)を制作することを可能にしました。依然として映画はフィルムでなければ、というフィルム信者はいます。その方々の気持ちは解りますし、現実としてまだデジタルはフィルムに追いついてはいません。しかし間もなくデジタルはフィルムの画質に追いつき、やがて追い越します。映画が物質の枷から、格段に解き放たれる時が間近に迫っています。それははたして映画にとって吉か?凶か?その時になってみなければ解らない事です。個人的には楽しみなのですけれど。

 カビリアの内容については他に書いてらっしゃる方が多くいるので、そちらをご参照の程。拙ブログは痩せても枯れても弁士のブログですから、当時の名説明者・染井三郎先生がこの『カビリア』に付けた名調子を紹介する事にしましょう。。


  

 「かくて紀元前202年、ザマの一大会戦に、カルタゴは再び起つ能わざるの致命傷を与えられたのであります。今や名誉あるローマの戦勝艦隊は、地中海の波濤を蹴って一路凱旋の途に就いたのであります。
 その中の一隻には、ローマの愛国者フルビオス、忠僕マチステ、そしていよいよ美しく成長したカビリア、三人の姿を見ることが出来ました。
 船は行く行く、三人を乗せたローマの船は、カビリアの帰りを待ちわびる、年老いたバトウ夫妻の住むシシリー島の沖合いを、矢を射るごとく進み行くのであります。時は今、誰か昔を語りなん。回顧すれば十幾年、あの恐ろしきエトナの山の大噴火、続いて起こる大地震、身の毛もよだつモロッコ大聖殿犠牲の式と、幾多浮世の荒波に揉まれ揉まれたカビリアも、今は神の護りを得て喜びの港入りをすることになりました。希望の帆には幸福の風を孕んで、船は行く、風のまにまに。
 春秋ここに二千年、今なお渡る旅人の噂に残る物語、ダヌンツオ原作『カビリア』全12巻の終わりであります」



 補足しますと、この文句、後の巡回上映では西村楽天先生が使っていたようです
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