お早よう

 小津作品です。ご存知ですね。1959年・松竹です。今まで未見でしたが、ようやく見ました。なぜかと申さば此の所オナラがよく出るのです、アタクシ。尾籠な話ですが仕方御座んせん。出るものは出るのです。所嫌わずと申しますが、出す側はそうも言ってられないので所を考えるのです。

 そんなこんなでオナラですが、オナラのギャグは幾らもありますね。大体、子供はオナラが大好きです。オナラという言葉でもう大笑いです。落語にも四宿の屁なんという噺がある位で、やっぱりオナラは可笑しいものらしい。ワリに圓生師匠が好んで屁の噺はされていたんでようか。実際に圓生師匠の高座に触れた訳ではないので何も言えませんが、四宿の屁の録音を残してるのは圓生師匠ですし「おう、屁が出て行くぞ」ってのは楽しそうに喋ってらっしゃいますよね圓生師匠。ウケると判断してのオナラの噺だったのか、自分が好きだったのかは分りません。第一、インタビューでも「師匠はオナラが好きなんですか?」とは聞けないでしょうから真相は闇の中です。どうでもいいっちゃいいんですけど。

 人間は関心のあることには多くの言葉を発明するというのは一般的に認識されている事であります。例えば雪国では雪や寒さの種類に関しての単語が多く、暑い国では逆に暑さに対しての表現が多い。そして万国共通で女性器を表現する言葉は多種多様です。調べると面白いよ。で、オナラですが、やっぱり豊かな表現を持っています。へっぴり腰と言いますね。だとすると屁はひるものかと思うと、屁っこき虫なんていいます。とすれば屁はこくものだと思いきや、すかしっ屁なんて言葉もあります。まあ、これは透かすんでしょうが。あとはヘタレなんてのもあります。屁は垂れるものでもあるらしいのです。話題の中心がオナラですから何となく汚らしく感じるかもしれませんが、これが粉雪、綿雪、牡丹雪とくれば奇麗に感じてしまいます。でも本質は同じ事です。ついでに類語辞典を引いてみますと泄気、漏気なんという表現も出てきます。地方にいけばまだまだあるでしょう。豊かな文化ではありませんか。

 なので私も今後オナラをする時には今のはコイたとか、今のはヒッた、などと楽しんでみたいと思うのです。

 もしかすると、それはとても大事な事かもしれません。だってね、小津作品は膨大な量の評論、感想といった言説に晒されています。中にはこんなに深読みしちゃうの?と驚くばかりの評論もありまして、それは小津作品が評論家の何かを刺激する部分が大いに有るという事でもあるでしょうし、逆に小津について書くときには何かを感じなければならない、という半ば強迫観念じみた認識がある故かも知れませんが、ともかく小津について書かれた、あるいは語られた言葉はもンの凄い量で、その中で私が触れた言葉など砂漠の砂粒程度なのですが、少なくとも評者が身体性を通して小津作品を理解しようと試みているものは無かったように思います。

 表現が堅苦しいですが、ぶっちゃけて言っちゃうとですな『お早よう』について書いている人の中にオナラを出す努力をした人は居ないっちゅうことです。実際に軽石を粉にして2~3日でも飲んだ人は居ないんじゃないでしょうか。そりゃ、おでこを押したってオナラがでる訳はないのだけど、でもそれを試してみる事で得られる事もあるのではないでしょうか。少なくともチャンバラを理解する為に人を斬るよりは試し易いのだし、誰かやってみたら如何?あとは何日か喋らないとかさ。

 テレビ買っとくれよぉ。
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|05/25| 活動コメント(0)TB(0)












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